日本で感染者が少なかったのは単なる偶然だったのかもしれない。
もはやこの国で誰も、枕を高くして眠ることなどできないのだ
三密を避け、五つの小を守り、飲みたい人は10日に一度。
そして思い出したのだが・・・黙って食べろ!
という話。
(写真:フォトAC)
【岩手県はどうしている?】
昨日までの新型コロナウイルス感染者数を47都道府県別に並べると、人数の少ない方から5県は鳥取(57人)・秋田(83人)・山形(111人)・香川(135人)・島根(144人)の順になります。
「あれ?」
と思われた方もおられると思いますが岩手県がありません。
岩手県と言えば、日本中が怯え震え上がっていた第一波感染を難なくすり抜け、第二波も感染者の増加が天井知らずで、一日の感染者が間もなく1000人を越えようという7月28日になって、ようやく最初の2名が報告された奇跡の県です。全国に比べて異常なゼロ続きでしたから、初めて感染者が出たときはかえってホッとしたのではないのかと思われたほどです。自分が第一号にならずに済んだのですから。
その7月28日以降も、県外で感染して帰って来ただけと思われる感染者がチラホラ散見されるだけで、今月8日に至るも、感染者はわずか30名、全国最少だったのです。ところが9日にひとり、10日に二人と報告され、11日に8人が報告されると瞬く間に数が増えて16日には鳥取・秋田両県を抜き、昨日夕方の時点では175人の感染者ということになっているのです。
盛岡市内の消防分署、飲食店、そして最近では福祉施設内でもクラスターが発生し、「直近一週間の人口10万人あたりの感染者数」も昨日までで6・36人と三重・宮崎に続く17位にまで上昇しています(NHKまとめ)。
特に心配なのは11月9日以降、感染者ゼロの日が一日もない点で、岩手県は新たな局面に入ってしまったことを伺わせます。
【誰も無事ではいられない】
国際的にみると、これまで岩手県のように新型コロナ防疫の模範と呼ばれる国がいくつもありました。今となってはブラックジョークとしか思えないのですが、フランス・ドイツ・スウェーデンがその代表です。
韓国では文大統領が「K防疫は世界標準となった」と高らかに宣言し、日本でも安倍前総理が「日本モデルの成功」を声高に叫んだものです。しかし今はどちらの国でもそんなことをいう人はいないでしょう。負け組とは言いませんがかなり怪しい雰囲気になってきました。
先日からお話している、ニュージーランドや台湾、そして多くのアフリカ諸国も現在はうまいこといっていますが、最後までそうであることが保証されているわけではありません。
今、感染者が極端に少ないのは「極端に少ないから少ない」という自同律みたいな理由からかもしれません。新品の洗濯機や新しい住宅の風呂がカビにくいのと同じで、いったん入り込まれて一時的にしろ占拠されると簡単になくすことができないのかもしれないのです。それができるのは、中国のようなIT大国かつ強権国家だけです。
【新型コロナ感染の三つの局面】
コロナ感染にはまず「ほとんど感染者がいないから感染が広がらない」という時期が最初にあり、次に「特定の場所で繰り返し感染者が現れ、なかなか消えない、しかし大きくは広がらない」という時期があって、第3の局面では「場所を選ばずウイルスが常駐し広がる」時期があるということになっているのかもしれません。
それぞれに臨界があり、一定の状況が生れないと次の局面に進まない――そんなふうに思えるのです。
そして今や日本も第三の局面に入っているのかもしれない――それが私の憂いの正体です。
今年の2月~3月、韓国とイタリアで爆発的な感染が始まったとき、日本が例外であったのは花粉症の時期でマスクをしていた人がやたら多かったから――その程度の理由かもしれません。
4月11日を頂点とする第一波を大型連休に観光地どころか職場にも行かないという準ロックダウンによって収め、6月末からの第二波もお盆休みと夏の換気の良さ、そしてなによりも発生場所が「夜の歓楽街」という狭い範囲であったことによって回避できたものの、今回の第3波はどこにも好条件がない、だからヨーロッパ並みに蔓延する、そんなふうにも思えます。
鬼滅の刃ではありませんが、鬼はすぐ隣にいるかもしれず、また、私自身がすでに鬼になっているのかもしれないのです。
【黙って食べろ!】
何かよいアイデアがあるわけではありません。
三密を避け、手洗い・マスクをきちんとして、飲むなら家飲み。
どうしても外で飲みたい人は「10日に1度月3回」(MEDIAN TALKS『東京都医師会長が年末年始に向け呼びかけ「飲み会は10日に1度、月に3回で」』)。
五つの小(「少人数」「小一時間」「小声」「小皿(に取り分ける)」「小まめ(な手洗いやマスク着用)」)。
――突然思い出したのですが、子どものころ、食事の時間に父親が一番うるさく言ったのが、
「食事中は黙って食べなさい!」
でした。
昔はそういう道徳があったのです。
「いただきます」と言ったからには私たちのために命を投げ出した動物や植物たち、それらを育てるために汗水流した生産者たち、それらが食卓に並ぶまでに関わったすべての人々に感謝し、心を込めて味わいなさい――そういうことです。
いまさらの道徳観ですが、コロナ禍が去るまでのしばらくの間、我が家でも励行してみようかと思います。一部の学校ではすでに行っていることですから。
日本をヨーロッパや南北アメリカのようにしてはいけない。
(この稿、終了)