カイト・カフェ

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「私たちが労組を潰し、PTAを潰す」~自助組織はもういらない②

 教職員の意見を吸い上げ、政府に突きつけるべき教組はすでに潰れてしまった。
 部活動の地域移行についても、一番参考にされるべき子どもの意見は聞かれない。
 そしていよいよ親たちは、保護者と学校とのパイプも切り外し、
 子育ての軛(くびき)から自由になろうとしている。
 という話。(写真:フォトAC)

【私たちが労働組合を潰した】

 誰が日教組を潰したのか(完全に潰れたわけではありませんが)――。
 私は教員になったその日から、管理職になって資格を失うまで組合費を払い続け、昇任してからは管理職組合でやはり払い続けましたからその点では無罪です。しかし熱心な活動家ではありませんでしたから、有罪であるとも言えます。

 教組を離れる直前、私と同い年くらいの女性教諭が新卒の女性教員に声をかけ、定期総会のサボり方を教えている現場に居合わせたことがあります。そのときはこれといった話もせず見過ごしましたが、こうしたことの積み重ねが弱体化のひとつの原因だったことは否めません。
 いずれにしろ責任の大半は私たちにあります。これについては昨年も書きました。

kite-cafe.hatenablog.com

 昨日も教育新聞に「勝ち取った『残業代』と失った裁量 給特法問題の複雑さ」という優秀な記事が載っていて、
「必要な予算が確保できる仕組みがないままに給特法を廃止し、全ての教員の勤務時間管理が徹底された場合、現場の教員が必要だと考える教育活動が満足に行えなくなる危険性がある」
といった重要な指摘もあり、昭和の昔ならこの記事をテキストに職場会で学習を深め、地区教組、都道府県教組と順次上げて行って、最後は日教組と政府の対峙という話になったのですが、今や職場の教職員同士でさえ共通理解ができなくなっています。共通理解がないからなじり合いや足の引っ張り合いになったりするのです。

 もっとも労働組合の衰退は教職員組合に限ったことではありませんから、働く者全体の問題として考えるしかありません。
 野党の政治家たちにもしっかりしてもらいましょう。

【子どもが訊かれるのは、大人にとって都合のいいことだけ】

 政府や自民党が教職員の待遇についてあれこれ話し合っているのを、肝心の教職員たちは指を咥えて見ているだけ――何とも歯がゆい状況です。しかしさらに言えば、部活動の地域移行については教職員どころか当事者である生徒の意見も取り上げられません。わずかに休日の部活に専門家の指導が入った時だけ、インタビューアーが感想を聞く程度。その段階では悪く言う中学生もないので取り上げやすいのでしょう。
 
 問題は、総合的に考えて、部活を地域に移行することをどうとらえるのか、その場合は費用もかかり、場所も遠くなって他校との合同チームになる可能性もあるがどうだ、そういった聞かれ方をすればさまざまな答えが返ってくるでしょうが、子どもたちがそういった本質的な質問を受けことはありません。聞きたいことはマスコミをはじめとする大人たちが決め、子どもたちが話したいことを話せるわけではないのです。
 これもやはり、子どもの意見を集約して政治に反映する仕組みがないからです。
 

【PTAがなくなるのはほんとうに心配】

 さらにここのところ私が特に心配しているのは、PTAがなくなるかもしれないということです。すでに”先進的”な学校ではPTAをなくし、運動会の手伝いなどは希望制にしたが何の問題もない、といった報告がされたりします。

 しかしPTAはもともと保護者に対する何らかの利益を目的としたものではありません。なくなっても保護者に不利益のないことは最初から分かり散っていることです。そうではなく、学校全体として”不利益”や”問題”がないのかというと、話はまた違ってきます。

 PTAの会誌会報なんていらないといえばいりませんし、”子育て情報なんてネットで簡単に見つかるでしょ?”といわれれば返す言葉がありません。ただし「PTA作業でやることは本来、行政が行うべきこと」とか「PTA予算を学校の第二の財布にしてはいけない」とか言われて、それは全くその通りなのですが、PTAの助力がなくなったあとを行政が補填してくれるのかというと、まずはありえません。これまで市町村に出す金がないからPTAを頼っていたわけで、手を引かれれば空隙が生まれるだけ、つまり学校の教育環境が落ちるだけです。

 しかしもっと重大なことは、PTAがなくなることで保護者と学校、保護者と市町村を結ぶ太いパイプが失われてしまうことです。

(この稿、続く)