高年齢層の引きこもりを描いたNHKドラマ「こもりびと」
そこには典型的な引きこもりの家族の姿が映し出されている。
長い時間の中で子どもの心が少しずつ切り刻まれていく、
家族全体が静かに崩れていく、そして数十年――
という話。
(写真:フォトAC)
【NHKスペシャル・ドラマ「こもりびと」】
NHKがここのところ引きこもりについて様々な番組で共通に扱っています。 昨晩もNHKスペシャルでドキュメンタリー「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」が放送されていましたが、先週のその時間は松山ケンイチさん主演のドラマ「こもりびと」で、フィクションのかたちで引きこもりの現実が紹介されていました。
松山さんが成年引きこもりで武田鉄矢さんがその父親。父親にガンが見つかって亡くなるまでの数カ月間が舞台となります。
余命半年と期間が区切られて、引きこもりの息子との対決が余儀なくされた、というところから物語は始まるのです。
【こころをえぐり、刺す言葉。追いつめる人】
父親にとっては孫、息子にとっては姪に当たる女子大生がもう一人の重要人物で、彼女に助けられて父親はツイッターを通じた息子との交流の道を開いたり、引きこもりの当事者と家族の会にも顔を出すようになったりします。
そうするうちに父親は自分の今日までの言動を振り返り反省するようにもなるのですが、日記を頼りに思い出す自身の言動は、それはひどいものです。
大学受験を失敗した際には、
「わざわざ進学校まで行ったのに、国立受験失敗は自己責任だな。自分を甘やかしているからだ」
苦労してファミレスに就職し、店長として頑張ろうとすれば、
「契約社員? 大学まで出してやったのになんで正社員になれないんだよォ。非正規なんてお前、アルバイトじゃないか。えー? なん10社も受けてさぁ、1社も合格しないって、お前どういうわけだよ。黙ってないで、何か言えよ」
主人公の兄であるもう一人の息子が、“就職超氷河期だからなあ”と助け船を出すと、
「氷河期だって言ったってなぁ、何人も正社員になったやつはいる。まったくあいつは努力が足りないんだ」
その一言ひとことが口から出るたびに、主人公のこころをナイフのようにえぐっていることに父親は気づいていません。
母親が病気となって介護が必要になったのを機に仕事を辞めると、
「なんで仕事辞めた。母さんの介護にかこつけて逃げてるんじゃないぞ」
不貞腐れて寝ていると無理やり掛布団を剥いで、
「コラ起きろ! 結婚はできないわ、仕事は続かないわ、恥ずかしくないか。少しは俺の立場も考えろ。このままだとお前、家族の恥さらしだぞ」
よくも次々とこんな言葉が考え出せたものだと感心します。
もちろんフィクションだということもありますし、一人の語った言葉ではなく、取材の中で拾い上げたたくさんの親たちの言葉だということもあります。実際には5年~10年という長い時間の中で語られた言葉も、1時間というドラマの中に収めれば「次々と」という感じになるのも当然かもしれません。
ただし人は誰かの言葉を時間の感覚とともに記憶しているわけではありません。辛いこと、苦しいことを思い出そうとすると、10年前のものも昨日のものも一緒くたに出て来ます。その意味では松山ケンイチ演じる主人公の頭の中に、父親の残酷な言葉は父親自身が振り返る場面のように、「次々と」と現れているに違いないのです。
【子どものこころを親が言語化して――突きつける】
「わざわざ進学校まで行ったのに国立受験失敗は自己責任」
そんなことは百も承知です。しかし自分は自分なりに努力もした。その努力は“自分を甘やかしているから”の一言で、処理されていいものではありません。
「10社も受けて1社も合格しないって、どういうわけだ」
これも何十ぺんも考えた。何百回も思った。そして自分を責めた。しかし“どういうわけだ”なんて、オレにもわかるはずがない。分からないから何百回も問い続けている――。
「結婚はできないわ、仕事は続かないわ、恥ずかしくないか」
恥ずかしいに決まっている。不安でもある。怯えてさえいる。それを父親はボクの問題としてではなく “オレの立場”や“家族の恥”の問題としてしか考えていない――。
それが息子の側からの理解です。
視聴者の中には、ドラマを見ながら“ここまでひどい親はそういないだろう”、そう思われた方もおられると思います。しかしそうでもないのです。
親の本当の姿は生徒指導など厄介な問題でもないとなかなか見えてこないのですが、いかに子育て・教育の素人とは言え、ここまで「間違った対応」「してはならないこと」を次から次へと思いつき、次から次へと実行してしまう親がいるのかと呆れさせられることは少なくありません。生徒指導の現場ですから困難や問題を抱えた児童生徒が対象で、その親たちとなれば当然どこかに問題を抱えていて不思議はないのですが、それにしても少なくない――。
そして――ここからがかえって絶望的なのですが――それらの親の多くが、子どもに心を寄せ、期待し、愛情からそうした言動に走っているのです。
そこがさらに苦しいのです。
(この稿、続く)