カイト・カフェ

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「次々と繰り出されるアホな文教政策、それでもやるっきゃない」~国の政策をどのように変えさせるか、本気で考えてみた①

 昨日話題となった二つの教育に関するニュース。
 何が何でも学校は時短をせよと文科省が言ったこと。
 またまた教員免許取得のハードルを下げること。
 文科省はバカかといった話だが、きっとバカを承知でやってるんだよ。
 という話。(写真:フォトAC)

【きのう話題になった二つの象徴的な記事】 

 昨日、教育に関するちょっとしたニュースがふたつあって、ネットの一部を騒がせました。ひとつは、教員の時間外勤務の上限指針、対応しなければ自治体名を公表 文科省 | 教育新聞

www.kyobun.co.jp

もうひとつは、教員免許2年で取得、短大向け教職課程を4年制でも…留学経験者など確保 : 読売新聞

www.yomiuri.co.jpです。

 前者は、
働き方改革に対する自治体や学校による取り組みの差があることから、文科省は2月3日、2020年に給特法に基づく指針で示した『公立学校の教師の勤務時間の上限』がいまだに条例や規則に反映されていない自治体に対し、23年度中に反映することを求めるとともに、反映されない場合には自治体名を公表する考えを都道府県と政令市の教育長に宛てて通知した。指針が定める在校等時間を把握し、教職員の勤務時間管理を徹底するよう強く求めている」
 後者は、
文部科学省は2025年度から、最短2年で小中学校などの教員免許を取得できる教職課程を4年制大学に新設する方針を固めた。従来短大の教職課程で得られる『2種免許』を特例的に4年制大学にも拡大するもので、留学などを経験した多様な人材を教員として確保する狙いがある」
というものです。

【結局は「文科省はアホか」という話になる】

 これに対するネットの反応は、
「圧力をかければ、残業の改ざん問題が発生。結局、見かけの残業を減らすだけで何も意味が無い」
「仕事減らすか、人が増えなきゃ、労働時間なんて減るわけ無いでしょ。時間を測って公表するとしても、恐らく持ち帰りの教材が増えるだけで、根本的な解決には一切ならない」
「教職課程を緩くする以前に教員の勤務環境や待遇を改善しないと、いくら最短2年取得にしてもなり手は増えないと思う」
「免許を持っているのに教員をしない、なりたくない理由をしっかり分析することが最重要課題」
と、至極真っ当で反論の余地がないものばかりです。
 教育行政の専門家である文科省がやることに素人が噛みついて、素人の方に分があるように見えるのですから当然つぎの段階では文科省はアホか」という話になるのですが、私は省庁の役人に同情的です。何といっても同じ公務員ですから(私は「元」公務員)。

【アホなことはみんなが分かっている】

「聖域なき行政改革」だの「行政の効率化」だの言われて官僚たちも、人数を減らされ、仕事は増やされ、権限は奪われて、今は政治家たちの完全な僕(しもべ)です。たしかに「公僕」ですから「公(おおやけ)の僕(しもべ)」には違いないのですが、かつて「官僚政治」と呼ばれた時代には、天下国家のために刻苦勉励、仕事に情熱と心血を注ぎ、「百年の大計」をもって文部行政を支えてきた官僚たちが、大臣や政治家たちのポピュリズム政策の単なる実現者というのも情けない話です。日本の教育を悪くした政策の大部分は文科省の本筋の「中央教育審議会」ではなく、総理大臣の諮問機関である「教育改革国民会議」や「教育再生会議」から出てきたものですから、それを実現させるのだけが仕事というのは、あまりにも気の毒です。

 「このやり方間違っているよな」とか「こんなバカなことホントにしなくちゃいけないんかよ」と思いながら無意味な仕事を続けているのは、誰も読まない指導要録の記述欄を延々と書いたり形骸化した教員評価だの学校評価だのに一生懸命取り組み続ける教員と同じです。地域に部活指導員なんて一人もいないことは分かっていても、探すふりくらいはしなくてなりません。同じように文科省も「そりゃ無理だよなあ」と思いながら「23年度からの部活動の地域移行」などといっているのです。

 「働き方改革に不熱心な自治体は名前を公表する」と脅したところで、「人は出さない仕事は減らさない」では自治体からロクな回答が来ないのは百も承知で、しかし何とかしろと政治がいうからやっていくしかないのです。教員免許取得や採用試験のハードルを下げたところで受験者が増えるわけではないなんて、これも分かり切ったこと。しかし他に何ができますか?
 政治家は教育の質がナンチャラとか、これからの時代はあれが必要だとかこれがなくてはならないとか、やたらと教育内容を増やして自分の成果としたがりますが、その現実的なツケは学校が支払わされ、アホ呼ばわりは文科省が受け持っているのです。
 いま、卒業式や入学式にマスクをつけろだの外せだのやっているのも典型で、ほんとうを言えば文科省の役人にとって、「そんなことはどうでもいい」のです。

(この稿、続く)