カイト・カフェ

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「ひとつルールを撤廃するために5倍のルールが必要になることがある」~ルールは単純で、少なければ少ないほどいい③

優秀な親は、子どもに何か与える前に考える。
そうでない親は、与えたあとで考える。
1度許したばかりに5つも禁止事項が生れる場合があるからだ。
しかしもちろん、そうならない場合だってある。
という話。(写真:フォトAC)

【優秀な親はこんふうに考える】

 まず初めに最近読んだネット記事の一部から。
「今の子供たちは情報を得るのも早い。スマホアプリや、YouTubeで見かけたゲームなんかをやりたいとよく言っていますが、今のところ“禁止”です。自分が禁止されてイヤだったけど、結局自分もそうしているという……。
 
 本当は、“飴とムチ”じゃないけど、学校のある日は宿題が終わったらゲームやっていいよ、休日はお手伝いが終わったらゲームやっていいよみたいな感じにするのが理想なのかもしれません。ただ、結局その“制限”をどこまで管理できるかどうかが難しく、面倒なので一律“禁止”としています。今になって、親の気持ちが理解できますが、禁止された側の気持ちもわかるので、子供に合わせたうまい付き合い方を模索したいと思っています」

www.moneypost.jp すばらしい答えです。
 何の根拠もありませんが直観で、この家の子どもにはスマホを渡していいような気がします。子に何かを与えようとするとき、その先に何があるかを予想し、自分に何ができるかを考えるような癖のついている親なら、今の時点ですでに優秀な子どもを育てていて何の問題も起こさないような気がするからです。ゲームやスマホを渡しても、程よく使ってくれるでしょう。
 しかし普通の親は違います。

【ひとつルールを撤廃するために5倍のルールが必要になることがある】

 「だって友だちはみんな持っているんだモン」「ゲームのことを知らないとイジメられる」「必ず勉強するから」「時間を決めてそれ以上はやらないから」「お手伝いもいっぱいするから」
 ありとあらゆる言辞を使い、十中八九、空手形になるだろう約束を繰り返し、なだめたりすかしたり、泣いたり脅したり――そうした手練手管に負けて、結局親はゲームを買い、着飾るための金を渡したりします。しかしそれで平和が訪れるわけではありません。
 
 子どもが何時間もゲームで遊んでいても平気でいられる親、中学生の娘がけたたましいような化粧と服装で世間を歩き回っても、放っておけるような親ならいいのです。しかしたいていの親は“普通”ですから、普通に心配したり不安になったりします。
 そこでひとこと言わざるを得なくなり、怒鳴ったり叫んだりした挙句、たくさんの約束事が新たに生れます。
 
「ゲームは1日1時間だけ」「土日は2時間まで」「宿題をやったあとのみ」「夜寝る前はゲーム機を居間に置いていく」「休日は家から持ち出さない」等々。
 ゲーム機購入の以前は、「ゲームは買いません」だけしかなかったルールが一気に5倍になります。まともに守らせようとしたら親の苦労も5倍です。しかも内容から見て、四六時中子どものあとをついていない限り徹底できないものもありますから、完全に守らせることはまず不可能でしょう。
 親は怒らざるを得ませんし、子どもは子どもで本当は守りたいのに魔力にハマって守れないわけですからこちらも苛出ちます。

 ゲームが侵入する前よりも争いが増えて、親子関係は悪くなり、得るものはほとんどない――それが普通の家庭の最後の姿です。


 【ルールを減らしても何とかなる場合】

 本当は親の願いなんて、ささやかなものだったのです。
「ゲームもスマホもファッションも完全に遠ざけるのは難しいとして、しかし何とかほどほどで済ませてもらえまいか」
 その程度のものです。それが果たせない。どうしたらいのでしょう?
 
 そこでヒントになるのが、昨日の最後に書いた、「ゲームもスマホもファッションもあまり気にならない、なくてもいい、そこそこでいいという子」たちです。
 どういう子たちがゲームやスマホやファッションに関心が薄いのか――。

 すぐに思い浮かぶのが飛び抜けてお勉強のできる子、ピアノやバイオリン、バレエといった習い事で、これも一定レベル以上の力を持つ子たち、部活や地域のスポーツクラブで甲子園や花園・オリンピックなどを目指している子たち、書道パフォーマンスや全日本吹奏楽コンクールの上位を目指す子どもたち――。

 この子たちがゲームやスマホ・ファッションに関心が薄いのは、それらの持つ魔力と特定の子にとって勉強や音楽やスポーツなどの持つ魔力が、同じものだからです。
 自己効力感・達成感・高揚感、そして承認欲求の充足。
 
 違うのは後者が社会的に認知されやすく、将来の生活の豊かさや収入に繋がりやすいと考えられがちなのに対し、前者は今のところ認知されにくく、少なくとも収入に結び付きにくいと多くの人が考えている点です。

(この稿、続く)