カイト・カフェ

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「もしかしたら放っておいても感染拡大は止まる」~人間関係の袋小路の話

 8月半ば、新型コロナの感染拡大は、私たちを恐れさせるに十分な勢いだった。
 ところが月末、今度は減少に転じるとその減り方も凄まじい。
 もしかしたら私たちの人間関係は、
 あちこちで袋小路になっているのかもしれない。

という話。 

f:id:kite-cafe:20210914073906j:plain(写真:フォトAC)

 
 夏休みを取ってブログを更新しなかったあの時期に、起こっていた大きな事象のひとつは、新型コロナの爆発的な感染拡大です。
 8月20日のブログにはこんなふうに書きました。
「4.新型コロナ感染が手のつけられないほどの状態に陥ってしまった」
 

新型コロナウイルス、感染拡大の凄まじさと異常さ】

 3月~4月の第4波は首都圏以外が中心で、だからこそ第5波が始まったとき、第4波で十分に感染の広がらなかった首都圏が、いわば初心なために大きな被害に遭っている、そんなふうに考えました。しかしそれは間違いだったようです。
 第5波の急速な感染拡大はデルタ株によるもので、4月から5月のインドの状況が日本で再現されていただけだったのです。感染力がハンパではありませんから若者も子どもも例外なくかかるようになり、医療も逼迫しました。

 ただし6月以降、高齢者のワクチン接種が相当に進んでいましたから、おそらく60歳以上の感染者および死亡者がかなり抑えられ、おかげでこの程度で済んでいるのかもしれません。インドではピーク時に1日41万人を越える感染者と4200人もの死者が出ていました。日本もワクチンがなければ、感染規模は現在の数倍にもなっていたかもしれないのです。

 ところが感染拡大も急でしたが、潮のひき方も尋常ではありません。
 下のグラフは「直近一週間の人口10万人あたりの感染者数の変化」を表したものですが、第4波が比較的ゆっくりと上昇して、それよりは少し速い速度で下がっていったのに対し、第5波はとんでもない速さでとてつもない高さまで上昇した挙句、一気に下がって今月末には底を打ちそうな勢いです。

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 実際、東京都を例にとると、感染者は昨日まで22日間連続して減少。そのうち14日間は前の週の同じ曜日に比べて1000人以上も減り続けてきたのです。どうしてこんなことが起こっているのか。
 
 

【もしかしたら放っておいても感染拡大は止まる】

 ある専門家は急速な感染拡大が恐怖心を生み出し、一人ひとりの行動を抑制させたに違いないと言います。しかし40~50%減らさなければ減少には転じないと言われていた人流は、その後、減った様子がありません。それどころかワクチン接種を終えた人たちを中心に、街に浮かれて次々と出てきている感じさえあります。
 別の専門家は“検査は足りているのか”と疑問を呈します。しかし“感染者数を押し下げてしまうほどの検査数の減少”というのも考えにくいところです。だとしたらなぜ、これほどまでに減少しているのでしょう?

 そこでふと思いついたのは、「自然に減った」という答えです。別な言い方をすれば「何もしなくても減るときは減る」「手を打たなければ死者は爆発的に増えるが、感染者数自体はいつか上限に達し、減るときはやはり減る」ということです。

 なぜそう思うのかというと、たぶんインドがそうだからです。1日の感染者41万2千人ほどを頂点として、わずか2カ月ほどで十分の一以下の4万人前後まで減ってしまいました。
 ロックダウンもあれば医療従事者の努力もあったでしょう。しかし41万人が4万人に減るには、人知を越えた何らかの力が働いたと考えるしかないように思うのです。
 
 

【人間社会は計算通りに行かない】

 感染拡大はネズミ算のように考えるのが基本的なモデルでしょう。
 一人が5人にうつし、5人がそれぞれ5人ずつにうつし・・・と続けていくと、10世代でおよそ1000万人。11世代で5000万人、12世代では2億5000万人と日本の人口の2倍にもなってしまう、だからネズミ講も「不幸の手紙」も必ず行き詰まると説明されるのですが、実は12世代の遥か手前で終わってしまうのが普通です。なぜなら人間のやることは計算通りに行かないからです。

 例えば私は中学生くらいの時に「不幸の手紙」をもらい、「同じ文面で5人の友だちに手紙を出さないと死ぬ」とまで脅かされたのですが、書くのに大変な苦労をしました。というのはそこまで親しい友だちが5人もいなかったのです。そこであちこちに頭を下げて何とか受け取ってもらったのですが、それから一週間もしないうちにまったく予想もしなかった別ルートから「不幸の手紙」を受け取ってしまいました。送りつけてきた友だちは、私のように真面目に、投函する前に打診をしたりしなかったのです。そこで切羽詰まりました。
 もう出すあてがないので私は自分が不幸になることを覚悟して、2枚目の「不幸の手紙」を握り潰しました。つまり私の2本目のルートは途絶えたのです。

 ウイルス感染も同じです。
 まだ職に就いている妻が外部から新型コロナを持ち込んで私に感染させたとします。しかし私が誰かにうつすとしたら、それは毎日会っている94歳の母以外にいません。この一カ月をとっても、私が5分以上会話をした人間は、妻と母しかいないからです。その母も、たまに顔を出すもう一人の息子(私の弟)にうつすのがせいいっぱいで、ほかに感染させようがありません。こうして妻を経由した感染ルートの一本は潰えるわけです。
 
 

【人間関係の袋小路】

 もしかしたら人間関係の迷路は、ワーッと広がってやがてあちらで行き詰まり、こちらでも行き詰まって、全体としては袋小路となっている、そんなものかもしれないのです。もちろん完全な封鎖系ではなく、細い通路が何本か、出口を探して長く続き、やがて新たな平野をみつけて再び爆発的感染を引き起こす――そんなふうになっていると思えるのです。

 袋小路ですから速度が速ければ速いほど行き詰まるのも早い、それが今回の第5波だと、そんなふうに考えてみました。

 「人間関係はどのルートを通ってもそう遠からず行き詰まる。完全な袋小路ではないが極端に細くなる。その細くなったルートをしばらくたどっていくと、いつか新たな地平が見えてまたワーッと広がることができる」
 それが私の仮説です。ウイルス感染ばかりでなく、噂や流行の拡散という場面でも使えるモデルかもしれません。

 もっと若ければ本気で追究してみるところなのだがな、それが最近考えていることです。しかしこの程度のこと、すでにあちこちで研究論文が出ているかもしれませんね。