「キース・アウト」を更新しました。

出し切ったはずなのに膀胱内に残る尿は350cc。
ペットボトル1本分。
これではまたすぐに行きたくなるわけだ。
膀胱は疲れ切っている、膀胱は神経質にもなっている。

(写真:フォトAC)
心臓だの肝臓だのといった大型の臓器については学校で学びますからたいていの人が形や役割・位置などについて知識がありますが膵臓(すいぞう)や脾臓(ひぞう)、あるいは甲状腺だのはどこにあってどんな役割をしているのか、わからないのが普通です。ましてや前立腺は男性にしかなく、ここに異常があって悩んでいる人はほとんどが老人ですから、若い人には関心の薄い臓器と言ってもいいでしょう。
かくいう私も1年前に知っていたのは、名前そのものとがんになりやすい臓器であることと、それにもかかわらず5年生存率は92.1%と乳がん(88.0%)、子宮がん(75.5%)をはるかに上回る好成績だということ、それくらいしか知りませんでした。昨年1月の人間ドックで前立腺がんかもしれないと言われて*1、初めて調べる気になったものです。
前立腺というのは膀胱の下にあるクルミ程度の大きさ(20g)の臓器で、そこへ尿道と精管が挿入されていて、中心部で合流し、一本になって尿道口に向かうようになっています。主な役割は精液の30%ほどにあたる前立腺液を作ること、そして精液を体外に送り出すことです。後者について具体的に言うと、射精時に全体が収縮して精液を尿道へ送り出すとともに、精液が膀胱へ逆流するのを防ぐ働きもしているのです。
精管というのは精液の7割と精子そのものを生産する空冷付きの装置(=睾丸)から、遠く迂回して前立腺まで繋がっている管で、精液は前立腺のすぐ手前の精嚢にいったん蓄えられ、そこから前立腺内の尿道に向かって移動するのです。
膀胱の前で守るように立っているので「前立腺」という名があるらしいのですが、元はギリシャ語の「前に存在する」だと言われています。女性にはない臓器で、男性も生殖可能年齢が過ぎると必要なくなる臓器です。用がなくなれば退化して消えていってもよさそうなものですが、困ったことに前立腺は小さくなるのではなく、逆に大きくなる傾向があります。外に向かって大きくなるだけならまだしも、内側にも圧力を高めるため、必然的に尿道を圧迫して尿を出にくくします。それが生活に支障をきたすようになると、「前立腺肥大症」という病気名がつくのです。私の場合がそうです。
常時、尿道を締め上げているわけですから、出にくくなって当然です。
12月にいよいよ病気だと覚悟しましたが、1月に人間ドックを控えていたのでその結果と紹介状を持って、1月の中旬に町の泌尿器科を受診することにしました。ほんとうは昨年も前立腺がんの検査をやってもらったドックと同じ病院にしたかったのですが、何しろ混むこととドックの医師が町医者の方が薬をもらうのに便利だからと熱心に勧めるので、自宅から一番近いところに予約したのです。
泌尿器科では最初に下腹部の超音波検査をして「ウン、膀胱には問題はなさそうですね」と言われて、そのあと看護師に紙コップを渡され、
「オシッコだいぶ溜まっていますね。検査でたくさんつかいますから目盛りの半分以上になるよう、採尿してください」
と言われます。
しかし私は二重に困惑します。というのは病院に来るまでの車中が怖くて、家を出る前に何度もトイレに行って尿を絞り切ってきたからです。尿が溜まっているはずもなく、コップ半分なんて出るはずもなかったからです(あとから聞くと、泌尿器科の受診はむしろ水を飲んで出しやすくしていくものらしいのです)。
案の定、トイレでは苦労させられ、10分間、2度にわたる挑戦でようやく半分量(150ccあまり)の採取をしてそれで勘弁してもらいました。それから再び超音波検査。そして衝撃的な話を聞くのです。
「やはり残っていますね。350cc」
あんなに苦労して絞り出した150ccなのにまだ350ccも体内に残っている――? 病院に来る前にすっかり空にしてきたつもりの膀胱に500ccもの尿が残っていて、そこから150cc排泄するのが精いっぱい。それなのにまだ倍以上が残っている――私の中で何が起こっているのでしょう?
MicrosoftのAI“Copilot” に訊くとこんな答えが返ってきます。
《なぜそんなに残ることがあるのか》
前立腺肥大が進むと、膀胱の出口が狭くなり、次のようなことが起こります。
● 膀胱が十分に収縮できない。
● 膀胱が過伸展して“鈍くなる” (長期間、膀胱に尿が溜まりやすい状態が続くと、膀胱の筋肉が疲れてしまい、「満タンなのにあまり感じない」という状態になることがあります)。
10分かけて150ccしか出なかったということは、膀胱がかなり頑張っても出し切れていない状態が推測されます
なるほど。
病院からは「タムスロシン塩酸塩」という毎朝食後に飲む薬を一カ月分もらってきました。前立腺周囲の筋肉の緊張をやわらげて尿道の締まりをゆるめ、尿の通り道を広げる薬だそうで、その効果は、夜間頻尿に対しては劇的でした。わずか一週間で睡眠時覚醒は一晩一回程度に減り、ゆっくり休めるようになりました。
昼間のトイレ回数も少し減った気もしますが、突然の尿意は、来るときは来ます。「いきなりカウントダウン『発射2秒前!』」には変わりありません。
それについてCopilotはこんなふうに解説します。
《膀胱が過敏になっている(過活動膀胱の要素)》
前立腺肥大で尿が出にくい状態が続くと、膀胱は常に強い力で押し出そうとします。その結果、膀胱の神経が敏感になり、「少し尿がたまるだけで『今すぐ出したい!』と誤作動する。尿が実際にはそれほど溜まっていないのに強烈な尿意が出る」ということが起こります。
これが 突然の強い尿意(尿意切迫感) の正体です。
よく理解できる話です。要するに前立腺肥大のために尿が出にくく、満タンなのに出て行かないときがある。同じ状態が繰り返されることで、膀胱が疲れて鈍感になり、「溜まっている」ことが認識できなくなる。それが第一の誤作動。
他方、そうはいっても尿は溜まっているので、膀胱は思い出したように「早く出さなくちゃ!」と過活動気味になる、それが第二の誤作動。
二つの誤作動が絡み合って、訳の分からないことになっているのです。
だとしたらやることは二つ。薬をきちんと飲んで1回の排尿でできるだけたくさん出せるようにすること。もうひとつは、頻繁にトイレに行かずに、
「さっき言ったばかりだから、今は出すときじゃないよ、十分に我慢できる時間だよ」
と膀胱に教育を施すことです。
しばらく頑張ってみましょう。
(この稿、終了)
“頻尿”との付き合いも、はや半世紀以上、
長くなりすぎて悩むこともない。
このまま持ち越せばいいと思ってきたが、
ここにきて、明らかに局面が変わってきた。
(写真:フォトAC)
10代の頃から付き合ってきた“頻尿”、不便なこともありましたが50年以上も一緒だと慣れてしまった面もあります。生活の一部として溶け込んでいますから悩んだり苦しんだりというほどのこともなかったのです。
だからこれまで一度も治療しようとしなかったのかというとそうでもなく、50代の初めに一度だけ病院に行ったことがあります。映画が好きでDVDやサブスクではしょっちゅう観ていたのですが、定年退職後は映画館の大画面で月に2~3本は観る計画をしていて、今のうちから治しておこうと思ったのです。
町の比較的大きな病院で、診断名は「過活動膀胱」。薬をもらって帰ってきました。
けれど気持ちのどこかに「これは精神性のものであって機能的な問題ではない」という思いがあったり、同じ状況(例えば高距離ドライブ)でも症状が出るときと出ないときがあって、薬を飲んでも効いているのかどうかよく分からないといった事情もあったりして、服薬も長続きしません。結局、通院2回、2か月分の薬を飲み終えたところでやめてしまいました。症状に何の改善も悪化も見られません。
過活動膀胱、読んで字のごとくだとしたら“膀胱の活動が行き過ぎてトイレが近い”ということだと思うのですが、私の場合、膀胱の活動が盛んでどんどん尿が生産され、どんどん外に出ていくという感じではなく、1回1回の尿の量は呆れるほど少ないのです。改めて気を取り直し、泌尿器科に行ってもまた過活動膀胱と言われて、同じように効いているのかいないのか分からないような薬をもらってくるのも面白くありません。
そこで放置しておいたのですが、ここにきて本格的に治療しようという気になりました。そこには特別な事情があります。ひとつは、夜のトイレです。
昨年の5月~10月くらいにかけて、ちょっと難しい問題を抱えていて、夜中に目を覚ますとそのことが浮かんできて、頭が冴えて眠れないということが多くなっていました。悩むというよりは思い出しては腹を立てている感じです。夜10時半に床に就いて午前2時ころに目を覚まし、そのまま眠れないときもありましたから体力的にもかなり苦しくなっていきます。
しかし改めて考えると、精神的な問題を抱えているから夜中に目が覚めるというのもピンとこない話です。思い詰めて眠れないというのなら、そもそも床に就いたところから眠れなくてもよさそうなものです。ところが私の場合は、寝つきがすこぶるいいのです。日常的に睡眠不足が積み重なっていますから昼間でも眠い、夜が近づくとさらに眠くなり、就寝時刻は突っ伏すように寝てしまう、そのあとで夜中に目を覚まして、そのまま眠れなくなってしまうことがあるという話なのです。
なぜ目を覚ましてしまうのか、なぜ二度と眠れないのか――昨年のブログを読むとけっこうあれこれ考えている様子が浮かんできます。
「年寄りというのは漠然とした不安を抱えていて、それが睡眠を妨げているのではないか」と思ったり*1、「肉体が十分睡眠を必要とするほど、疲れることができなくなっているからではないか」と想像したり*2、原因追求よりも対症療法とばかりにホットミルクが快眠にいいらしいと言いだして毎日飲んでみたり*3、ホットミルクは悪くはないが特効薬ではないと言い直したり*4、あれこれ迷っている様子がうかがえます。
そして12月になり、睡眠中の中途覚醒が習慣や精神的な問題ではなく、はっきりと病的なものだと分かってきます。寝付いてからほぼ1時間から1時間半に1度の割合、つまり一晩で都合4回から5回は起きて布団を抜け出すようになったのです。
そしてそうこうするうちに、昼間の習慣にも異常が現れ始めます。以前なら尿意を催してから5分~10分くらいは簡単に我慢できたところが、「トイレに行きたい」から「あ、ヤバイ、爆発しそう!」までがものすごく短くなって、ほんの1~2秒で肉体的発射準備が整ってしまうのです。もちろん文化人としての私の人格的発射準備は整いません。トイレ、または用を足してもいいような屋外の隠された場所へ移動するだけでも、1~2秒で済まないからです。
そうなると体中での安全保障上の緊張が一気に高まり、発射意欲と下半身の筋力が拮抗したまま、さらに数秒を耐えなくてはなりません。その間に環境が整えば発射! 整わなければ――ところが今のところは漏らしたことがなく、コップ1杯分ほどのアブラ汗を流した後は、尿意が跡形もなく、忽然と消えてしまうのです。本当にあっけらかんとした状態で、そのまま30分以上もトイレに行きたいと思わなくなったりします。さっきのアブラ汗は何だったのでしょう。
これは50年以上に渡って慣れ親しんできた頻尿とは明らかに違います。精神的な問題ではなく、肉体的な障害です。
そこで改めてネットで調べると“頻尿”の原因ひとつとして大きくクローズアップされてくるのが前立腺肥大です。それには心あたりがありました。
(この稿、続く)
肺がん手術も含めて3回も入院したが私は元気。
しかし十代のころから頻尿問題では苦労してきた。
あれもできない、これもできない、こういうことも難しい――。
そして限界がくる。
(写真:フォトAC)
30代の半ばに声帯ポリープの手術をし、40代前半で肺がんのために右上葉と呼ばれる部位の摘出手術を受けました。と、ここまで書いて不意に思い出したのですが、40代の最後の方でいかなる理由か右の足首付近が急に腫れはじめ、病院で検査してもらったら黄色ブドウ球菌やら嫌気菌(けんききん:「いやけきん」ではない)やらが大量に入っていて、「このままだと膝下から切断しなくてはなりません」と言われて丸1週間、入院したことがありました。
以上、3回の入院を除けばすこぶる健康な人生でした――と言っても3回も入院していれば健康とは言い難いかもしれませんが――。
結婚して38年になる妻は出産以外で入院したことはなく、四つ年下の弟も一度も入院したことはありません。現在98歳の母は、若いころに自ら運転するバイクで信号待ちの乗用車に後ろから突っ込んだことがありますがそのときと、父の無謀運転事故に巻き込まれたときの2回だけ入院しましたが、そのあと95歳で心臓ペースメーカーの手術を受けるまで、入院というものを一切経験したことがありません。
そう考えると入院しない人生のほうが一般的なのかもしれませんが、私だって、入院と入院の間は何かの治療を受けたり苦しんだりしたことはまったくなかったのです。
ただひとつのことを除けば――。
その「ただひとつのこと」というのは「頻尿」です。
いつごろから症状があったのかは思い出せませんが、大学生のころにはすでに始まっていて、1時限100分の講義がしばしば死ぬほど苦しくて、途中退席してそのまま戻らないことが何回もありました。
飲み会では必ず出口に一番近いところに席を取り、ひとに迷惑をかけずにトイレに行けるようにしていたのですが、ある時わざわざ席を動かしてまで私の前に座りたがる女の子がいて、てっきり気があるのかと思ったら私と同じ理由で出入口近くと決めている子でした。そうと分かると最初は笑って席を外しあっていたのですが途中から互いにうんざりし始め、最後は憎み合うような感じになってしまいます。お互いの下半身事情を察し合いながら飲んで楽しいわけがない。こればかりは同病のよしみというわけにはいかないのです。
結婚してからも同じで、あまりにも回数が多いので、小学校の2~3年生のころの娘のシーナは私の口真似をして、
「おーい、出発するぞ。みんなトイレは済ませたか? シーナ大丈夫かぁ? アキュラは大丈夫かぁ? お母さんもいいかぁ?・・・オレ、やっぱりもう一回トイレに行っておくワ」
と長口上でからかう始末。
10年ほど前、車で1時間ほどの温泉宿に向かう間になんと8回ものトイレ休憩。それも自家用車だから対応できたのであって、公共交通機関ではそうもいきません。
一度、山岳ホテルの送迎バスで最後まで持たず、途中で停めてもらって用を足してからは、トイレのついていない公共交通には乗らないよう極力注意してきました。高速遠距離バスも必ずトイレ付きかどうかを確認してから予約するのですが、不思議なことにトイレ付きだと2~3時間も尿意を催さず、無事、目的地まで着いたりします。やはり精神的なものなのでしょう。
そんな生活を50年近くも続けてきました。
映画が最後まで見られない、芝居も見られない、映画館・劇場から足が遠のく。長い会議にも耐えられないので何かの役を背負ったり参加したりすることもできない。極めつけは息子と行ったローマで、街のトイレ事情があまりにも悪いためにホテルに早く帰ろうとして満員の地下鉄に乗り、そこでスリ被害に遭う*1――、と惨憺たるありさまです。
それでも医者にかからなかったのは、やはり「気持ちの問題だ」という思いがあったからですが、それもやがて限界を迎えます。
(この稿、続く)
80代は『健康なヤツ』が勝ち。
しかし意外と難しい課題だ。
数値が老いを示しても自覚は後回しになる。
そして自覚したときには、容易に元に戻れない。
(写真:フォトAC)
先週は評論家の竹田恒泰さんの「モテる男には世代別の特徴があるんですよ」から話を始めて「70代になると『家族を持っているヤツ』が勝ち」を拾い、「皆さん、結婚しましょう、子どもをもうけましょう」という、今や完全にセクシャルハラスメントに分類されている(らしい)内容で一週間を終えましたが、今週はその続きの「80代になると『健康なヤツ』が勝ち」から話を始めたいと思います。私がいまから目指せるのはそこしかないからです。また極端な話、高齢者の共通の話題も(もはや孫・子の話ができない以上)そこにしかなくなっているからです。
さらにそこには深刻な要素も加わります。
私には高校時代からもう半世紀以上も付き合っている友人が10人ほどいて、遠方に住む2~3人を除いて、一か月おきに飲み会を開いているという話は再三してきました。最近はそこから2人ほどが疎遠になり、さらに昨年の8月以降、ひとりの認知症が進んで私たちのことが分からなくなり、今はフルメンバーが6人まで減ってしまったという話もしました*1。
その認知症の進んだ旧友Aが50年以上に渡って忘年会担当であったため、昨年末は会ができなくなって、そこで行きがかり上、私が新年会を企画することになったこと、なかなか日程が合わず、結局1月の下旬に6人中5人の参加で計画したこと、ところが参加者のひとりが予定の一週間以上も前にメールをよこして、「風邪だから休む」と連絡してきたこと、一度は慰留したもののすぐに再度の欠席連絡があって了承したこと、しかし実はその人が1年前に大腸がんの手術を受けていて、本当はその関係での欠席はないかと心配していることなど、それらは先月の末に書いたことです*2。
ひとりひとり、静かに消えていこうとする気配がします。
体調不良のドミノ倒しは私の目の前にも迫ってきています。
1月中旬に受けた人間ドッグの結果は「惨憺たる有様」と言うほどではないものの、あちこちで赤に強調されたり、「H(high)」の記号が並んだりします。
よくもまあこんなにたくさん書けたものです(検査もたくさんやったけど)。ただし今回新たに見つかったのは赤文字にした2点だけで、逆に昨年はあったのに今年はなくなっているものもあって一進一退という感じです。
評価としてはAが11、Bが5、Cも5、Dが1(前立腺腫瘍マーカー)。大学のときの成績よりははるかに良いという感じ。
PSAが高いというのは「前立腺がんかもしれない」ということですが、これについては昨年、精密検査を受けていて、「とりあえずがんは見つからなかった」ということで、今年も数値は上がったものの極端に上昇したわけではないので、さらに様子見というところでしょう*3。
こうしてみると病気のオンパレードみたいに見えますが、ひとつ留意する点があります。それは、
「これだけ問題を抱えているように見えても、ほとんど生活に支障はなかった」
という点です。
支障と言えば20代で腰痛に苦しんだことや、30代で声帯ポリープのために声が出なくなったこと、40代直前に肩を痛めて右腕が挙がらなくなったことなど若い時の方がよほど問題が大きかったように思うのです。ところがここ30年ほどはすこぶる調子が良かった、ドックであれこれ言われはするものの、自覚的な問題はほとんどなく、また困ることもなかったのです。それが70歳を過ぎてから、急にあちこち支障が出始めているのです。
(この稿、続く)
子どもを持てなかった人は別だが、持つ気のない人に告ぐ。
夫婦で過ごす年月はざっと半世紀以上。
成すべき大業のある夫婦は別だが、ない者には長すぎる。
せめて子どもでももうけて、面白おかしく生きなさい。
――という話。
(写真:フォトAC)
くれぐれも注意して分別しておかなくてはならないのは、子どもが欲しかったにもかかわらず願いが叶わなかった人たちと、意図的・選択的に親にならなかった人たちの違いです。前者の多くは40歳代に至って苦渋の決断としていわゆる“妊活”に見切りをつけ、子どものいない後半生を受け入れた人たちです。それだけに二人きりで続けていく人生に対する意識はいい加減ではありません。
考えてもみてください。同い年の二人が28歳で結婚して40歳で子どものいない人生を受け入れ、平均的な寿命でそれぞれが亡くなるとすると、夫はそこから42年、妻はさらに6年長く生きて48年(ともに40歳時点での平均余命)も生きなくてはならないのです。
それは「子どもは諦めて二人で頑張っていこう」と決心したその日までに生きてきた年月に匹敵し、同じその日までの夫婦の歴史(12年間)の3.5倍から4.0倍にも及ぶ長い長い年月です。40歳まで夫婦や家族の問題に真剣に取り組み考えてきた人たちにその重さの自覚がないわけがありません。
望んで手に入れた人生ではありませんが、きっとうまくいくはずです。少なくとも精いっぱいのことをしてきたわけですから、 “後悔”も“反省”もする余地がありません。私の見てきた子どものおられない夫婦は、皆、賢い生活を送っておられました。
考えなくてはいけないのは、意図的に子どもを持たなかった夫婦の場合です。
意図的・選択的に親にならなかったといっても、その内容は多彩でしょう。
先日お話しした1990年代のディンクス(DINKS)に代表されるような、夫婦互いの立場や収入・生きがいを尊重し、自分たちの時間や自由を大切にして夫婦関係中心の生活をしたい、そのためには子どもは持てないし持つ資格もない――そう考える人たちもいれば、本当は欲しいのに経済的理由で産んでも育てられないと感じている人たちもいます。あるいは自分は子育てに向いていないと諦めている人々、自分自身の生育環境から子どもを持つことに懐疑的な人たち、そして健康上の理由(妊娠・出産のリスクや体力面の不安)から躊躇する人々――。
ですから一概に言うことはできないのですが、夫婦生活も人生と同じで「何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」(中島敦「山月記」)のです。
先ほどの例で言えば、同い年の夫婦が28歳で結婚してそれぞれ平均寿命まで生きるとしたら夫婦で暮らす年月は53年間。
唐沢寿明・山口智子夫妻のように先々、森繁久彌や森光子みたいな名優になっていく可能性のある人はいいのです。松任谷正隆・由美夫妻に、「やはり子どもを産んでおくべきだった」と言う人もいないでしょう。しかし老後にこれといった仕事のない人間にとって、53年は長すぎないか。
「夫婦互いの立場や収入・生きがいを尊重し、自分たちの時間や自由を大切にして夫婦関係中心の生活をしたい」
といっても半世紀以上に渡って同じライフスタイルを守って生きるのは、容易ではない気がするのです。
子どものいる生活は違います。私はよく、「結婚は生まれ変わり、親であることは脱皮すること」という言い方をしますが、20数年に渡って別々の育ちをしてきた二人が一緒に暮らすには、生まれ変わるほどの覚悟が必要で、乳幼児の保護者と小学生の保護者、中学生の保護者と高校生の保護者では求められる親のかたちがすべて違いますから、そのつど成長していかなくてはなりません。つまり子どもは親に常に変化を強いる。
私は娘と滑りたいばかりに38歳で(当時ブームだった)スキーを始め、息子に乞われて45歳で海釣りを始めました。ボーイスカウトの活動やPTAを通じての地域交流も、子どもがいたから行ったこと、とても面倒くさい。
しかしそれがなかったとしたら、帰宅した後の時間、土日休日や年末年始・夏季休暇といった長い時間を、夫婦でどう過ごしていたのでしょう? 53年間も。
ただそれでも子どもによって人生が動かされる期間は意外と短くて、最初の子が生まれてから下の子が高校を卒業するまでの20数年程度です。私の場合は上の子が生まれて「子どものいる生活」が始まり、3年後に下の子が生まれて4人家族になり、その子が18歳の年に家を出るまで続きましたからその間、21年。夫婦で過ごす53年の半分にも満ちません。
女性が子どもを産めるのが40歳までとすれば、28歳で結婚した夫婦にとっては残り12年間。その、若くて短い時期の決断が、残りの40数年を規定するのです。だから私は余計なお節介と知りながらも、子どもを持たない決心をしようとしている若い夫婦に言いたいのです。
あなたが特別な才能をお持ちの方なら別だが、普通の人間なら、そして可能性があるなら、ぜひとも子どもを儲け、育てなさい。自ら可能性を捨ててはいけません。それがあなたの人生をより豊かにすることになるのですから――。
もちろん言いたいだけで言うことはありません。セクハラ発言は今や大罪ですから。
元はと言えば息子のアキュラ夫婦がすでに「子どもを持たない人生」を決断してしまったのではないか、しかしそれを本人に訊けない、というモヤモヤから始まった個人的な話です。私自身に子育てをものすごく楽しんだという思いがあって、それをアキュラにも味わわせたいという気持ちもありますし、アキュラたちがずっと二人きりでやっていけるのかという不安もあります。そしていつかアキュラが年老いて死んだとき、妻のサーシャの「親も兄弟もなく、子も孫もいない独りぼっちの生活」が始まる、そう思うとやりきれないのです。アキュラとサーシャは同い年ですからサーシャの独りぼっちは6年間という予想になります。これが一般的な4歳差程度だったとすると、妻が独りぼっちで生きる年月は10年にもなるのです。
愛する人を独りぼっちにしてはいけない、と私は思います。そのためにも子を産んで育てるべきなのです。親の勝手で子を産むなんてことは人類が何十万年もやってきたことですから気にすることはありません。その罪を一人で背負うこともないのです。
しかし、そういったこともすべてセクハラ発言に当たるかもしれませんので、私は絶対に口にしませんし、文章にすることもありません。
(この稿、終了)