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「竜馬」~誕生日と命日が同じ日付の男の死と同胞の年齢

 今日11月15日は坂本竜馬の暗殺された日です(慶応3年11月15日)。竜馬は命日と誕生日が同じという珍しい人ですので、今日は竜馬の誕生日という言い方もできます。ただし以上は江戸時代まで使われていた太陰暦上の日付なので、太陽暦になおすと1836年1月3日― 1867年12月10日となり、だいぶ印象が違ってきます。正月のめでたい中で生まれ、冬の入り口で亡くなった人ということです。
 冬の入り口というのがけっこう重要なポイントで、暗殺の夜は酷い寒さで、おまけに風邪気味だった竜馬はドテラまで着こんで火鉢を囲んでいたのです。この厚着が剣術家としての反応を遅れさせ、暗殺を防げなかった原因の一つになったとも言われています。

 ところで竜馬はいったい何歳で亡くなったと思います? 計算をすればすぐにわかることですが、それはわずか31歳だったのです。
 私は自分自身が31歳の時にそれに気づいて、ほんとうに絶望的な気持ちになりました。当時の私は薩長をまとめるどころか自分のクラスさえまとめられなかったのです。

  明治の立役者はすべて早熟です。ちょっと調べると、吉田松陰が1830年生まれで1859年の刑死、享年29歳でした。高杉晋作は享年28歳、久坂玄瑞は24歳、橋本左内は25歳で死んでいます。

 ついでに大政奉還のあった1867年、維新に寄与した人々が何歳であったかというと、
 木戸孝允が34歳。以下、
 江藤新平33歳
 後藤象二郎29歳
 福沢諭吉32歳
 伊藤博文26歳
 一橋慶喜30歳。
 そうとうに高齢だった印象のある西郷隆盛ですら39歳。
 大久保利通37歳。
 幕府方の立役者である勝海舟は44歳、
 朝廷の岩倉具視は42歳です。岩倉具視と言えば権謀術数に長けた妖怪みたいな男と言った印象がありますが、42歳の“妖怪”はやや若すぎます。

 本当に「今のオレ、何やってるんだろ」という気にもなりますが、270年も続いた幕藩体制をぶち壊して新しい国をつくるなどという荒っぽいこと(前の体制を壊しているうちに外国に攻め込まれるなどというのは、いかにもありそうなことでしたから)は、そのくらい若い連中でなければできなかったことなのかもしれません。