カイト・カフェ

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「幸せは別にある。新たな階層と親ガチャ不満」~なぜパズルには打ち込めるのに勉強はダメなのか⑤

 親ガチャ――。
 もっといい親のもとに生まれていれば、
 もっといい人生があったはずだという誤った確信。
 そんなことはない。大切な視点が欠けている、
という話。(写真:フォトAC)

【明治初年の親ガチャ解消】

 ここ数年「親ガチャ」という言葉が流行し、「どんな親の元に生まれたかで人生が決まってしまう(不公平じゃないか)」といった意味で使われるようになっています。

 どこに生まれたかで人生が決まってしまうと言えば、江戸時代まで遡るとさらに顕著で、武士の家に生まれれば武士、商家に生まれれば商人と、養子にでも出ない限りほぼ決まった人生を送るしかありませんでした。生まれた瞬間に人生は決まっていたのです。
 しかし能力があってもなくても百姓は百姓、学者は学者ですから文明は進捗せず、商人が一向に増えないので経済は停滞し、兵士を武士層からしか取れない国防は危うくなるばかりです。
 
 そうした限界を打破するために、明治政府は樹立とともにすぐに四民平等を敢行し、国民すべてから徴税するしくみと国民皆兵を行い、教育もみな等しく受けられるようにしました。つまり封建的親ガチャ解消が、政府によって強制的に行われたわけです。
 
 教育はその中でも特に効果的な施策で、福沢諭吉は「学問ノススメ」の中で、
「『天は人の上に人をつくらず、人の下にひとをつくらず』と言って平等なはずなのに、世の中を見渡せば尊い仕事をして富む者と、軽い仕事をして貧しい者とに分かれているのはなぜか。それはすべて学問があるかないかの差なのだ」(大意)
と言って学問が人々の貴賤、貧富、軽重の壁を乗り越えるカギであることを訴えました。

【新たな階層と親ガチャ不満】

 しかし平和な時代が、第二次大戦後から数えただけでも80年近くも続くと、社会の流動性は失われ、能力の高い者が高学歴を得て高収入な職につき、その家に生まれた子が高収入と高知能を受け継いで同じように高学歴を得て高収入な職に就く、そうした新たな階層の固定化が始まります。それを親子関係の側面から見た表現が「親ガチャ」なのでしょう。
 もっとも親ガチャを嘆いたり恨んだりする人たちは、勝ち組の経済面・生活面ばかりに注目して、
「あんな金も理解もある親のもとに生まれれば、オレだって高学歴と高収入を得られたはずだ」
と思いたがりますが、そんなことはありません。事態はもっと残酷で、勝ち組子弟が受け継いだのは、金よりも頭脳です。頭脳があれば金も入ってきますが、金で頭脳は買えません(頭脳の代わりは買えますが、使いこなすには頭が必要な気がします)。
 あなたの親が運よく宝くじに当たって7億円を手に入れ、経済的にも家庭の雰囲気も豊かになったとして、しかしあなたが東大に入れる可能性は極めて低い。金持ちになって入れるなら、貧乏な今だって少しがんばれば入れるはずです。

【幸せは別にある】

 さて、結局パズルやゲームが楽しいのは頭の良し悪しを問われないからで、勉強はそういうわけにはいかない、大谷翔平大谷翔平の生まれてきたのであって、だれもが大リーグのMVPになれるわけではないように、勉強だって生まれながらある程度の枠は決まっていて、東大・京大・医学部なんて努力すれば必ず入れるというわけにはいかないのだ――と、今日まで五日もかけて身も蓋もない話をしてきましたが、ここにひとつだけ逆転できる話があります。

 それは余りにも常識的で平凡な話ですが、勉強ができること、そして一流大学や超一流大学に入ることは、幸せになることと基本的に無関係だという事実です。一流大学の入ることだけが目標だった人は、合格した瞬間は幸せかもしれませんが、その数分後には目的喪失者です。
 幸せは別のところにあります。

「われはもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人(みなひと)の 得難(えかて)にすとふ 安見児得たり」
(私は安見児を得た、皆が手に入れられないと言っていたあの安見児を得たのだ)

 これは藤原鎌足が妻を迎えたときの慶びの歌です。万葉集にあります。東大に入るものいいですが、私はこちらの方がよほどいい。先々の幸せは、少なくとも半年くらいは保障されていますが、東大はなにも保障しないからです。

【学歴コンプレックスを引きずる人生】

 しかし学歴の問題はけっこう深刻で、70歳を過ぎた友人の中にもいまだにコンプレックスを引きずっている人がいます。半世紀以上も経っているのにですよ。本人がそうならないように努力することはもちろんですが、親もまた、そんな人間に育たないよう神経を尖らせて見守るべきでした。可愛そうですから。
 
 親ガチャを憂い恨むような非自立的な子どもは、今すぐにも育て直しをしなくてはなりません。
 あなたが学校の勉強で賢さを見せられないのは、遺伝的な意味で親の責任かもしれないが、あなたがいま不遇なのは私のせいではない。親を恨み、環境を恨み、あれもこれも自分以外の誰かに責任があると思いがちな、あなたのそうした考え方こそが不幸のはじまりだ。それを変えない限り、幸せはどこからもやって来ない。
 よく言われる平凡な話だが、
 変えられるのは自分だけ、他人は変えられない。
 自分が変われば、世界は変わる。
 ただそれだけのことです。
 私の子なら、悔い改めなさい。
(この稿、終了)