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「コーダ(聞こえない親のもとで育つ、聞こえる子どもたち)を、押さえておくべき視点として学んだ」~夏ドラマから知ったこと考えたこと②

 NHKドラマ「しずかちゃんとパパ」を見て、
 コーダについて学んだ。
 アダルトチルドレンカサンドラ症候群のように、
 子どもの問題を考える上で押さえておくべき家族の偏差だ。
という話。(写真:フォトAC)

【コーダ(CODA: Children of Deaf Adult/s)】

「しずかちゃんとパパ」は耳の聞こえない写真館の店主(笑福亭鶴瓶)とその一人娘しずか(吉岡里穂)を中心として、写真館のある商店街の再開発事業をもくろむ企業から送り込まれた青年(中島裕翔)の絡む恋愛・ホームコメディです。
 母親も耳が不自由でしたがすでに他界しており、しずかちゃんは父親と二人暮らし。それでも明るく暮らしてこられたのは、親子の人柄もありますが、周囲の人々の温かい支えがあってのことです
 青年には明らかな自閉症スペクトラム障害があってコミュニケーションに不安があるのですが、こちらも送り出した会社の上司や同僚、両親など理解のある暖かな人々に支えられて、なんとか社会人としての生活を送ることができています。
 しずかちゃんにはけれど何とはなしの生きずらさがあり、一生懸命働けば働くほど、特に同世代の女性から嫌われてしまう傾向があります。しずかちゃんにはその理由が分かりません。しかし調べることの大好きな青年が、やがて原因にたどり着きます。
 
 《聞こえない親のもとで育つ、聞こえる子どもたち》はコーダ(CODA: Children of Deaf Adult/s)と呼ばれ、ろう文化と非ろう文化の双方に軸足を置くため、特殊な感性を持ち、特別なコミュニケーション能力を獲得している場合が少なくありません。
 身振り手振りや頷き・指差し等、音声に頼らないコミュニケーションを学んで育っているため、体の動きが大きく、指差しも異常に多くなります。周囲の状況にそぐわない大きな声でしゃべったり、しばしば音を立てることに鈍感だったりして《ガサツ》と誤解されることも少なくありません。
 目を見て表情を読みながら話さなくてはならないため、話し手に対して正対し、目を見ながら一生懸命話し聞く癖がついています。そのためしばしば異性から好意を持っていると誤解され、そのことによって同姓からは逆に《媚びている》とか《あざとい》とかいった評価を受け、距離を置かれることも少なくありません。
 ボディランゲージが得意なので国籍を問わず外国人とコミュニケーションが成立し、そのため語学の天才と勘違いされることもある。小さなころから「偉い子」「役に立つ子」と褒められ続けてきたので、ほかの生き方ができない、または難しい、といった具合です。
 しずかちゃんは自身の特性を知ることによって次第に自らのアイデンティティを獲得し、やがて父親から自分を切り離し、自立していきます。それがこの物語の中心的な主題です。

【押さえておくべき視点】

 コーダという言葉も概念も今回初めて知りました。調べてみるとつい最近のアメリカ映画に「コーダ あいのうた」(2020年)というのがあって、頭の隅には引っかかっていたのですが、当時は特に調べてみる気もなく、通り過ぎてしまったのです。
 
 私は普通の小中学校の教員でしたので、特別支援学級の子どもたちを通して知的障害や身体障害、あるいは「プラダー・ウィリ症候群」だの「先天性無痛無汗症」といった厄介な病気や障害をもった子どもたちとは関係してきましたが、視覚障害聴覚障害については特別な環境(校舎・教室・機器など)や指導技術が必要なこともあってついに指導することなくきました。家族に視覚障害聴覚障害をもつ児童・生徒というのにも会ったことがありません。
 ですからコーダについては何の知識も経験もなく、「しずかちゃんとパパ」はその意味でとても勉強になるものでした。障害をもつ親に育てられた子、障害をもつ兄弟姉妹とともに育てられた子、というのはやはり検討しておく必要のあるものです。

アダルトチルドレン

 かつて「アダルト・チルドレン(AC)」という言葉がありました。とても扱いにくい言葉で、日本では最も広い概念として、
「小さなころから《良い子》でいることを強いられたために、真の大人になり切れない大人子ども」
といったふうに「自らの生きずらさの原因を親子関係に求める人たち」のことだと解釈されています。
 しかしこの言葉を流行らせた精神科医斎藤学ですら「虐待やアルコール依存症などによって機能不全に陥った家庭で育った子どもたち」と注釈をつけていますし、この言葉が生れた合衆国では「親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人(adult children of alcoholics)」といった狭い概念で扱うのが一般的なようです。
 基本的には共依存の問題で、飲酒をコントロールできず妻に依存する夫と「私がいなければ夫はダメになる」と、飲酒する夫の世話を焼くことに存在意義を見出す妻という関係性が根幹で、その仕組みは子の世代に受け継がれます。親がアルコールや薬物を間に置いた共依存だと、子もアルコールや薬物中毒になりやすく、配偶者に中毒患者を選び勝ちだというのです。アダルトチルドレンという英語はそもそも「すでに成人しているウチの子」といったニュアンスなので、「大人になり切れない」といった感じはないのです。

カサンドラ症候群

 また、最近は「カサンドラ症候群」という言葉もあって、これは、
「(コミュニケーションや情緒的な相互関係を築くことが難しい)自閉症スペクトラム障害(ASD)をもつ人の、家族に現れる不安や抑うつなどの心身の不調を来す状態」と定義されるみたいです。
 確かに配偶者や親に強い自閉症スペクトラム障害の傾向のある人がいるとそのストレスはハンパなく、心身の不調を来す人がいるのはもっともだと思います。しかしDV夫だとか虐待親だとか、あるいは家庭内暴力息子だとか、ストレスフルな家族の形はいくらでもあります。あえてADSについて特別あつかいする理由もないと思うのですがどうでしょう。
 それよりも、アダルトチルドレンがそうであるように、親と同じ形質の人を避けるのではなく、一部の人たちは親と同じASDの形質を持つ人にすうっと近づいて夫婦となり、親と同じ苦労をしたり子に同じ苦労をさせる人が少なくないことが気になります。
 ASDの子どもたちは相手をASDと気づかずに結婚したり、配偶者がASDだと診断されて初めて自分の実父または実母が同じ傾向を持っていたことに気づいたりする、そういうことが少なくないのです。

 アダルトチルドレンカサンドラ症候群も正式な病名症状名ではなく、「ピーターパン・シンドローム」やら「シンデレラ症候群」のようにいつか消えていくものかもしれません。そもそもそうした括りが正しいものなのかどうかも分からないのです。
 しかし今回「コーダ」について教えてもらう中で、《子どもの抱える問題を、一度は家族病理、または偏差という側面から検討してみることが必要かな》と、改めて思いました。
(この稿、続く)