カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「頭髪の日」

 明日18日は「頭髪の日」だそうです。――というか、毎月18日は頭髪の日なのです(「十(とう)」+「八(はつ)」)。
 全国理容環境衛生協同組合連合会が1978年に制定したそうです。

 ところが日本毛髪科学協会(こんなのがあったんだ)は1977年から毎年10月20日を頭髪の日としていて、この日から一週間を「毛髪衛生週間」と呼んでいるようです。
 理容関係だと毎月記念日があった方がよさそうだし、科学協会は年一回で十分だ、そういうことかもしれませんが、しかしなにか面倒くさい話です。

【我が家系】

 さて、
 私は曾祖父・祖父・父親から、血のつながらない叔父まで含めて全員ハゲという禿頭(とくとう)一家に生まれました。ただひとり、ひねくれ者で兄弟から疎まれている叔父が白髪フサフサですが、それは毛髪的にも性格的にも例外なのでしょう。
 だから当然、私も中年になる前から禿げると思っていたのですが案外そうならない、あの「ひねくれ者で兄弟から疎まれている叔父」と同じ系統らしいのです(やだな)。

 ところが三つ年下の弟は家族の王道を進んでおり、50代にさしかかるころにはかなり進んだ感じになっていました。
 10年ほど昔、たまたま市の平和祈念式典で一緒になったのですが、私より先に同僚が気づいて「あ、弟さん来てますね」と指さす先にそれらしい人がいない。何度説明されても分からないのでワザワザ見に行くと、後ろから眺めたときに真っ先に視界から外したハゲのおっちゃん、それが弟でした。“国破れて 山河あり・・・”

 哀れと言えば哀れですが、弟がますます亡父に似て来るのに対し私が嫌いな叔父に似て来るのも複雑な気持ちです。

【ところでなぜ人間は禿げるのか】

 しかも男ばかりが禿げるのはなぜか――。

 人間に頭髪があるのは大切な頭を守るためです。
 ケガから守る、強い日差しから守る、寒さから守る――そんな大事な頭髪がなくなるということはもはや守る必要がない、守る価値がない、あけすけに言えば「死んでもいいよ」というサインではないか、そんなふうに思うのです。

 考えてみると女性なら年を取ってもやることがあります。
 子を助け孫を守るという仕事です。太古よりヒトのメス(女性)は多産でしたから動けない時期が長い、その補助をしたのがお祖母ちゃんたち、つまり年老いた女性です。
 十二分に役に立つ。

 ところが年老いた男たちは、飯は一人前に食うくせに畑仕事でも狩猟でも若い男のようには働けない、役に立たない、だから「死んでもいいよ」――そういうことなのかもしれないと思い始めたのです。

 男って哀しいですね。

 さてしかしそれにもかかわらず私やひねくれ者の叔父は年を取っても髪が残っている、世界はまだ私たちを必要としているのかもしれない――。

 そのとき私の脳裏に響く声がありました。
「世の中には必要・不必要とは別の原理もあるよ。“憎まれっ子世に憚る”という原理だ!!」

・・・ナルホド。