日本の西には核兵器をもった権威主義の国が三つもある。
分かっていたことだが改めて見ると慄然とさせられる。
それがロシアのウクライナ侵略がもたらした新たな視点だ。
これからの私たちは、何を考えて生きて行ったらいいのか。
という話。
分かっていたことだが改めて見ると慄然とさせられる。
それがロシアのウクライナ侵略がもたらした新たな視点だ。
これからの私たちは、何を考えて生きて行ったらいいのか。
という話。
(写真:NHK+)
【東アジアの構図が違って見える】
今週月曜日のニュースウォッチ9で、「日本をめぐる安全保障環境、大変厳しい状況に置かれていますよね」といって紹介されたのが上の画面です。
「ウクライナへの侵略を続ける中、今月も北方領土で軍事演習を行ったロシア。ミサイル発射を繰り返し、核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮。そして軍事力を高め、海洋進出を強める中国。このように日本の周辺にはさまざまな脅威があり、今、見直しが迫られています」
そんなことは十分わかっていましたが、ロシアのウクライナ侵略を念頭に改めて見ると、同じ構図がまったく違った意味をもってそこにあることに驚かされます。
ウクライナの隣にある核保有国はロシアだけですが、日本の隣には三つもあって、そのいずれもが権威主義の国なのです。これまでロシアが北海道に攻めてくるとか、北朝鮮が日本国内のアメリカ軍基地に核ミサイルを撃ち込むとか、あるいは中国が尖閣諸島から与那国島を占拠し、そのまま琉球諸島を駆け上がって九州に迫ってくるとか、そういうことはほとんどありえない小さな可能性だったのですが、突然、現実味を帯びてきたのです。
もちろん今日明日の話ではありません。しかし5年ないし10年かければ、それらは事実となる可能性があるのです。
「ウクライナへの侵略を続ける中、今月も北方領土で軍事演習を行ったロシア。ミサイル発射を繰り返し、核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮。そして軍事力を高め、海洋進出を強める中国。このように日本の周辺にはさまざまな脅威があり、今、見直しが迫られています」
そんなことは十分わかっていましたが、ロシアのウクライナ侵略を念頭に改めて見ると、同じ構図がまったく違った意味をもってそこにあることに驚かされます。
ウクライナの隣にある核保有国はロシアだけですが、日本の隣には三つもあって、そのいずれもが権威主義の国なのです。これまでロシアが北海道に攻めてくるとか、北朝鮮が日本国内のアメリカ軍基地に核ミサイルを撃ち込むとか、あるいは中国が尖閣諸島から与那国島を占拠し、そのまま琉球諸島を駆け上がって九州に迫ってくるとか、そういうことはほとんどありえない小さな可能性だったのですが、突然、現実味を帯びてきたのです。
もちろん今日明日の話ではありません。しかし5年ないし10年かければ、それらは事実となる可能性があるのです。
【世界も自分も信じられなくなってくる】
今回のウクライナ侵略に関して世界中がロシア軍の蛮行を非難しているにも関わらず、ロシア国内でのプーチン支持率は80%を越えたと言います。大統領はクリミア併合以前から、「ウクライナはナチス的民族主義者に乗っ取られつつあり、ロシア系はもちろん、ウクライナ人でさえ弾圧され、民族浄化の危機にさらされている」と宣伝してきました、実に巧妙に丁寧に。そして10年同じことを聞かされれば、ひとは信じるようになるのです。
現在のロシア国民の大きな関心事の一つは、南から戻ってくるカモたちにどう対処するのかだそうです。国営テレビのニュースによれば、カモの体内に欧米の開発した“ロシア人の遺伝子を持つ者だけに感染する病原性ウィルス”が仕込まれている危険性があるからです。
それを国営放送のニュース番組が真剣に紹介する。マインド・コントロールはこんな荒唐無稽が信じられるほどに進んでいるのです。
私たちは今回の経験から、権威主義はマスメディアはもちろん、インターネットも遮断して情報を統制できることを知りました。一人ひとりは善良な人々でも、集団として情報操作をされればひとたまりもありません。
こうした情報操作から自由でいるためには、複数の情報源に当たることが大事だと教えられてきましたが、合衆国の例を見ればそう単純な話ではありません。情報量が多すぎると、今度は私たちは、自分の好みに合う情報だけを選択的に信じるようになるからです。
現在のロシア国民の大きな関心事の一つは、南から戻ってくるカモたちにどう対処するのかだそうです。国営テレビのニュースによれば、カモの体内に欧米の開発した“ロシア人の遺伝子を持つ者だけに感染する病原性ウィルス”が仕込まれている危険性があるからです。
それを国営放送のニュース番組が真剣に紹介する。マインド・コントロールはこんな荒唐無稽が信じられるほどに進んでいるのです。
私たちは今回の経験から、権威主義はマスメディアはもちろん、インターネットも遮断して情報を統制できることを知りました。一人ひとりは善良な人々でも、集団として情報操作をされればひとたまりもありません。
こうした情報操作から自由でいるためには、複数の情報源に当たることが大事だと教えられてきましたが、合衆国の例を見ればそう単純な話ではありません。情報量が多すぎると、今度は私たちは、自分の好みに合う情報だけを選択的に信じるようになるからです。