カイト・カフェ

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「ポスト2001」~東日本大震災を境に人々が変わる

 浜崎あゆみが離婚するとかで、そう言えば一昨年の紅白ではとんでもなく長いベールのウェディング・ドレスで登場してそのまま結婚式に向かい、昨年の紅白ではとんでもなく裾の広いウェディング・ドレスがバラバラになる演出だったなと思い出しました。そうこうするうちに本人のコメントが出てきて、

「結婚当初に2人で決めた『アメリカで暮らす』という点について、その約二ヶ月後に起きた東日本大震災を受け『日本を離れたくない』という気持ちが強く芽生え、アメリカでの生活を考えられなくなってしまい、結果、彼をひとりにしてしまう日々が続くこととなりました」
のだそうです。

 震災を理由にするのはいかがなものか、といった論調もあるみたいですが、私はその通りのことがあったと思います。

 オウムの平田信容疑者も出頭の理由として震災を上げていました。
「東北の大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。2011年のうちに出頭したかった」
「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」

 うがった見方として麻原死刑回避のために出頭したという考えもあるみたいですが、これも私は本人の言葉を信じていいように思います。

 あれほどの災害の体験が、(たとえ間接体験だったとしても)人々の生き方に何の影響もなく過ぎていくとしたらその方が異常です。本人が意識しているかどうかは別として、何らかの影響をこうむっていると考えるのが普通でしょう。

 もちろんこの危機的状況にもかかわらず、原発事故の避難地域をマメに回って泥棒をしている不埒な人間もいますから全部が全部と言うわけではありませんが、私たちは何かを感じて何かを変化させています。そのことをきちんと見据えておく必要があるでしょう。

 今年の新成人たちはバブル崩壊後の不安な時期しか知らずに育った子たちです。中国の台頭とアメリカの凋落、あるいはユーロ危機といった世界の大転換の中で青春を過ごそうとしている人々です。そして20歳の節目を東日本大震災とともに迎えました。

 将来「震災前派」「震災後派」という言葉ができるかどうかは分かりませんが、2011年を境として「それ以前」と「それ以後」を分ける考え方は必ず出てきます。そして今、私たちが教えている子たちが新時代の子たちです。

 どんな体験にも生き方の変わらない人はいますが教育者としての私たちは、自分の中の変化に対して敏感になり、子どもをどう育てていくか、考え直しておかなければならないと思います。