カイト・カフェ

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「スポーツの世界は親次第」~子どもが夢中になって勉強するようになるために①

 結局、大谷翔平も阿部一二三・詩も、
 偉大な親がいての彼らなのだ。
 トンビはタカを産まない。それは分かっているはずのに、
 勉強の世界には突然変異があると思われがちなのはなぜだろう?
という話。(写真:フォトAC)

【ウチの子は大谷翔平になれない】

 大谷翔平選手が昨日48号2ランを打って48本塁打48盗塁を達成。50-50も目前となりました。その活躍ぶり、注目のされ方、そして10年間で約1015億円という契約金を考えると、ああ私も息子に野球をやらせておけばよかったと、つくづく思います。アキュラは大谷選手より1歳年上ですから、先に渡米している可能性も高く、私も今ごろは左団扇で悠々自適の生活を送っていたに違いありません。
と、さて――この話が大して面白くもないできの悪い冗談にしかならないのは、ウチの子も野球をやっていたら大谷翔平になっただろうと思うこと自体が、あまりにもバカげているからです。私の家に限らず、どの家にとってもそうです。大谷翔平大谷翔平であって、他の人間が代わることはできません。

 少なくともその父親は社会人野球の選手で、母親も中学校時代はバトミントンで全国大会に出たほどの運動神経の持ち主です。家庭にはスポーツに対する情熱が満ちていて、単に身長を見ただけでも、父親が182cmで母親が170cm。そのくらいなければ193cmの子どもは育たないでしょう。
 それくらいの体格的・運動神経的な下地があって、初めて目の隅に「甲子園」くらいが見えてきます。プロはまだまだずっとその先、大リーグとなるとプロ野球選手でさえも簡単には目標に入ってきません。

 普通の家庭の子は、野球で生活をして行くことなど基本的に考えないものです。少なくとも運動実績の何もない身長168㎝の父親と158㎝の母親から生まれた170cmのアキュラが目指すものではありません。

【阿部さんのウチだって特殊】

 一昨日のTVバラエティ「さんま御殿」に出ていた阿部一二三・詩兄妹の父親も同じです。番組内では「柔道未経験、まったくわからないのでがんばれとしか言わなかった」と話し、「母親もこれといったスポーツはしていない」といった紹介の仕方をしていましたが、父親は若いころ水泳でジュニア・オリンピック(JOCが将来のオリンピック選手育成を目的として行うスポーツ競技大会)にも出場経験のあるスポーツマン。消防士となった現在も全国消防救助技術大会に神戸市消防局代表として出場するなど、突出した運動神経と体力の持ち主です。母親にはこれといった競技成績もないみたいですが、体育大学卒でフィットネスクラブのインストラクターをしている人が「普通の主婦」であるはずもありません。オリンピックでメダルを狙うといったレベルでは「これといったことはしていない」としても、ご両親ともに”その辺にいるただ者”ではないのです。

 こうしたことは調べればすぐにわかることですが、調べなくてもみんなが薄々と感じていることです。
「きっとご両親も何かお持ちなのでしょうね」
「きっと小さなころから特別なお子さんだったのでしょうね」
とかいったことです。

【才能はいつまでも眠っていない】

 私の持ちネタですのでずいぶん古い話になってしまいますが、バルセロナの14歳の金メダリスト、水泳の岩崎恭子は小学校4年生のとき、全校マラソン大会女子の部で5・6年生を抑えて一着でゴールインしたといいます。かつての名Jリーガー「ゴン中山」こと中山雅史は、ミカン農家の子でしたが、父親が忘れ物をするたびに何度でも、ミカン山と自宅との間を走って往復できたといいますから尋常ではありません。
 栴檀は双葉より芳しいのです。少なくともスポーツに関しては小学校が終わるころまでに目立った活躍がなければ、将来スポーツ選手としてメシを食う可能性ははなさそうです。そう言って間違いないでしょう。
 もちろんそんなことは十分普通の親は承知で、我が子をプロ野球の選手にしようとかJリーガーにしようとか、あるいは大相撲を目指させようといった高みを目指せるのは、それなりの根拠を持った、特別な親だけです。
 
 世の中、どこの柔道教室へ行ってもスイミングスクールへ行っても、子どもを連れてきている親の大半は健康づくりだとか体力づくりだとか、礼儀だとか社会性だとかが目的で、本気で頂点に上り詰めようとする人は稀です。それはピアノ教室もバレエ教室も、あるいは書道教室も同じです。「教養としてひとつくらいは何かできるようになるといいね」
 その程度で続けるのが普通なのです。
--と、ここまでが前振り。

【できないことはスポーツも勉強も同じじゃないか】

 さて問題は、以下のような話です。
 スポーツや音楽・芸術の世界では、平凡な親がその子の資質も確かめず、「お前は甲子園の輝く星になれ」とか「世界を目指せ」とか、尻を叩いて叱咤激励することはないにも関わらず、なぜ勉強・学問のこととなるとあれほどに夢中になれるのか。
 
 素地がなければ高い成果が望めないのはスポーツも芸術も勉強も同じです。努力がすべてを解決するわけではありません。生まれたその日から手を尽くし、あの手この手で頑張らせても、ウチの子のアキュラが大谷翔平にも阿部一二三にもなれないように、いくら「東大に入れ」「医学部へ行け」と叱咤激励して手を尽くしても、アキュラがそうした道を進むことはありませんでした。カエルの子ですから。
 それで何がいけないのでしょう?
(この稿、続く)