「努力ですべてが解決するわけではないし、努力できるかどうかも能力だ」~NHKドラマ「こもりびと」を観て②

 NHKドラマ「こもりびと」の主人公の父親は、常に息子を叱咤激励してきた。
 一見それは悪いことではない。
 しかし必ずしも良いことにはならない。
 叱咤激励するためには、前提条件があるのだ。

という話。

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(写真:フォトAC)

【ひとはどこまで叱咤激励で伸びるのか】

 叱咤激励すればひとはどの程度まで実力を伸ばすことができるのか――。
 その一番正確な答えはおそらく「場合による」ですが、基本的には本人の伸びしろと激励の仕方の二つの変数の中あると言えます。

 分かりやすい例で言えば、今度の中間テストで息子に5教科で400点以上取らせたいというとき、まず考えなくてはいけないのは「それが可能か」という点です。
 いつも380点だとか390点だとかでなかなか殻が破れない、そういう子だったら400点は妥当な目標でしょう。本人の伸びしろの範囲にあります。
 しかしいつも300点前後を行き来している子どもに対して、「さあ次は400点をめざそう」と言っても何の意味もありません。それどころか害です。

 昨日の武田鉄矢のセリフもそうでした。
「わざわざ進学校まで行ったのに、国立受験失敗は自己責任だな。自分を甘やかしているからだ」
 進学校に入れたからといって普通に努力すれば国立大学に入れるというものではありません。東大に入ったり医学部に進学したりする子は、そもそも高校入試の段階で目を瞑っても合格できるような能力を持っていたのです。国立大学や有名私大に合格する子はそれに準じます。
 ようよう最下位で滑り込んだような子は違うのです。中位の子だって似たようなものです。

 同じ進学校でも2番手校や3番手校ならトップで合格した子もビリの子もある程度似たようなものですが、トップ校となるとその頂点には先生よりも頭の良い子がいくらでもいるのです。そんな高校に中下位で入れば、あっという間に置いて行かれてしまいます。
「わざわざ進学校まで行ったのに、国立受験失敗は自己責任だな」
 そりゃあ他人の責任ではないという意味では自己責任ですが、追及されても困ります。

【子のことを見ていない親】

 主人公の父親は元高校教師という設定ですが、紺屋の白袴、教師の半数は学校に夢中で我が子のことなんか見ていません。見ていれば息子がどの時点で遅れ始め、そのことをどう受け止めていたか、それは取り返しのつく遅れなのか、まったくダメだったとして、そのとてもではないが努力する気になれない状況でそれでも頑張ったのか諦めたのか――そうしたことはみんな分かったはずです。ダメな子どもの実態が理解できていれば、「わざわざ進学校までに行ったのに」といった言葉は出なかったはずです。

契約社員? 大学まで出してやったのになんで正社員になれないんだよォ。非正規なんてお前、アルバイトじゃないか」
「氷河期だって言ったってなぁ、何人も正社員になったやつはいる。まったくあいつは努力が足りないんだ」

も同じです。

 就職超氷河期の子どもたちがどういう人生を強いられてきたか――、実は私も今年に至るまでまったく知らずに来てしまいました。
 中学校教師としての最後の教え子たちがまさに氷河期の子どもたちでしたが、私はこの子たちを卒業させたあと、数十km離れた小学校の教員となっていたため、彼らの就職事情や結婚事情については知らないまま過ごしてしまったのです。

 彼らの半生がどのようなものであったか――その驚くべき実態については今年の一月にこのブログでも書きました。

kite-cafe.hatenablog.com それを考えると、非正規であろうがアルバイトであろうが、働く場所を得て働く意志を維持していただけでも誉めてやらなくてはなりません。

 私は小学校の教員でしたし自分の子どももまだ小さかったのである程度無知だったとしても仕方ありませんが、主人公の父親は高校の教師であり、なおかつ自分の子どもも就活期だったのです。苦しい息子の状況に心を寄せ、なぜ一緒に泣いてあげなかったのでしょうか。
「こもりびと」はフィクションですが、40代の子を持つ親たちの多くは就職や結婚の時期、子どもと一緒になってうろたえ、心配し、泣き、走り回っていたのに。

【努力ですべてが解決するわけではない。努力できるかどうかも能力だ】

 そもそも「こもりびと」の主人公は、最初から一流大学や超一流大学に進むような子ではなかったのかもしれません。超氷河期の就職に際して、企業から優先的に選んでもらえるほど優秀でもなく、他人を押しのけてでも前に出るような性質でもなかったのでしょう。
 しかしそれが何ほどのことですか? 世の中にエリートなんてほんの一握りしかいないのです。“普通”であることすら難しい時代に、なぜ常にトップをめざさなくてはいけないのか――。

 これがスポーツだったら、わが子の力のなさを嘆く親は多くはありません
 誰でも本気で努力すればオリンピック選手になれると思う人はいませんし、高校の野球部員の保護者で「お前がドラフトに引っ掛からなかったのは、自分を甘やかしていたからだ」と言う人は稀です。
 それなのに受験だとか就職だとかいったことになると、ひとはなぜ努力ですべてが解決する、良い結果が得られないのは努力が足りないからだと思いたがるのでしょう?
 そもそも努力できるかどうかだって能力のひとつなのに。

「ひとはどこまで叱咤激励で伸びるのか」の答えのひとつはここにあります。
 どんなに叱咤しようが励まそうが、その子が伸びることのできるのは「その子のその時点での伸びしろ分」だけです。  

(この稿、続く)