東日本大震災の5日後、私の勤務校で終業式があった。
そこで私は子どもたちにこんな話をした。
事実と、心寄せることと、
私たちには希望があること、
という話。
(写真:フォトAC)
【いま、世の中で起きていること】
この3学期の初め、1月6日の始業式で、私は今年の目標を二つ挙げました。覚えていますか。そして今日の終業式では、一年の目標の中間報告をするつもりでした。ところが急に事情が変わって別の話をすることにしました。それは先週の金曜日からずっとテレビで報道されていることです。
何のことか分かりますすよね。東北太平洋沖地震(注:当時はいったんそう呼ばれた)とその被害に関するものです。
この大地震はマグニチュード9・0という巨大なパワーをもった地震で、皆さんも聞いたことのあると思う阪神・淡路大震災の1000倍にも当たる強さだといわれています。これは日本の歴史上最大のもので、世界的にも4番目の大きさのものです。
さて、この地震は(地図を示しながら)まず東北地方のこのあたりで起こって、その40秒後にこのあたり海の底で海底が大きく動き、すぐに続けてこの部分で地震が起こるという三つの地震が立て続けにおこったものだと考えられています。三つ合わせて5分近くも続きました。
ただし日本という国は毎年100回以上も地震の起こる超地震国なので、ビルはもちろん、普通の家もかなり頑丈にできているのです。だからその揺れだけでは大きな被害は出なかったはずなのです。
ところが、キミたちも知っての通り、そのあとで襲ってきた津波が尋常なものではありませんでした。
津波というくらいですから大きな波かと思っていたのですが、違うのですね。海自体が盛り上がって堤防を越え、どんどん街の中に入ってきてしまうのです。船を流し、自動車を流し、家を流し、その家が次の家をさらに倒して流し、場所によってはビルの4階くらいまでの高さになってすべてを流してしまったのです。そんな津波が5回も6回も、最後は津波を調べる機械まで壊してしまったのでいったい何回来たのかも分からないほど、繰り返し町を襲い、壊し、人々をさらってしまいました。あんな激しい水の中では、巻き込まれたら人間はとても生きてはいけません。
【死者には本来の名前がある】
今日、3月16日の段階で、亡くなった方は3373名、行方不明が7558名と言われています。合わせて1万931名です。
一口に1万931名と言われてもよく分かりませんよね。私たちの地区の人口はおよそ9000人ですから、この地域が丸ごとさらわれてもまだ足りないほどの数です。さらに言うと、その一人ひとりには名前があって、生活があったのです。
思い浮かべてください。
例えば私にはTという名前があって、家族がいて、この学校の教師であって、そして60年近く生きてきて、さまざまな思い出やいろいろな経験がある、そういう唯一無二の人間です。その私が死んで、この1万931名という数字で表されるのです。もはや名前もありません。
思い浮かべてください。この1万931名のうちの一人が、自分の家族の誰かであるということを。自分の大切な家族がその中にいる、そんなふうに考えてみましょう。
その大切な人たちが一人ずつ集まって名前のない1万931名という数になるのです。その1万931名の全員が、3月11日の地震の前まで大切な命を持っていて、それが今は失われたり行方不明になっているのです。
またそれとは別に、今日現在44万人にも上る人たちが、避難民として寒い中を必死に生きようとしています。
これも想像してみましょう。自分のこととして考えるのですよ。
逃げるときに着ていた服一枚を今も着て、何日もお腹をすかせ、お風呂も入れないのです。
想像してみてください、その中の多くの人たちは、地震と津波によって家族を失い、あるいは家族と連絡が取れず、友達もいなくなってずっと一人ぼっちなのです。その人はどんな気持ちでそこにいるのでしょう。私たちはその人に、何をしてあげられるでしょうか?
【私たちには希望がある】
もちろん今日明日の問題ではありません。まだボランティアも入れない段階ですからやれることは本当にわずかしかありません。しかし私たちには希望が残っています。まだ夢を持つ力があります。
例えばインターネット上では中国の人の話としてこんなことが載っていました。これは今回の地震に東京であった人が、故国に向けて語り掛けた話です。
「数百人が広場に避難していたが、その間、誰もタバコを吸うものはいなかった。毛布やお湯、ビスケットが与えられ、男性は女性を助けている。3時間後、人々は解散したが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。一つもなのだ」
あるいは日本にいるベトナムの方の話。
「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」「われわれが日本から学ぶべき多くのことが分かった」
別のベトナム人留学生は、長い列をつくってバスや公衆電話の順番を我慢強く待つ人々について、
「皆が冷静に整然と行動していた。教師が子どもたちを誘導する姿など、すべての人の素早い対応ぶりに驚いた」
と語っています。さらに
「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」
という人もいます。
また、ロシア新聞には、
「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」
という記事が載りました。記事は今回の震災を「第2次世界大戦直後の困難にも匹敵する」大災害だとしながら、「重要なのは、ほかの国ならこうした状況で簡単に起こる混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もないことだ」と言います。
さらに震災当日の11日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも「人々は互いに助け合っていた。レストランや商店はペットボトル入りの飲料水を無料で提供し、トイレを開放した」と驚きをもって伝えているのです。
私たちには「他人を守る」という強い力があります。「ルールを守る」という力もあります。我慢強く何かに耐えるという力もあります。お互いに手を繋ぎあい、みんなでこの困難を切り抜けようという強い気持ちがあります。
今は、特に子どもであるキミたちには、できることがほとんどありません。しかし祈ることはできます。一人でも多くの人がこの災害から救い出されることを、そして一人でも多くの人が家族や友だちと再び合えることを、そしてこのたいへんな困難から再び立ち上がり、私たちの日本が誇り高い国として蘇ることを祈ろうではありませんか。
今回の災害から立ち直るまでには10年も20年もかかります。したがって復興の仕事はやがて君たちの手にかかるのです。どうかその日に役に立つ人間に育ってください。その日のために今から一生懸命勉強してください。もしかしたらそれが、私のやるべき一番のことかもしれません。
(この稿、続く)