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「マティス」~私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい

 東京都美術館マティスを観に行った。
 単純で誰にでも描けそうな絵なのでかえって分からない。
 しかしそうなると、絵画が分かるというのはどういうことになるのだろう?
 マティスの絵がまるで子どもの絵に見えるのは、なぜだろう?
という話。(写真:SuperT)

マティスを観に行った】

 東京に行ったついでに都美術館のマティス展を観に行ってきました。
 帰ってきて、その間、母の介護を頼んでおいた弟に、御礼がてら写真を送ると、
マティス展、行ったんだ。興味あるんだね。僕は、フォーヴィスムと言うのが全く分からない。名前を見なければ、小学生の絵かと思うほどだね。良かったかい?」
 その時は忙しかったので例だけで「マティスについてはあらためて」と返してそのままにしてしまったのですが、あとから考えたらそこにはけっこう深い問題があることに気づきました。それは『美術作品が「分かる」というのはどういうことか』という問題です。

 マティスがどのような理由や理論でああした絵を描くようになったのか、それを理解して説明できることが「分かる」なら、私もマティスがさっぱり分かっていません。
 そうではなく、何点かの絵が気に入って「ああ、これいいな」とか「(それにふさわしい建物と壁があれば)この絵を飾ってみたいな」と、そう感じることが「分かる」というのであれば私はマティスがよく分かります。マティスばかりでなく、たいていの有名画家の作品は本物を数点観るだけで、その良さは十二分に分かります。これは長年美術館に通い続けてきた私が、自信をもって言えることです。

【私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい】

 フォーヴィズムというのは1905年、パリで開催された展覧会サロンに出品された一群の作品を見て、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチに、ある批評家が「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名されたといいます。
 理知的なピカソキュビズムと違って、感覚を重視し、「色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として自由に使われるべきである」とする立場をとります。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現。世紀末芸術に見られる陰鬱な暗い作風とは対照的に、明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造したのです。(Wikipedia他)
 
 その主張は、例えば「ダンスⅠ」などに遺憾なく発揮されています。形にこだわらず、好きな色を好きなように使う――その意味でマティスは小学生と同じで、私の弟の言う「小学生の絵かと思うほどだ」はこうした絵の感想としては極めて妥当だと言えます。


 構図の軽視あるいは蔑視は、「赤の大きな室内」と題された右の絵にもいかんなく発揮されています。テーブルの上の花々はできるだけ少ない筆使いで簡単に描かれるようにしてあり、床に置かれたヒョウなどの毛皮も、まるでやる気のない画家の絵のように、簡単に、だらしなく描かれています。それでいて色彩へのこだわりは強い。
 ここまで描き込まれるとさすがの弟も「小学生の絵かと思うほどだ」とは言わないと思いますが、意図はかえって分かりにくくなります。
 
 しかし私たちにはマティスを理解するための心強い里程標があります。それはマティス自身の語った次の言葉です。
「私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」

【ジャズと礼拝堂】

 晩年、体力がなくなって絵筆の十分に振るえなくなったマティスは、切り貼り絵の世界に没頭します。絵筆では表せない形の面白さや躍動感が表現できる切り絵は、マティスが当然行き着くべきひとつの地点でした。
 なかでも『ジャズ』は、切り紙絵を原画とする20点の挿絵と自筆のテキストを収めたマティスの挿絵本の集大成で、サーカス、珊瑚礁、ハート型や単純化されたトルソ-といった抽象的な形が、ジャズのリズムのように踊って楽しませてくれます。

 一方、最晩年、南フランスのヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の建設にも熱中し、マティス自身が「生涯の最高傑作」と呼ぶ礼拝堂は、亡くなる3年前の1951年、ついに完成に至りました。

 マティスの作品は一見すると単純で他愛ないもののように見えるだけに、慣れない人には抵抗感も強いのかもしれません。しかし児童画に夢中になれる人なら、その楽しさ、面白さはすぐに分かるはずです。子どもの絵がそうであるように、マティスの絵も誰にでも描けそうに見えて、普通の大人には絶対に描けないものなのです。

matisse2023.exhibit.jp