カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なぜ、『さん』をつけて呼ばなくてはならないのか」~美しい言葉遣いのために

 人の名前の下に「さん」や「くん」をつけると、その後に醜い言葉をつけることは困難になります。ためしに、「山田さん」に「バカヤロー」つけてみればいいのです。
「山田さんの、バカヤロー!」なんと間が抜けた、お茶目な言い方でしょう。
「バカヤロー!」と怒りを表現するには、どうしても「山田のバカヤロー!」でなくてはだめなのです。

 聖書に「初めに言葉ありき」と言います。言葉は事物より先にあり、人間の感情を規定します。やさしい言葉遣いや暖かなもの言いが、やさしさや暖かさを生み出すのであって、その逆ではありません。
 ためしに、これもしばらくの間、実験してみればいいのです。すきでもない人の名を唱えては「あなたが好き」と毎日100回ずつ言ってみれば一週間もしないうちに、その人のことを絶対に好きになっています。
 落ち着いたしゃべり方を心がけて半年も暮らせば、絶対に落ち着いた人間になっています。
 私たちは人の名の下に「さん」をつけて美しい言葉遣いの端緒とし、美しい言葉遣いによって美しい心根の人間をつくろうとするのです。

 諏訪哲二という人は「学校には子どもは来てはいけない。来ていいのは児童生徒だけだ」といいました。
 それはいわば学校にいる間は「児童生徒」というペルソナを身に着けよということです。そしてこのペルソナは、人を「さん」「くん」づけで呼ぶよう運命づけられています。学びの場にふさわしい言葉遣いが強制されるのです。もちろん家に帰って仮面を脱ぎ捨てれば、どんな呼び方をしようがその家の勝手です。家庭の教育のかたちにあわせればいいのです。そうした使い分けもできなくてはなりません。

 人を「さん」「くん」づけで呼ぶことの意義については、さまざまな考え方や言い方がありますし、子どもに通じやすい表現や大人でなければわからない趣向もあろうかと思いますが、私はそのように考えます。