歴史は繰り返される


 葬式ごっこで有名な富士見中学校いじめ自殺事件が1986年です。  現職の教員が葬式ごっこに加担していたことで、学校批判はピークに達しました。  本当はこのとき、葬式ごっこという不見識なゲームに教員が唯々諾々と巻き込まれていくシステムについて検証しておけばよかったのですが、マスメディアの熱狂の中で、「気の狂ったような教師が支配する学校」というイメージが定着して行ったのです。  おりしも不登校が全国規模で増加し、これも「学校の対面や校長の出世(校長がどう出世するのかは不明ですが)のために生徒を縛る学校の管理主義や、学校の評判を上げるための受験中心主義が原因」という見方が広くひろがりました。  さらに、  1987年には東京の中学校で女の子が私服登校。そのために教師から登校を阻止され、部活動も停止させられるという事件があり、翌1988年には、校則に反した髪形や服装の生徒を卒業式に出席させなかったり、卒業アルバムからはずすといった事件が各地の中学校で相次ぎました。  こうしたことに対して、世論は「厳しすぎ、細かすぎる校則」「意味のない、有害な校則」と問題にし始め、1988年になってようやく、当時の文部省は重い腰を上げて校則の全面的見直しを指示しました。 http://www.cebc.jp/data/education/gov/jp/tsuuchi/910410kou.htm  文書に (2)思い切った見直しが必要である。 とあるように、このときの見直しは徹底していて、学校によっては校則をゼロにして、そこから生徒とともにつくり上げるという作業をしたところまでありました。  当時私が勤務していた学校でも男子の丸刈りが廃止され、指定の上履きといったものもなくなりました。校則の決定権を生徒に引き渡すようなことはしませんでしたが、とにかく数だけでも減らせというのが全体の方向です。  私としては、校則の個々の条項については、保護者などから問題にされてから考えればいいと思っていたのですが、世論(マスメディア)も文部省も県教委も、このときは本気で腰をすえて校則の見直しを計っていましたから、ひとたまりもありません。  県によっては「半減」と数値目標まで設定して減らしたところもあったようです。  確かに、このとき新しい校則策定に関わった生徒たちは良かったのです。彼らは本気でそれに取り組みましたから。  しかしその後入学してきた子どもたちには、それすらも上から与えられたものでしたから、「最小限守るべき校則」としてつくったものも、努力目標くらいにしか思われなかったのです。  校則というのは一度廃されたら厳しい方向に立て直すのは容易ではありません。  校則の見直しの結果、いじめも不登校も減りもなくなりもしませんでした。そして、教師が生徒に手も足も出せないという状況が残りました。  例えば、教室で私語を繰り返して授業を邪魔する子どもがいても、教師は適当に相手をしながら、あまり酷くならないよう誘導するしか方法がありません。  蹴ったり殴ったりすることはもちろん教室外に出させることも立たせておくこともできません(もっとも今から立たせることを認めても、教師が「立ってろ!」と言って生徒が立っていてくれるかどうかは疑問ですが)。  怒鳴ったり皮肉を言えば「教師の心ないひと言が子どもを深く傷つけた」ですし、黙って目で静止すれば、男子は見ていませんし、女子は「先生がいやらしい目でこちらを見ていた」(!)ということになります。  さまざまな見方がありますが、シンボリックな意味で1988年が大きなターニングポイントだったと私は思っています。  当時、日本中が、校則を減らしさえすれば、不登校もいじめも、ありとあらゆる学校問題がなくなると信じていました。それで面食らっていたのは教員と、一部の「本当に学校を知っている人たち」だけでした。  それは現在、教員評価や免許の更新制、能力給。社会人教師の採用や全国に何十万人もいる(と錯覚させられている)指導力不足教員の排除によって、学力向上やいじめの根絶、不登校の解消が図られると、国中が信じているのと同じです。  私は1988年に起こったことが今また起ころうとしていると感じています。  今でも目いっぱい働いている教員を叩いて得られるのは、教員の著しい意欲の低下と不祥事の頻発、そして新たな教員希望者の極端な減少ではないかと思っています。  生徒や家庭や社会、そして学校の体制が今のままでは、学力も向上しませんし、いじめも不登校も、その他の学校問題も亡くなるはずがありません。