「思い出の教師たち」�@

 昔の教師の方が偉かったというのはウソです。「坊ちゃん」に出てくる赤シャツだのウラナリだのはみんなロクなものではありませんし「吾輩は猫である」の主人公(猫)の飼い主(珍野苦沙弥)だって大したことはない。「二十四の瞳」の大石先生なんて現代の教室に入れたらあっという間に学級崩壊です。確かに無着成恭のような偉大な教師もいましたが、彼とて「山びこ学校」を読んでいるとどうみても生徒が立派で、そのおかげで偉くしてもらったような気がしてなりません。それに比べると現代の教員はほんとうに優秀です。

 とりあえず驚くのは体罰なし、言葉と工夫だけで30人もの子どもたちを自在にコントロールできることです。私のように初任の時、最初に購入した教職グッズが“根性棒”(今でも神社・仏閣・観光地のお土産物屋で売っています。300円程度〜)といった手合いとは、そもそもデキが違います。

 教える内容も昔に比べたらずっと増えました。小学校の生活科、総合的な学習の時間、外国語活動、性教育、人権教育、環境教育。加えて中学校ではキャリア教育。昔はいじめなんかほとんどほったらかしでしたし、不登校もなかった(あったかもしれないがあまり対応しなかった)。今は保護者対応も難しくなり、マスコミ対策もたいへん。学校評価に教員自己評価、免許更新に不祥事対策。昔の教員にこんなものを突きつけたら皆、卒倒してしまうに違いありません。現代の教員の方が優秀に決まっています。

 しかし仕事は増え制約も増えましたが、人材も集まるようになりました。その上戦後だけでも70年余。さまざまな教師が研鑽を続け研究を深めてきたのですから、能力が高まらないはずがありません。昔の教師の方が偉かったように思えるのは、何といっても大卒の少ない時代でしたし、それだけ知恵もあるように見えただけのことです。

 ただし昔の方がユニークな先生がいた、変な人がいた、豪快な人がいた、それは事実のような気がします。何をやっても非難されることも懲戒を受けることも少ない時代でしたから、教員として強制も矯正されなかったのです。

 朝から酒の匂いをプンプンさせてくる先生、授業中に眠ってしまった人。家庭訪問を2軒残して酔いつぶれ、生徒の家に泊まってしまった人、地域との宴会で2階のベランダから小用を足して下を歩いていた警察署長にかけてしまい、大変なことになった校長、教育長と取っ組み合いになってバーのカウンター席から転げ落ちた教頭――酒に関する逸話は枚挙にいとまがありません。

 体罰体罰とも思っていませんでしたし、何気ない会話のいちいちは今やれば片端セクハラかパワハラです。それで何とかやっていたのですから、今から考えるとおおらかな時代でした。

 来年は心してその時代を思い出し、私自身が面倒を見てもらった先生、先輩としておつきあいただいた方々そしてかつての同僚たちの、悪行・愚行・破廉恥行を記録に残しておきたいと思います。そうしないといつまでたっても「昔の教師は偉かった」などといった誤解が解けないからです。

 昔の教師の方が偉かったなどということは絶対にありません。偉い人もいましたがその数は今よりずっと少なかったのです。少なかったから際立って見えただけなのです。