「東アジア情勢・教員の働き方改革はどうなっていくのだろう」~新年の不安

 世界は、特に朝鮮半島を中心とする政治情勢はどうなっていくのだろう。
「教員の働き方改革」は先生たちをさらに追い詰めることにならないか。
 それが心配で夜も寝られない。
というお話。

f:id:kite-cafe:20190108195305j:plainフランシスコ・デ・ゴヤ「運命の女神たち」)

 

【出遅れました】

 日本中の小中学校の大部分が昨日、3学期始業式を行ったというのに、学校に合わせて活動しているはずの私は出遅れてしまいました。
 原因のひとつは昨年度末に勘違いして9日(水)と予告してしまったことにこだわったからですが、もうひとつは書く内容に困ったからでもあります。

 例年は自分自身の年賀状を紹介したり、今年予定されている内外のできごとについて調べて書いたり、干支に関するウンチクをたらたら並べて年初めの記事としているのですが、昨年夏に義姉が亡くなって喪中であるため年賀状は書かず、年賀状もないのにことさらイノシシについて述べるのも違和感があり、今年予定されていることどもを調べ始めたら、ほんとうにこの通り行くのか、不安になってきたのです。

 

【世界はどうなっていくのだろう】

 もちろん3月末にイギリスはEUから離脱し、4月1日に新元号が発表され、5月1日は徳仁親王が即位されるはずです。
 6月にはフランスでFIFA女子ワールドカップが開かれ、9月には日本でラグビーのワールドカップが開催される。10月には消費税引き上げ。

 しかし、例えばイギリスのEU離脱にしても、曲がりなりにも合意の上に離脱するのとそうでないのとでは天と地ほどの違いがあります。場合によっては10月の日本の消費税引き上げすらできない。

「フランスで黄色いベストを着た人たちがワールドカップの会場に雪崩れ込んだら誰が選手か分からなくなる」というのは悪い冗談ですが、半年も先の話ですからどう状況が変わるか分かりません。はたして安全安心な大会になるのか。

 5月の新天皇即位は間違いなく行われますが、それが翳むほどの大事件が起こらないとも限りません。例えば「第二回米朝首脳会談 トランプ大統領 在韓米軍の撤退を北朝鮮に約束」というのはどうでしょう。

 考えてみれば在韓米軍の存続を望んでいるのは日本くらいなもので、中国・ロシア・北朝鮮は「ぜひともいなくなってほしい」と考えていますし、トランプ大統領も「なんでアメリカが金を使って他の国を守らなくちゃならんの?」と本気で考えています。さらに最近、韓国大統領府の特別補佐官も半島から米国の核の傘を取り除くことを検討し始めた(文正仁特別補佐官「国立外交院が韓半島非核地帯化について研究中」)とのことですから、あながち荒唐無稽な話でもありません。

 そう考えると、自衛隊機のレーダー照射事件でなぜ日本政府はいつになく強硬なのかとか、護衛艦「いずも」の空母化に野党もマスコミも本気で噛みつかないないのはなぜかとか、あれこれ怪しく見えてきたりします。もしかしたら金王朝による朝鮮統一・核保有国の成立は、一部政治家やマスコミの視野に入ってきているのかもしれません。

 もしそうなれば日本国内にも核武装論が持ち上がり、反対する人も少なくなるでしょう。

 

【国内――教師の働き方改革が心配】

 翻って国内について言えば、当面私は「教師の働き方改革」が不安です。
 これまで教育の世界で「改革」という名のついた出来事があるたびに教員は苦しくなってきたからです。
「生活科」も「総合的な学習」も「キャリア教育」も「プログラミング教育」も「小学校英語」も「教科としての道徳」も以前はなかったものです。
 それどころか戦後新しい学校制度ができたころには「道徳」すらもなかったのです。

 「全国学力学習状況調査」「学校評価」「教員評価」「学社連携」もなく「発達障害者支援法」「いじめ防止対策推進法」も制定されていませんでした。

 仕事を増やすだけ増やしておいて、現在、縮小の方向が出ているのは中学校の部活動だけ。これでは先生たちの息が詰まるのも当然です。

 かつて教員には「自宅研修」という制度があって(形としては今もあります)、長期休業の計画にそう書くだけであとは何をしてもよかったのですが、今はそういうわけにはいきません。研修報告など山ほど書かされますから面倒で取る人もいません。

 教員定数を増やそうという動きもまったくない。

 つまり「働け」「働け」「働け」というサインは山ほど出ていて、しかし同時に叫ばれ始めたのが、
「ただし勤務時間内に全部納めろよナ」
という恐ろしいものです。できない分は持ち帰れ、それが無理なら隠れて仕事をしろ、ということになりかねません。

 しかしそれほど危険な状況にありながら、先生たちは忙しすぎて自分たちの行く末について考えたり反対したりする暇がありません。
 やはり周囲の人間が見ていくしかないのです。

 巨大な社会の片隅の、そのまた片隅の、さらにまた片隅みたいな場所ですが、私もこのブログを書きながら考えていきたいと思います。

 本年もよろしくお願いします。