カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なぜ中学校は3年なのだろう?」~小学1年生と6年生が同じ学校でいいのだろうか?

 なぜ小学校が6年、中学校は3年なのだろう?
 義務教育9年はたぶん予算から割り出した最大の年数だろうが、それにしても5・4制とか4・5制という割り振りのよいものにはできなかったのか?
 長く調べて来ましたがよく分からないところです。

 結局たどり着いたのは「6・3制の発祥の地であるアメリカでは13歳以上をティーン・エイジャーと呼ぶから13歳からは別の学校」という荒唐無稽な仮説です(しかし、案外これがあたっているかもしれません)。

 しかしそうは言っても、6・3制に科学的な根拠がまったくないわけではありません。というのは一般的に、平均13歳を越えないと人は抽象的な思考ができないと考えられているからです。ですから例えば数理処理については、12歳までは具体物に頼る「算数」、13歳になってからは抽象的な数理の世界「数学」になっていきます。「図工」も、「技術」という具体物の世界を切り放して「美術」という抽象的な領域に昇華します。
 ・・・と言うと日本の教師は「待てよ? 中学生にならなくても、抽象的な思考はできるだろう」と首を傾げるはずです。

 そうなのです。日本の子どもは13歳を待たずに抽象的な思考を獲得できるのです。そのことは1970年代にアメリカ・イスラエル・日本の共同研究によって明らかになっています。

 それはおそらく、「ひらがな」という強力な武器によって、日本の子どもだけが6歳を終える段階で自らのしゃべる言葉をすべて文に表記できる、という有利な環境によっています。綴りどおりに読むと「ベアウティフル」としか読めないbeautifulを「ビューティフル」と発音しなければならないアメリカの子どもたちとは、決定的に違うのです(pageを「パゲ」と読めば笑われるのは、日本の中学生もアメリカの小学生も同じです。本当にかわいそうです)。

 あるいはまた、文を最後まで聞かないと肯定か否定か分からない(「私は、頭がよく、弁舌巧みで、最高にハンサムな男、ではない」など)という日本語の構造にも由来するのかもしれません。

 いずれにしろ、日本の子どもは他の国々の子どもに対して2年ほど早く抽象性を獲得します。そしてだからこそ、東京都品川区のように4・3・2年制を試行したり、4・5制はどうかといった話し合いが可能になるのです。

 私自身は4・5制に気持ちが傾いています。6年生はもちろん5年生だって小学校1年生とすごさせるより、中学3年生と同じ場にいたほうがふさわしいでしょう。

 今のところ普通学校で4・5制あるいは5・4制を施行しようという本格的な動きはありません。しかし心しておかないといけないのは、日本では、5年生になるとそれまでとは違う子どもが目の前にいるということです。