10年ほど以前、日本の子どもは知識ばかりで(学力が足りないといわれる今とは雲泥の差だ)議論となるとまるでできない、とかで、盛んにディベート学習といったものが行われました。しかしその後、あっという間に廃れてしまいました。「ああ言えば上祐」と言われたオウム真理教の指導者、彼がディベートのプロだったので保護者たちが一斉に拒否反応を起こした、という一面もありましたが、議論で相手をやりこめるということ自体が日本人には馴染まなかったというのが本当のところでしょう。
今、悪評高い総合的な学習というのも本質的にはアメリカ生まれです。
日本で本格的に始められるまでは、アメリカの小中学校の教育が手本として何でもテレビで紹介されたのを覚えています。
さらに遡れば
母乳をやめて人工乳にした方がいいとか、
オンブは股関節脱臼を引き起こすから辞めた方がいいとか、
うつぶせ寝をさせると気分の安定した子が育つとか、
自立心を育てるためにはできるだけ早く添い寝を止めさせなければならないとか
・・・そういった子育て・教育情報の大半はアメリカ発で、私たちは律儀にそれを守り、ことごとく問題を引き起こしています。
日本発の子育て・教育は各国で見直され、
例えばニューヨーク州の一部では小中学校に制服が導入され、
サッチャー政権は日本の学習指導要領を真似て全国一律の教育カリキュラムをつく
ったりしています。しかし日本政府はそういうことにはお構いなしに、欧米を真似しようします。
個人情報保護は、「個人情報」がすぐさま人種や宗教差別につながりかねない、そういうアメリカの状況に対する対応策でした。それをまっすぐ日本に入れたりするから、日本の学校では学級連絡網もできない、教師が生徒名簿を持ち歩けない、必要なときに連絡が取れないといった異常事態が起きます。
アメリカの教員の地位は異常に低く、給与もべらぼうに安いことはつとに知られています。アメリカでは初等・中等教育は「生涯追及すべき仕事」ではありませんから、新任教師の20%は3年以内に職を去ってしまいます。みな座布団代わりの教員となれば当然、質は落ちるわけで、そこでどうしても教員評価をして必要な刺激を与え続けることになります。
ただし同じことを日本ですれば、これを一生の仕事と考え、真剣に取り組んでいる教員を傷つけます。
アメリカには、一般人が社会での実績を書いて送り、金を払うだけで学位や博士号を与えるようなペーパー大学が数多くあります。したがって「大学の自己点検・自己評価」は絶対必要になります。しかし設置基準がやたら厳しくて簡単には大学など設置できない日本で同じことをすると、大学は単年度の成果を次々と出さねばならなくなり、長期的な研究や人材養成などしなくなります。
アメリカ、アメリカ、アメリカ・・・・
学力で世界一を目指すなら、各下のアメリカやイギリスなどを見習わず、フィンランド・シンガポール・韓国・香港・台湾といったところに倣えばいいのに、政府は教育で失敗した国からしかモノを学ぼうとしません。
やりきれないことです。