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「先生方! 教師は教養がないって言われているよ!」~教員の教養の高め方①

世間は教師のことも学校のことも理解していない。
教育学の大学教授でさえ、現場を理解できないのだ。
彼らは給与さえ増やせば人材が集まると信じ、
大学院卒なら優秀だと思い込んでいる。その上で現職教員たちを腐す。
という話。(写真:フォトAC)

【なんか納得の行かない記事を見た】

 「『教師』は誰でもできる仕事!?―文科省通知に物申す」()という月刊教員セミナーの記事がYahooニュースに転載されていて、タイトルにひかれて読みました。
 
 内容は、教員不足に際して文科省は特別免許や臨時免許を乱発して人員を確保しようとしているが、これでは質を下げるばかりじゃないか。そもそも諸外国では大学院卒が教員の条件になりつつあるのに日本は大卒のままだ。とにかく給与の低さが問題で、待遇を考え直さなくては人材が集まらない。給与を上げれば人が集まるとは限らないが、とりあえず院卒なら2割上げるといったふうに教職の地位を高め、その上で厳しい選考を行う。そうでもしないと教師の質は上がって行かない、といった話です。
 
 筆者は東大名誉教授で教育学博士、その学歴は東大大学院修了だそうですが、ほんとうに大学院を終えているとは思えない発言です。なぜなら大学院は各自テーマを持って研究する場で、出たからと言って教育力・指導力が高まるとか――ましてや教養が深まるとかいったふうにはならないからです。
 
 さらに給与を増やせば人材が集まるというのも単純すぎる話で、大部分の教師は大幅な賃上げなど本気で望んではいないのです。増やしてもらったところで使う時間がない。
 定額働かせ放題の給特法を何とかしろというのも、働きに対価が支払われないとしたら自分たちの労働は無価値同然じゃないかという憤りのためであり、あるいは残業手当を出すことで時間外労働が抑制できるのではないかという話であり、本来が金目当てではないのです。
 
 もちろんアメリカの弁護士並に年収数千万円から億越え、40歳までに死ぬほど働いてあとはさっさとリタイアし、避暑地に別荘を買って遊んで暮らす――そういった生活設計ができれば人材も集まるし過剰労働も苦にしないでしょうが、たった2割~3割の増額で、今の教職に人が殺到することなど絶対にありえません。過労死の危険や精神疾患の可能性が掛かっているのですから。
 したがってこの記事も取るに足らないもの、敢えて語る必要のない話、そう考えてもいいのですが、一か所だけ気になる部分があって、そこで敢えて取り上げることにしました。

【先生方! 教師は教養がないって言われているよ!】

 それはミナとマナブという、架空の二人による掛け合いで表現された次の部分です。
ミナ 文科省の調査からは教師の研修時間が激減していることがわかります。教師の本離れも指摘されています。
マナブ 新聞も雑誌も読まないという教師も少なくないと思います。子どもだけでなく教師の読書調査をする必要があると思っています。
 これまで国内だけでも5000校くらいの学校を回り、何万人もの教師と知り合ってきましたが、確実に言えるのは、教養のある教師じゃないと子どもは信頼しないということです。
ミナ 教師の教養を子どもが見分けている!?
マナブ 子どもだって見分けられます。教養のある教師は子どもに信頼され、尊敬されます。逆に教養のない教師は軽蔑されるんです。
 
 コンプライアンス研修とかハラスメント研修だとか、強制された研修は爆発的に増えていますが、個人レベルでの研修時間が減少しているのは事実でしょう。本務が忙しくて勉強する時間などほとんど残っていないのですから。

 教師の本離れも指摘されていますという発言のあとで、子どもだけでなく教師の読書調査をする必要があると思っていますという話が出てくるのも胡散臭いですが(ナンダイ? 教師の本離れのデータはないんかい?)、新聞も雑誌も読まないという教師も少なくないは、実感として“そうかもしれない”と思わせるところもあります。
 私も現職の間中、新聞は取っていましたし雑誌は月刊「文芸春秋」を欠かさず購入していましたが、読む記事はあまりにも少なかったからです。時間がありません。学生のころはあれほど読んだ小説やエッセイの類もほとんど手にしなくなりました。教育学や教科にかかわる読書はしましたが、“教養”というのとはちょっと違うでしょう。

【何かひとつ武器があればいい】

 教養のある教師じゃないと子どもは信頼しないというのも言い過ぎでしょう。
 確かに、訊けばどんなことにも答えてくれる教師は魅力的ですが、他に特技があればなんでもかまいません。サッカーボールのリフティングがものすごくうまいとか、数学の先生なのにジャズピアノを弾いて見せたとか、本格的な凧の研究者だとか、何かひとつ子どもたちを驚かせる技を持っていればかなり便利なことは確かです。
 いつも子どもに寄り添って話を聞いてくれるとか、なぜか知らないけれど頼りたいときにそばにいてくれる、そういう才能・技術をもった先生だっています。まるっきりのガキ大将で、子どもたちと一緒に駆けずり回るお友だち教師みたいな先生も、極めて稀ですが、いることはいます。
 ただ、何もない教師、これといってとりえのない教師は、技術を磨いて授業を面白くするくらいしか子どもたちを繋ぎとめる術はありません。私はその授業技術ですら平凡な教師でしたから、他に道を探さざるを得なかったのです。
 (この稿、続く)

news.yahoo.co.jp

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