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「諸聖人の日:日本のハロウィーンがスタンダードになる日は来るのか」~文化的グローバル化の話①

 今日は万聖節、昨晩はハロウィーン
 日本のハロウィーンアメリカ人が来るなんて、
 誰が想像しただろう。
 しかもそれが日本にとって良いことではなかったなんて、
という話。
(写真:フォトAC)

諸聖人の日

 11月になりました。キリスト教国では今日が「万聖節」。「諸聖人の日」とも訳されるすべての聖人に祈りをささげる日です。

 ここで言う“聖人”は一般的な「聖なる人」ではなく、キリスト教に尽くして亡くなった人のうち、特に教会が選んで認定した人のことを言います。宗派によって多少異なるようで、注意して区別する必要がありそうです。
 たいへんな人数ですから異教徒の私たちがことさら覚えることもないと思うのですが、聖母マリアだとか聖ヨハネヨハネ福音書の著者)、聖ペテロ(初代ローマ教皇)と言った名前とともに、聖フランシス・コザビエル、聖ジャンヌ(オルレアンの少女:ジャンヌ・ド・アーク)、聖テレサマザー・テレサ)といった良く知られた名もありますから一度見てみるのもいいかもしれません。
(参考)Wikipedia「キリスト教の聖人一覧」

 また聞いたことのない名前でも、気まぐれにリンクを辿ってみると「新致命女アナスタシヤ」だとか「ジャシンタ・マルト」など、“おやおやこんな人が”と思うような人物がでてきたりしますから、案外楽しい勉強になります。

ハロウィーンと庚申待ち】

 その万聖節の前夜祭が「ハロウ・イヴ《ニング》(聖なる前夜)」つまりハロウィーンです。万聖節の前夜は冥界と現世の境界が曖昧になる日で、地上を魑魅魍魎が跋扈するため、人間も魑魅魍魎に姿を変えます。恐ろしい姿となって異形の者たちを怖れさせ退散させるためとか、異形の者たちに紛れ込むとかいった考えがあるみたいです。
 冥界と現世の境界が曖昧になると言えば、日本には60日ごとに訪れる庚申(こうしん・かのえさる)の日に、人が眠ると体内の「三尸(さんし)の虫」が抜け出して、天に昇ってその人の悪行をいちいち天帝に報告するという信仰がありました。そのたびに寿命は短くなるのだそうです。

 ですから人々はその夜一晩中、眠ることなく飲食歓談をしながら朝まで過ごしました。これを「庚申待(こうしんまち)」といい、その仲間を「庚申講(こうしんこう)」と言います。また庚申信仰の功徳を願って土盛をつくり、そこに「庚申塔」を立てる風習も広がりました。その土盛と庚申塔を合わせて「庚申塚」と言ったりします。
 庚申塚は田舎にたくさんあって、私の家の近くにもいくつか見られます。「庚申塔」と大書してある石碑の形が普通ですから、すぐに見つかるはずです。

【水は低きに流れる】

 タイムマシンを使ってほんの10年か15年ほど遡って、
「日本のハローウィンを楽しもうと、10月の末にアメリカ人が大挙して渋谷や新宿に繰り出す時代が来るよ」
と言えば笑い者になるかもしれません。
 アメリカのシカゴに阿波踊りを観に行くような、4月のニューヨークのセントラルパークに、日本人が大挙して花見に行くようなものですから。
 しかしもちろんアメリカ人たちはハローウィンという行事が珍しくて来るわけではありません。いい齢をした大人が仮装をして路上で酒を飲み歩き、大騒ぎ、大暴れをして一晩中過ごすという、自国ではできない体験をしたくてやってくるわけです。

 しかしいま挙げたハロウィーンのフルセットを、すべて行う人間は日本人でも多くはありません。数年前、渋谷の路上で軽トラックをひっくり返して遊んでいた人たちも、急性アルコール中毒で救急搬送された人たちも、数えてみれば当時渋谷にいた中のほんの一握り――いやほんの一つまみにも満たない悪い人たちでした。その悪い部分に憧れて、多くの外国人がやって来たわけですから面白くありません。

 日本人の中には右手にジャック・オ・ランタン、左手にゴミ袋をもって歩いている人もいれば、当日は家で過ごし、翌朝、カボチャ色のゴミ袋をもって始発電車でわざわざ駆けつける人もいます。もちろん同じようにしようとする外国に方もいますが、それがしたくて来日する人も多くはないでしょう。残念なことに、悪しきことは善きことに比べて、圧倒的に真似されやすいのです。
 昨夜の新宿・渋谷はどうだったのでしょうか。裏切りの街になっているといいのですが。
(この稿、続く)