学校は理解されていない、
保護者も理解されていない、
子どもたちも、その本当の姿は理解されていない
学校はひたすら頭を下げるのが仕事
それが30年前の「神戸高塚高校の校門圧死事件」が残したものだ
という話。
【最初に、本質的でない部分について】
町田市における高校教師暴力事件についてはほぼすべての情報番組が扱いましたが、本当に素人っぽいコメントがいくつも出されて辟易しました。
そのひとつは「親は何をしていたのでしょうねぇ」とか「親はピアスについて何も言わなかったのでしょうか」といった親の責任を軽々しく問うものです。
小学生ならともかく、あそこまで平気で教師に悪態をつくような高校生を止める手立ては、普通の親は持っていません。すでに手遅れなのです。
ある報道(フジテレビ「バイキング」)では、今回の件で学校の謝罪を受けた保護者は「許せない。(謝罪に対しては)100%受け入れるという心情になれない」と語ったそうですが、もしあの動画を理解した上でそう言っているならこれはもう特殊な親御さんですから別の解釈が必要となります。しかし普通、非行少年をもった保護者はいつだって苦しんでいるのです。
そんな親の責任を言い立てても何の解決にもなりません。本来はともに手を携えて、一緒に考えて行かなくてはならない人たちです。
あるいは、昔の子どもは教師に向かってあんな口のきき方はしなかったというのも単なる記憶違いです。
先生に向かって「ふざけんな」とか「バカヤロー」とか言う生徒は、私が子どものころでさえいました。ただし本気でそう言って勝負に出れば昔の教師はあちらも本気で殴り返してきましたから、たいていは捨て台詞のように使ってその場を退散するだけでした。あとで陰で、静かに手打ちは行われたようです。
「もしかしたらこの事件は、たった一人の生徒指導担当にすべてを任せ、他の先生たちが逃げてしまったから起こったものなのかもしれない。ひとりでストレスを抱え続けた教師が、ついに支えきれなくなって――」
そう語った情報番組のコメンテーターがいました。
確かに問題の動画の中にも、左奥でこちらを見ていながら途中で教室の中に入ってしまう大人の姿が見えますし、暴力のあとで駆け付けた数人の中にも先生らしき人がいて、“このひとはそれまで何をしていたのか”といった疑問がわかないわけではありません。
しかし私には理解できるのです。同じ状況なら私も安易に口出しをしたりしません。
教員というのは非常に独立性の高い職業で、しかも扱う内容が繊細ですから事情も知らずに横から口を出してよいことはめったにないのです。生徒が暴れているとか、まさに今いじめられているといった状況でない限り、とりあえず遠くから見守っているというのはよくあることです。
もちろん何の対応策も持たない若い教師もいれば生徒から舐められ切って役に立たない先生もいます。そういう人たちはなかなか危険な場面に出て来なかったりしますがそれは致し方ないでしょう。しかしそれ以外の場合で、教師が誰か一人に生徒指導を任せて逃げているということはまず考えられません。
逃げていることを見透かされれば明日にも餌食になってしまいますから、行くべきときは意地でも行かなければならないのです。
【学校が児童生徒の非を述べることは許されない】
校長がインタビューで「生徒に非のあるような話ではない」と語り、「校則違反をしていたわけではない」とまで言って全く教師を守ろうとしなかったことについても、「学校はそのように教育されてきた」と答えるしかありません。
私は本来、人間関係のトラブルに100対0はないと私は考えます。しかしこと学校に限って言えば違います。いじめは100対0で加害者が悪く、その責任は100%学校が負うべきものです。不登校もマスメディアに取り上げられるのは学校や教師、そしていじめを原因とするものだけです。教師の暴力は100対0で教師が悪いということになっています。
実は児童生徒に非のある場合もあって、過去何十年もの間、幾多の先輩教師、校長、教育委員会が抵抗を試みましたが抵抗すればするだけ状況は悪化しましたから、やがてすべてを受け入れるようになったのです。
分かり易い例で言えば“いじめ”の訴えがあった時、マスコミ相手に「ありませんでした」と語るマヌケな校長は、今日ひとりもいないでしょう。とりあえず「ありました」と認め、あとは第三者委員会をつくって丸投げしないと大変な目にあうからです。
体罰や教師の暴力があったら原因や経緯について細々と語ってはいけません。それらはすべて「言い訳」「弁明」「隠匿」と受け取られかねないからです。いったんそう思われたら、痛くもない腹も探られ、事態はいつまでたっても収まりません。
「教師の暴力という、あってはならないことがありました。心よりお詫び申し上げます」
と言って20秒以上頭を下げるしかないのです。
事なかれ主義だと馬鹿にされます。しかし事を構えて玉砕し、学校の機能不全が何カ月も続くことを思えば、その程度の誹りはいくらでも我慢できます。
なぜそこまで学校は卑屈になってしまったのか。
そのきっかけとなったのが30年近く以前の神戸高塚高校の校門圧死事件(1990)だったと私は考えています。
【神戸高塚高校の校門圧死事件】
この事件は朝、正門前で遅刻指導をしていた教師が時間と同時にスライド式の鉄製の校門を勢いよく閉めたところ、滑りこもうとした女生徒が頭を門扉と校門の間に挟んでしまい亡くなったという事件です。
もちろん門扉を閉めた教諭は懲戒免職となり、のちに裁判で禁固1年執行猶予3年を言い渡されていますから“事件”には違いないのですが、当時も今も、私はそれが“事件”ではなく”事故“だったと思っています。そんな乱暴な閉め方をした教師の気持ちが分かるからです。
門を閉めずに登校指導をしたら、後から後から入ってくる生徒を防ぎきれません。遅刻したひとりにペナルティを宣告している最中に十数名も入ってくるようでは、公平性を保てません。
もちろん登校時刻に向けて徐々に門を閉めていき、最後は人ひとりが通れるだけの広さにして時刻とともに閉めるというキメの細かい方法も考えられますが、それは後知恵で、閉まりつつある鉄製の門扉に、突入してくる生徒が頭から挟まるといことはまったく想定していなかったのです。
ただし裁判では「生徒が制裁などを避けるため閉まりかけの門に走り込むことは予測できた。他の当番教師との安全面の打合せはなく過失があった」とされ、学校にとっては重大な教訓となりましたが、事態はそれだけでは済まなかったのです。
裁判では業務上過失致死で有罪となった教師は、社会的には校門殺人の犯人とされました。偏執的な生徒指導の担当者で、生徒の命を何とも思わない人非人、極悪人――事件の社会的影響は大きく、校門指導をはじめとするすべての校則が見直され、教師の管理的・暴力的な教育が議論されました。学校はひとつの暴力装置と考えられるようになり、その権威や権力に対抗することはむしろ正当な権利だとする雰囲気が広がったのです。
現場では良好な師弟関係が培われていたにもかかわらず、「教師に与えられた絶対的な権力」「教師と生徒の圧倒的な力の差」といった幻想、「学校という名の戦場」「教室という名の牢獄」「生徒を奴隷のように扱う教師たち」といった幻影が学校のイメージとして定着したのです。
そしてこのころから、たとえ何があっても教師は生徒に暴力をふるってはいけない、教師の暴力には動機を問わない、そもそも暴力に至った経緯については聞かないという方向性が生まれたのです。
(この稿、続く)