カイト・カフェ

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「偉かった子どもたち」~昔、偉かったのは教師ではない

 事情があって昭和40年(1965年)前後の、本校の児童数と職員数を調べてみました。

 驚いたことに児童数は今よりも100人も多い620人あまり、それに引きかえ、教職員数は今より7人乃至9人も少ない28〜30人というところです。わずか4分の3の人数で、1.2倍もの児童の面倒を見ていたわけです。
 この事実をもって何を知ることができるでしょう?

  1. 昔の先生は大変だった。
  2.  昔の先生は優秀で、少ない人数でも多くの児童を指導掌握できた。
    しかし私の答えは違います。
  3.   昔の子どもは偉かった。

 私は当時、その「偉かった」小学生の一人でしたが、授業中立ち歩いたり隣の子と話したりするような同級生は一人もいませんでした。何しろ発言するときと字を書くとき以外は背筋を伸ばして両手を後ろに回し、後ろ手で椅子の背もたれを持つようにしつけられていましたから、後ろはおろか横の子に話しかけることすら難しかったのです(ちょうど“休め”の姿勢のまま椅子に座って、背もたれを下からつかむ感じです)。

 また、小学生の間はめったに殴られることもありませんでしたが、中学校になるとやたら先生に殴られ、一週間一度も殴られずに帰るということは本当に稀でした。隣りのクラスで先生に殴られて奥歯を折ったヤツがいるというすごい話が聞こえてきたかと思ったら、理科の時間に教科担任が投げつけた岩石標本を素手で受け取ったツワモノが出てきて、これは武勇伝として長く語り継がれました。

 昔の教師が暴力的だったという話ではありません。昔の児童生徒が、そうした不条理にもよく対応できたということです。今の中国も同様ですが、これだったら1クラス何十人いてもうまくやっていけるはずです。