「まるで分っていない」

 私の住む地方の中堅都市で「学校や家庭に居場所のない中高生のためのスペース」を提供しようという計画が持ち上がっています。イメージとしてはダンスの練習ができるミニ体育館とかロック・バンドのスタジオ、ストリート・バスケットのための施設といったそんなものです。「学校や家庭に居場所のない中高生」、つまり勉強にも部活にも学校の人間関係にも熱中できず、家庭でも大事にされていない中高生が三々五々集まってきて、ダンスや音楽といった創造的な活動やスポーツに巡り合い、生き生きと活動する場、そういうものとして考えられているようです。

 しかしそんなことって、実際にありうるのでしょうか。

「居場所のない中高生(勉強にも部活にも学校の人間関係にも熱中できず、家庭でも大事にされていない中高生)」と聞くと、中学校の先生あたりがまず思い浮かべるのは街を徘徊する虞犯少年たちのことです(不登校のことも浮かびますが「自発的に集まって何らかの行動を起こす」ということはあまり考えられないので、とりあえず外します)。

 たしかに街の虞犯少年たちは学校にも家庭にも居場所がありません。勉強なんかさっぱり分かりませんから授業に出ても怯えているだけです。「いい発言をしてくれるだろう」と期待してくれる人など教師も含めてひとりもいません。生徒会ではむしろ厄介者です。真面目な活動などしたことがありませんから誰も相手にしません。部活はずいぶん前に辞めてしまいました。当然、つきあってくれるのは同じ境遇の仲間だけです。他の生徒たちは皆、勉強や部活で忙しいのです。

 家庭でも、親も兄弟もうるさく言わなくなっています。言ってもムダだと諦められているのです。一応、部屋はそのままで食事も小遣いも出してもらっていますが、それは餌を与えて飼われているようなもので、もしかしたらペットより扱いが低いのかもしれません。

 そんな彼らは物理的な意味でも居場所がありません。だからコンビニの前やらゲームセンターやら、あるいは河川敷でフラフラしているのです。

 基本的に、この施設は開店閉業になると私は思います。たいていの中高生は学校や塾や友だちづきあいで忙しいのです。ひとりでそんなところに行く理由がありません。

 最良の場合でも、そこは高校の部活のヒップポップチームやアマチュア・バンド、ストリート・バスケット・チームの練習場です。ただしそのとき集まってくるのは「居場所のない中高生」ではなく、「練習場所のない中高生」です。そういう子たちのための施設がたくさんあるのは良いことですが、市の税金が県立や私立の学校の下支えに使われるのはいかがかという問題も生まれるでしょう。

 最悪の場合はほんとうに「学校にも家庭にも居場所のない」虞犯少年のたまり場です。もちろん本格的に悪い子たちはそんなところに来ませんから、チョイ悪、あるいはこれから本格的に悪くなっていくかもしれない程度の子どもたちです。

しかしそれにしても各中学校・高校からはぐれた子たちが集まって仲間づくりをすることが、必ずしも良いこととは思えません(私は2月に亡くなった川崎市の上村遼太くんのことを思い出します。中学生なのに高校生とつきあいのある子はそんなに多くはありません)。

 いずれにしろ楽観主義でスタートしてよいものではなさそうです。それにも関わらず市の施策に上がってくるのは、地方政治の担い手たちがまるで分っていないからです。教育はしばしばこういう人たちにかきまわされます。