「カウントダウンが始まるとき」~川崎無差別殺傷事件から何を学ぶか 2

 引きこもりを 事件の原因のように考えるのは間違っている
 引きこもりの人たちが、みんな川崎のような事件を起こすわけではない
 ――もちろんそうだ
 しかし もしかしたら無関係ではないのかもしれないと
 本気で恐れている人たちがいる
 当事者と 家族と 引きこもりに責任のあるすべての”私たち”だ
というお話。

f:id:kite-cafe:20190603052847j:plain(ルイ・ジャンモ 「魂の詩 悪しき小径」)

【最後の決断】

 元農林水産省事務次官が40代の息子を殺した事件。
 長年家庭内暴力に耐えてきたエリートも、就労せず部屋に引きこもりがちな息子が近隣の学校の騒音を口汚く罵り始めたとき、先週の川崎の事件と18年前の池田小事件が重なって、子を道連れに、人生を終えようと決めたのだろうな。そんなふうに感じたのは私一人ではないはずです。
 長年国家ために働いてきた自分が最後になすべきご奉公はこれなんだと、そのとき覚悟を決めたのだと。

 一方、子どもの方は殺されても仕方のない人だったのかというと、もちろんそれも違います。表面的にはただ怠け暮らしているように見えた息子にも、彼なりの苦しみや葛藤、そして家庭内暴力に行きつくまでの必然性があったはずです。

 しかし今頃になって原因追及をしてもしょうがありません。問題は今日を、そして明日をどう生きるかです。

 

【家族は格闘してきた】

 私はかつて、不登校からそのまま引きこもった30歳代の青年が、家で暴れて物を壊したあげく、両親に向かってこんなふうに叫んだという話を聞いたことがあります。
 
 みんなお前たちが悪いんだ! お前たちのせいだ! お前たちのおかげで、オレはこんなふうになっちまった。
 学歴もない友だちもいない、何の社会的知識も経験もない。こんなオレがどうやって世の中に出ていけるというんだ。
 お前たちはなぜあの時――オレが学校へ行きたくないと言ったとき、首に縄をつけてでも連れて行かなかったのだ、学校へ行くことがどんなに大切か、分かっていながらきちんと教えなかったのはなぜだ?
 まさかお前たち自身もその意味が分からなかったわけじゃないだろう。

 本当に愛情があったなら、子どもを学校に行かせないなんて絶対にできなかったはずだ。小学生のオレの前にひざまづいて、泣いて懇願してでも行かせようとしたはずだ。
 それをしなかったということは、結局オレのことなんてどうでもよかったってことだ。
 自分たちが可愛いくて、それでオレを放ったらかしにした。
 それでも親か!? それでも人間か!?
 いったいどういうつもりでオレを産んだ? どういうつもりでこんな人間に育てた!?

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 しかしそんなふうに責められた親もたまったものではありません。
 子どもが学校に行かないことに陰でどれほど親が胸を焦がしたか、この子は知らないのです。

 学校に行けと怒鳴りもしたし懇願もした。もので釣ろうとしたり、友だちに声をかけてもらったり、そういうことも全部したのに、この子は覚えていない。

 学校はもちろん児童相談所、心理カウンセラー、病院、ありとあらゆるところに出向いて話を聞いたが、とにかく子どもの前で学校の話はするな、登校刺激を与えてはいけない、学校の話をすればかえって長引くと、そんな話ばかりだった。

 そして表面上は穏やかに、登校を促すこともなく、静かに見守るようにした。しかしあれから二十数年、今やこんな言われ方をされるようになってしまった――。

 私は自分の年齢が年齢だけに親の側に気持ちが向きやすくなりやすくなります。しかし子の気持ちが分からないわけでもありません。

 もう一度、彼の言葉を反芻してみましょう。
 学歴もない友だちもいない、何の社会的知識も経験もない。こんなオレがどうやって世の中に出ていけるというんだ。
 絶望の深さがよく伝わってきます。

 それでも保護者(親や祖父母、あるいは叔父叔母)が元気なうちはまだ何とかなりました。問題をいくらでも先送りできたからです。その保護者たちが、そろそろ高齢で限界が見えてくる・・・。

 

【私たちの責任】

 世の中に学校に全く行けず、家で過ごしている「登校拒否」と呼ばれる子どもたちがいると評判になり始めたのが1975年前後のことです。
 私が実際にそうした子と会ったのは、学習塾の講師をしていた1979年のことで、ちょうど40年前、小学校1年生の可愛い女の子でしたから生きていれば今年47歳になっているはずです。
 元事務次官の息子や川崎事件の犯人と同世代になります。

 不登校は現在でも原因不明で決定的な対応策・予防策の見つからない難しい現象ですが、当時は分からないなりに教師が夜討ち朝駆けで子どもたちに向かい、けっこう大勢の子どもたちを学校に戻していたのです。
 ところが平成に入った1989年ごろから心理学会の権威や医学界の重鎮が、学校に戻そうという試み自体が子どもを追い詰め事態を悪化させるという説を唱え始め、あっという間に燎原の火のごとく広がっていったのです。
 権威・重鎮の言うことですから、下々の者は従うしかなかった――。

 あとから考えれば「心理学会の権威や医学界の重鎮」が見ていたのは最後の最後にそれぞれの学会の頂点にたどり着いた、本当にいじられ尽くした、状況の悪い重篤な子ばかりだったのです。二次障害・三次障害に苦しむ子どもたちに“学校へ行けと言ってはいけない”、それはとてもよく良くわかることです。  
 ただ、その方針が当時、宿題が済んでいなくて学校に行きたくない子にも採用されるようになり、不登校の数は飛躍的に伸び始めるのです。
 それに抵抗しきれなかった私たちの責任です。

 

【カウントダウンが始まった】

 今、70年代後半に世間の耳目を集めた最初の不登校の子たちが50代に差し掛かって、新たな視点でとらえられるようになってきています。

 先の青年の言葉をもう一度繰り返すと、 学歴もない友だちもいない、何の社会的知識も経験もない引きこもりの子たちが、生活を保障してきた親たちを失い、社会に押し出されてくるのです。

 仕掛けられた時限爆弾が最後のカウントダウンを始める。
 それは保護者を失う子にとっても、そんな子を残していかねばならない親にとっても、言い知れぬ恐怖であり絶望です。

 引きこもりの人たちが全員、川崎のような事件を起こすわけではない――そんなことは当たり前です。100万人以上もいる「引きこもり」が全員大量殺人予備軍だったらたいへんなことです。
 しかしその100万人の引きこもりと家族が、今回の川崎の事件を機に、さらに一歩、深く追い詰められたことはおそらく事実です。

 それを放置してはならないと私は思うので。

                            (この稿、続く)