カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「eスポーツは天使か悪魔か」~ゲーム障害とプロ・ゲーマー

 新型コロナ対策の外出自粛がゲーム依存を増やさないかと心配される中、
 プロ・ゲーマーをめざすことで免罪符を手に入れようとする子どもたちが出てきた。
 eスポーツも国体の中で開かれるようになった。
 さて、この状況をどう考えていったらいいのだろう。

というお話。 

f:id:kite-cafe:20200522072931j:plain(「パソコンゲームをする女性の手元」フォトACより)

 

【外出自粛の陰で…】

 一昨日(2020.05.20)のNHKクローズアップ現代+「外出自粛の陰で…ゲーム依存は大丈夫?」というタイトルで、特に中高生のゲーム依存について扱っていました。

 たしかに現状で「学校は休校」「表に出るな」「友だちにも会うな」ということだと、勉強も読書も嫌いという子は動画鑑賞かゲームくらいしかやることがなくなってしまいます。そして多くの子は、読書も勉強もあまり好きではありません。
 したがってゲームに多くの時間が費やされるのは仕方ないにしても、問題はコロナ事態が終結または一休みという段階になったとき、普通の生活に戻れるかどうかということです。

 番組で紹介されたWHOの「ゲーム障害」の定義も、
 ・ゲームの使用をコントロールできない。
 ・生活の関心事や日常生活より、ゲームを優先する
 ・問題が起きてもゲームを続ける
 ・ゲームによって、日常生活のさまざまな分野で明確な問題が生じる

となっていて、日常生活に問題が生じるかどうかが大きな目安になっています。 もっともここまでは従来のゲーム依存の問題の枠内です。

 今回驚いたのは、これまで不登校の子の逃げ場としてのコンピュータ・ゲーム、あるいはゲームへの耽溺から起こる不登校・ひきこもりという暗い印象の話だったのが、今や一部の病的ゲーマーが希望に目を輝かせ、堂々とゲームに邁進し、親もそれを認めざるをえない状況が進んでいるというのです。
 コンピュータ・ゲームの耽溺者が市民権を得るような新しい世界、それがeスポーツです。
 
 

【プロ・ゲーマーという夢】

 困ったことにeスポーツの現場は決して暗いものではありません。
 まるでコンサート会場のように彩られたステージで、ゲーマーたちは激しくバトルを繰り返し、観衆は熱狂的に応援します。それはまる本物のサッカー場陸上競技場、あるいは格闘技の会場のように、荒々しく、激しく、興奮を呼び起こして、勝者は英雄のように勝どきを上げます。
 それもそのはずで昨今の大会の賞金はうなぎ上りに上がっており、昨年はアメリカの16歳の少年が1回の大会で賞金300万ドル(約3億2600万円)を手にしたと評判になったりしています。今年中には最高賞金は10億円を超えるとも言われています。

 日本でも昨年度、茨城国体で正式種目ではないものの「全国都道府県対抗eスポーツ選手権2019 IBARAKI」が開かれ、eスポーツが国内でも公式に認められたと大評判になりました。それ以前に2020東京オリンピックの追加種目で名前が挙がったことから、この競技を知った人も多いかと思います。

 おかげでeスポーツは地位も名声も一段と上がり、陽の当たる場所に出て来ました。そしてこれまで日陰者のように扱われてきた引きこもりのゲーマーの一部は、「自分はプロ・ゲーマーになる」という夢を語り始めたのです。
 
 

【親の反応】 

 もちろん人生に目標ができるのはいいことですし、親からすればこれまで“このままでは社会的落伍者になるしかない”と思っていたのが、“このままでも成功者になれるかもしれない、悪くても生活費ぐらいは稼げるようになるかもしれない”と希望が見えてきたのですから、むしろ応援者になってしまう。少なくとも黙認せざるをえない。

 考えてみると実際の世の中にはプロ野球選手をめざす子もいればJリーグへ向かおうとする子もいます。芸能人に憧れて歌や踊りの習い、オーディションを受けまくる子もいます。それと何が違うのか――。医者や外交官をめざす子だって、努力や才能が必要なことや可能性としてなかなか大変だということでは同じではないか――。
 そんな気もしてきます。

 もちろんプロ野球や芸能人をめざす子のほとんどは、学校にも行かずに打ち込んでいるわけではありませんから、夢がかなわなかった場合の逃げ道があるわけで、プロ・ゲーマー志望もそんなふうにきちんと学校に通いながらプロをめざすという生き方もありますが、もともと引きこもりで家から出ない子に「学校に行きながら――」と言っても通じないでしょう。どうせ家にいてゲームしかしないなら、プロをめざしてもらうのもいいかもしれない――親がそう思いたがるのもわからないではありません。
 
 

【eスポーツはやはりスポーツじゃないだろう】

 eスポーツのおかげで子ども自身の、そして家庭内の葛藤が回避されることが、状況をどこまでよくするかは分かりません。またほぼ確実に心配なのは、本来それほどゲームに熱中していなかった子が、賞金や名声に魅かれてこの世界に入ってきてしまい、それを親が止め切れなくなることです。
 ゲームには習慣性・依存性がありますから、入り口がある程度、常識的なものであっても、病的な段階に行くのはあっという間かもしれないのです。

 そもそも「eスポーツ」というネーミングが絶妙でした。スポーツと書かれると何もかもが健全に見えます。
 本来スポーツは肉体を鍛え、健康を形作るものです。私はオリンピック選手のように速く泳いだり走ったりすることはできませんが、それよりものすごく低いレベルでもスポーツをすることは私の健康に寄与します。ほどよく運動することは年齢にかかわらず推奨されることです。

 しかしeスポーツはどうでしょう?
 コンピュータ・ゲームは肉体を鍛えるようなものではありません。私のような老人でも自分にふさわしいレベルで気楽にやれば健康増進、ということもないでしょう。ストレス発散や脳の刺激になるということでしたら、読書も数学パズルもスポーツになってしまいます。

 そんな、常識的にはスポーツと呼べないようなものが国体に入ってこられたことには、全国都道府県魅力度ランキングで6年連続最下位という茨城が、国体に華を添えようとしたという大人の事情があったようです。
 しかしそれはあまりにも浅はかだったと言うしかありません。やるにしてももっと慎重な議論が必要だったと思うのです。
 
 

【eスポーツを擁護する立場から】

 20日クローズアップ現代+ではコンピュータ・ゲームを擁護する立場から、伝説のゲーマー高橋名人が出てきて、
「オンラインで日本中の子どもたちが話せるということは、いじめの問題や相談を話せるということ、ゲームによって救われている子どももいる」
「WHOもPlay Apart Together、うちにいてゲームをしよう、そうすれば感染も防げると言っている」
「ゲームはツールとして使ってほしい。小学生の小さなお子さんがお爺ちゃんと一緒に会話をしてプレーすることでコミュニケーションが広がる」

等々話しておられましたがいずれも説得力に乏しいものでした。おっしゃることは正しいかもしれませんが、失われるものが多すぎます。

 ただ、日本には家に引きこもってゲームに依存し続ける子どもがすでに何万人もいて、その子たちは依存症の治療プログラムにうまく乗せられない限り健全な社会人として世の中に出てくる可能性は極めて低い、他方でeスポーツが陽の当たる場所に出てきて、ゲーマーが英雄視されようとしている、その二つをうまく組み合わせて何か新しいことはできないか――そんなふうにも思ったりするのです。

 「本物のプロになって海外で活躍するつもりなら、英語だけは本気でやっておけ」で渋々英会話教室に通い始める子はいないか、「最後は体力勝負だから毎日のランニングと筋トレ、栄養学の勉強だけは欠かさずやっておけ」といった理屈で朝日の当たる場所で走り始め、食事を気にするようになる子はいないかといったことです。

 欧米諸国では痩せすぎのファッション・モデルを規制する法律があって、フランスではモデルとして働くためには健康的な体型と体重であることを証明する医師の診断書が必要だそうです。それと同じような「健康証明」をeスポーツに導入し、プロをめざす子は親と一緒に健康対策をしなくてはならないとか、さらにあるいはゴルフのプロに、トーナメント・プロとレッスン・プロがいるように、プロ・ゲーマーの働く場所を広げトップ・プロにはなれなくても生きていく道を確保するとか――。

 今ある状況を前向きに考えて、対処していくしか方法はないのです。