カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「こころの居場所は世界中にあるが、ここにはない」~新しい人間の生き方

 かつて昭和の御世、人々の生活は自宅から50m以内にあった。
 平成になると、人々の居場所は自動車で行った先になった。
 やがてネットを通して、遠くの人と繋がりを持つようになり、
 将来、ネットのこちら側に私以外の人はいなくなる、
という話。
(写真:フォトAC)

【50m四方だけが“世界”】

 私の生まれ育った家は地方の中核都市の外れ、少し大きめの河川の堤防を降りたところにありました。坂を下ると袋小路になっていて、そこに19戸ほどの市営住宅があったのです。そのうちのひとつが私の家です。
 二棟続きの平屋住宅が7棟、戸建ての平屋が5棟、いずれも今でいう2Kトイレ付風呂ナシの質素なもので、棟続き・戸建の別があるのも全体の土地の形からそうせざるを得なかっただけのことです。
 ほとんどが新婚で入ったために世代層が狭く、親たちも仲は良かったのですが、子どもたちも仲よく、その狭い範囲で元気に遊んでいました。東西50m、南北50m、それぽっちが私たちの世界のすべてで、そこより外に繋がりのある世界はありませんでした。もちろん買い物も行くし、銭湯も離れた場所にありましたが、日常ではありません。
 こどもたちが「遊びに行ってくる」と言えば、その“50m圏内にいます”という意味で、親たちもそれより外を思い浮かべることはなかったのです。

【壺中の天】

 先ほどは親も子も「仲良く暮らしていました」と書きましたが、もちろんそれは「いがみ合っていたわけではありません」程度の意味で、中に問題がなかったわけではありません。大人は大人同士で小さな諍いがあったり嫉妬があったり、妙な噂を立てられたと腹を立てている人もいたり、どうでもいいような醜聞を採集しようとあちこち歩きまわる人もいました。
 子どもは子どもで、意地悪だったり喧嘩をしたり、仲間外れにされたりしたり、稀に男女一緒にママゴト遊びをしたりすると、幼馴染でジャイアンみたいなケンちゃんはさっそく赤ちゃん役を買って出て、子ども時間で一日中女の子に甘えて過ごし、お父さん役の私は早々に会社に出勤させられて居場所を失ったりと、映画「Allways三丁目の夕日」みたいな生活が本当に存在したのです。
 50m×50mだけが生きる場でしたが、それなりに面白おかしいことも多く、我慢しなくてはならないこともまた多かったのです。
 それでも他に生きる場所はありませんでした。

【心の居場所は、車を降りたところにある】

 それから30年以上たって、私は実家のほど近いところに家を建て、そこで子育てを始めます。イメージから言えば、昭和バブルで住宅メーカーが造成した小さな住宅団地の横に、10数年遅れて済むようになった、とそんな感じです。
 娘は4歳、息子は0歳で、幸い同い年くらいの子が数人、近くにいましたので、最初のうちはその子たちと遊んでいました。しかし既存のお友だちグループにあとから入ったわけで、何となく反りが合わない、ウマが合わないといった感じは長く続いたようです。
 
 一方、親である私たちは常識的な交流はあるにしても、これといって日常的にご近所と付き合う必要もなく、休日は仕事をしたり(これ、いま考えるとかなり変ですよね)、そうでなければ実家に行ったり知り合いの家に出かけたりと、遠出というほどではないにしても車でないと行けない場所にまで軽々と出かけてしまいます。もちろん子ども連れで――。その方が気楽ですし、行った先に子どもが居れば、親同士ウマが合うように子ども同士も合いますから楽しく過ごせます。そしていつの間にか近所の子どもとの付き合いは減っていきます。

 小学校も高学年になると、今度は子どもたち自身が自転車でホイホイとどこへでも行ってしまいます。もう地域に縛られる必要はなく、快適な場所で、気楽な友だちとだけ付き合っていればいい時代なりました。それが20~30年前のことでした。我慢して付き合わなくてはならない人間は、学校のクラス内にしかいなくなったのです。

【ネットで生身の人間を呼び出す】

 娘のシーナは田舎育ちで東京の大学に出て、そこで知り合ったひとと24歳で結婚しました。以来東京の郊外に住み、25歳と4カ月で母親になり、現在は2児の母です(レインボー・ママ)。
 高校までの友だちは多くが地元に残り、大学時代の友人は全国に散らばっています。同年齢の中では最も早く母親になってしまったので、東京に残ったわずかな友だちの中に一緒に子どもを遊ばせたり不安を共有したり、相談に乗ってくれたりする人は、ひとりもいませんでした。少子化のため近所にも子どももいません。
 
 そこで何をしたのかというと、子育てブログを立ち上げて同い年の子を持つ母親たちと交流を始め、電車で会える範囲の母子とは直接会うなどして、情報や人間関係の不足を補い始めたのです。もはや私たちのように、毎週のように自家用車で親戚や友だちのところに会いに行くこともしなくて済みます。日常的にはテレビ電話で代用ということもあったでしょう。
 緊急の場合は電話1本で私たちおよび配偶者の両親と繋がって適切なアドバイスが受けられます。必要なら来てもらうこともできました。いわゆる「ご近所」とは没交渉で、どんな人が住んでいるのかもよく分かっていません。けれどそれでも生きて暮らしていけるのです。
 現地点がここです。では次世代はどうなるのか。

【家から一歩も外に出ずに暮らす】

 私は最近、正月以来、一歩も外に出ずに暮らしているという男性の手記を読みました。仕事はすべてリモートワークで出社の義務はなし。食事はウーバーイーツを始めとする様々な宅配で、自炊もする。娯楽はネットとゲームなのでこれも外に出ずに済む――。
 記事のコメント欄には「ごみ捨てはどうしているのだ」といったツッコミもありましたが、キスのギネス記録なども休憩を挟みますから、ゴミ出しくらいは認められるところでしょう。その上で「一歩も外に出ない」生活となると、改めて不可能ではないだろうという気がしてきます。

 私も学生時代、目の前のスーパーマーケットと銭湯に行く以外はどこにも行かない生活を、平気で一カ月以上もしていましたから、それほど大変でないと容易に想像がつきます。ネット会議もしているし、オンラインゲームの中では旅の仲間とさまざまにコミュニケーションをとっていますから寂しくもない。性的な問題もネットの中で完結できます。

 引きこもり記録をつくっているわけではないので、身体を動かすことが好きな人は外にでて運動をしてもいいですし、ひとりで遊びに出かけてもいい。要は、
「息のかかるほどの近さに人間を近づけたり、ひと肌に触れたりするようなことはしない」
「電源を切ることでいつでも打ち切ることのできる関係から踏み込まない」
「自分の感情をかき乱されたくない以上、人のこころの機微にも触れない」
といった基本的ルールが守れるかどうかが、次世代の若者には問われるかもしれません。

 どんなに人口超密な場所に暮らしていようとも、宅配業者やウーバーイーツとしか会わない彼は独りぼっちです。隣りにどんな人が住んでいるのかも知りませんし知りたいとも思いません。しかし独りぼっちでいながら孤独ではありません。なぜならこころの居場所は別のところにあるからです。

【こころの居場所は世界中にあるが、ここにはない】

 私は以前、SNSの中で児童相談所の職員が子どもを連れて行ってしまったと憤慨する親の記述を見たことがあります。それに対して「おまえ、いったい自分の子どもに何をしたんだ」と言うまっとうなコメントもありましたが、驚いたことに「児相に子どもを連れ去る権利はない」といった賛同の声が山ほど寄せられたのです。

 そうです。1万人にひとりしか思いつかないような突飛な考えでも、賛成してくれる人は日本国内だけでも1万2600人、世界には82万人もいるのです。1万人にひとりは自分の近くでは発見できませんが、ネットの世界には必ずいて、案外みつけやすいのかもしれません。会えば必ず大きな声で支えてくれます。
 そうなるともう、生身の人間と触れ合う意味も分からなくなります。結婚をするにも特別な理由が必要です。