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「文科省は、逆さにして振り回しても鼻血の一滴も出ない」~教員の働き方改革が進まないわけ⑥

 現場の教師でも、ベテランには危機感のない人がいる。
 ぬるま湯から始めた熱湯ガエルだからアテにならない。
 校長の権限など“へ”みたいなもので、ここにも期待へ寄せられない。
 もちろん文科省はダメだ。
という話。(写真:フォトAC)
 

【熱湯ガエルとベテラン教師】 

 教師たちにとって、今日の教員不足はまったく予想できないものでした。現に再任用制度の始まった当初(と言ってもわずか9年前ですが)、再任用は正規職員だから、これに応募することは若い教員志望の席を奪うことになる、だからせめて管理職は応募を遠慮するように、とお達しが出たほどです。
 なぜそこまで予想できなかったのか、これはいわゆる「熱湯ガエル」の問題だからです。

 総合的な学習の時間や環境教育など私たちが「追加教育」とよぶものは、ある日突然ドカッと降ってきたものではありません。それは徐々に、静かにやってきたのです。
 そのひとつひとつはベテラン教師、教員歴20数年、授業や生徒指導はあるていど目を瞑っていてもできる教師にとっては、さほど苦しいものではありませんでした。だから受け入れられたのです。

 一方若い教師たちは、平成の間じゅう耐え続け、なんとかやれるようになってきた――特に平成はじめの「失われた20年間」に教員になった人たちは、30倍近い競争率を勝ち抜いてきたエリートですから、たいていの困難は克服できたのです。その優秀さは、教員ではありませんが一般公務員であった私の弟が「将来、20歳も若いアイツらに出世競争で負けても、オレは我慢できる」といったほどでした。

 それが、「失われた20年」が終わって普通に優秀な若者たちが合格するようになってからら、様子が変わってきます。彼らは教員世界の熱湯ぶりに気づいて、すぐさま職場を飛び出したのです。彼らこそ「熱湯ガエル」の別のグループです。そして後輩たちに伝えた――とてもではないが人間のやる仕事ではない、と。
 今日の講師不足、受験者の減少の背景にはそういった事情があったと思われます。

 ただしここで言いたいのはそれではなく、ベテラン教員や定年退職教員はぬるま湯のカエルですから、この人たちに期待しても無理だということです。若い人たちの大変さが理解できません。
 「オレたちだって若いころはたいへんだった」
 そんなふうに言われるのがオチです。では同じベテランでも、校長だったらどうか――。

【校長の権限など“へ”みたいなもの】

 若い先生方の中には校長に期待し、やがて失望する人たちが少なくありません。校長はその巨大な権限をなぜ控えるのか、自分たちがこんなに苦しんでいるのになぜ動かないのか、と――。
 しかしそれは誤解です。校長に大きな権限などありません。人事権も予算編成権もないのですから。
 かつてある校長が、こんなふうに教えてくれたことがあります。
「校長の仕事なんて、挨拶をして責任を取ることくらいしかないよ」
 それはまったくその通りで、児童・生徒総会から部活発足会、就学旅行の出発の会からPTA総会と、挨拶する機会はいくらでもあります。しかしその他の時間は、事務処理をしたり危機の備えたりと、大した仕事はありません。ただ首を洗っているだけです。

 いや、メディアやSNSによると、通知票をやめた校長や、校則をなくした校長など、創造的な仕事をしている校長はいくらでもいるじゃないか、という話になりそうですが、もう少し調べたほうがよろしい。校長の創造的な仕事の多くは、教職員に負担を場合が少なくないからです。
 例えば校長が本気で「地域に開かれた学校」を目指し始めたら何が起こりますか? あるいは「子どもたちが毎日たのしく登校してくる学校」を本気で追求し始めたら、先生たちは何をしなくてはならなくなるでしょう?
 
 もちろん「通知票をなくした」「校則をなくした」といった、教師の負担をむしろ軽減するような改革を成し遂げる校長もいますが、たいていは民間人校長だったり再任用校長だったり――。すでに退職金ももらって後顧の憂いなく、しかも校長会や教育委員会ににらみの効く大御所ばかりです。他校と足並みの揃えないスタンドプレーの改革は、その校長が辞めればあっという間に元に戻ってしまいます。
 通知票や校則のない学校なんて、保護者にとっても地域にとっても、ちっともうれしくない存在だからです。大御所ですらそんな状態ですから、普通の校長は叩いても何も出て来ません。

【逆さに降っても鼻血も出ない文科省

 文科省があてにならないことは既に話しました。
 少なくとも35人学級が完成するまでは、財務省は教員増のための予算は1円たりとも出しません。小学校英語やITCのような追加教育についても、いいことだらけですから減らすことはできない。
 教員免許更新制はなくなりましたが、教員の日常業務をそれほど楽にするものでもありませんでした。雑収入を失った大学と、もう2度も自腹で更新講習を受けたベテラン教員の怒りを買っただけです。
 文科省は逆さにして振り回しても、もう鼻血の一滴も出て来ないのです。
 
 だったら私たちはこの怒りをどこに持って行き、要求の一部なりともを、どう達成したらいいのでしょうか。
 
 (次回、最終《になるかな?》)