カイト・カフェ

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「教員の働き方改革:私に名案がある=教育内容の一部一時停止」~人々は学校を見捨て始めた③ 

 教員不足はいよいよ喫緊の問題となった。
 しかし山のように膨らんだ学校教育の寄せ鍋を、
 今から正そうという人はいない。
 私には名案がある。いちど上に積んだ具材を下ろすのだ。

という話。

(写真:フォトAC)


【教師の怨嗟を引き出す記事】 

 讀賣新聞は13日の「教員不足深刻、免許あっても教えていない『潜在教員』活用へ…文部科学省」という記事で、文科省が教員免許を持ちながら教職に就いていない人材の掘り起こしを始めたことを伝え、毎日新聞は14日の紙面で「『いつ倒れてもおかしくない』神戸の小中学校教員、26人不足」と神戸市内の窮状を伝えたあとで、文科省が特別免許(教員免許を持っていない人材に臨時で与える免許)の有効活用を推奨していると添えています。
 前者では「教員免許を持っていても自らの指導力や子供への接し方の不安が、学校に戻る心理的なハードルになっている。」などと潜在教員が復帰しないのはあたかも彼らの自信のなさに原因があるような表現をし、後者では精神疾患などによる病休や産休取得が増える一方で」と、こちらも悪いのは本人たちだと言わんばかりの書き方で、現場からは非難、憎悪、怨嗟、絶望の声が上がっています。


文科省を責めても気の毒だ】

 かつての「日本、死ね」ではないですが、「文科省、バカか?」「脳は足りているのか」の声はネット上の津々浦々に広がっています。しかしこの件に関して、私はむしろ文科省に同情的です。文科省もバカを承知でこうした弥縫策を出しているのです。他にできることが残っていませんから。

 文科省に教員の大幅増加や仕事内容の削減を決める権限はありません。決めるのは内閣であり国会です。官僚は内閣の配下、大臣や国会議員の考えたことを実現するのが仕事で、かつての官僚政治のように主体的に判断し行動するようにはなっていません。

 議員たちはさまざまな「国民の声」を背負って永田町に来ています。
 教員獲得のための増税などとんでもない、公務員はできるだけ減らしてほしい、勉強だけは世界トップクラスでいてほしい、家庭では十分にできない躾もお願いしたい、新たな時代にふさわしい教育をしてほしい、古い教育もおろそかにしないで――とここに届く「国民の声」は国会や内閣で議決され、文科省に下りてくる、それをすべて実現していたらこうなってしまったのです。


【日本の学校教育の寄せ鍋】

 私はこの状況をよく寄せ鍋に例えますが、かつては国語・算数・理科・社会といった基本的教科と道徳が整然と入っていた寄せ鍋に、顧客の要求する新たな具材(総合的な学習の時間や食育、防災教育、性教育、ICT教育、小学校英語、プログラミング、全国学テなど)を、乞われるままに乗せて行ったため、いよいよ切羽詰まってきた、まず蓋が被さらなくなった、具に十分火が通らなくなった、煮こぼれするようになった、飛び散った出汁で客が火傷をした、火が消えて二度と点かなくなった等々。現在あるのはそういった状況です。
 しかし誰も具を減らそうとせず、鍋(教員数)を大きなものに代えようともしません。

 比較的大きな具材である「部活」を取り除くアイデアもありましたが、何しろ歴史ある――つまり鍋の底の方にある具材ですから抜くに抜けない。そこでやむなく考え出されたのが「上手な具の乗せ方」とか「吹きこぼれしないための火の調整」といったビデオをつくり、オンラインで流すことです。本質的な解決策ではありませんから、バカにされるに決まっています。
 こんなつまらぬ仕事のために日夜忙殺され、ようやく仕上げたにも関わらず罵倒され、しかも黙っていなければならない――国家公務員上級試験に人材が集まらなくなったというのも、よくわかる話です。


【結局は増員以外ありえない】

 私は日本の学校について、たびたび不安を募らせ、絶望し、恨み言を言ったりしてきましたが、それでも何度も立ち上がってアイデアをだしてきたつもりです。

 教員の働き方改革の肝は、増員以外にありえません。
 「加配によって教員数を増やしても、学校は良くならない」といった文科省の資料もありますが、加配の数が少なすぎたのです。大火事の真っ最中にバケツ5杯の水で消せと言われても困ります。大砲十門を送るからこれでロシア軍を一気に追い返せと言われたらゼレンスキーも黙っていないでしょう。

 学校を、普通の教師の常識的な努力で運営できるようにするためには、少なくとも現在の1・5倍くらいの教師が必要です。その増員分で、小学校は算数専科や体育専科、総合的な学習の時間専科や特別の教科道徳の専科を置けばいい。中学校は「担任」自体を専科として、教科指導をしないところから始めるのがよい。そのくらい学級担任の仕事は苛酷だからです。
 部活顧問を引き受けてくれる先生は時差出勤とし、10時からは教科指導、5時からは2時間程度の部活をして帰ればいい。土日の練習には手当をだす。それでいいと思います。
 しかし予算上、10年経っても、そんなことはやるはずがない――。


【私にアイデアがある】

 そこで私は臨時の、つなぎの方策について提案します。一刻も早く対応しないと、先生のいない学校が次々と増えてしまうからです。

 私の対応策、それは平成以降に追加された新たな授業・教育・事業については、教員不足が十分に解消するまで、少なくとも3年間は凍結して古い姿に戻すことです。昭和の時代、心の病で休職する人も中途退職する人も今よりずっと少なく、教職は学生に人気の職業でした。

 今回の参議院選でも、消費税の一時停止もしくは削減を訴えた政党がありますが、それと同じです。
 原則として学校で教えるのは中学校では9教科、小学校で8教科、それと道徳、特別活動。総合的な学習の時間や小学校英語は中断します。もちろんキャリア教育だの食育だのも中絶です。
 教育内容以外で言えば全国学力学習状況調査(全国学テ)、教員評価・学校評価等の評価、免許更新制はなくなりましたからそれに代わる新たな研修、その他いまは思い出せない諸々の新制度、とにかく昭和時代になかったものはすべて中断です。

 3年経っても状況が良くならなければ(たぶん良くならない)延長、また3年経ったら再延長。世界恐慌や平成不況並みの不景気が来ない限り、教職人気は復活しませんからいつか大部分が忘れられ、そのうち新しい時代が来るでしょう。

 以上、戯言ではありません。この辺りが妥協点で、これをしなければ教員は、減ることはあっても増えることはないのです。

(この稿、終了)