孫のイーツはどんどん成長していってしまう。
同じ時間を、年寄りの私は静かに老いの階段を下って行く。
しかしそれだって、案外悪くない。
というお話。
【コロナで会えない間に】
新型コロナ事態で私も東京に行けないし娘も里帰りできない状況が続くうちに、まもなく1歳の誕生日を迎える孫のイーツが、ハイハイから立ち上がって、今にも歩きそうな勢いだそうです。赤ん坊がハイハイしている期間は驚くほど短く、屋外で他人の赤ん坊を見かけてもたいていは抱っこかベビーカーかよちよち歩きで、ハイハイの赤ちゃんなどめったに見られるものではありません。兄のハーヴのときはそれでもたびたび行き来して見る機会は多かったのですが、イーツの場合は2月に会ったときはまだズリバイ(匍匐前進のようなハイハイ)すらしておらず、そして2カ月半会わないうちに間もなく歩き始めてしまうかもしれないのです。
ときどき娘のシーナが動画を送ってくれるのですが、それで我慢するしかない――。
ほんとうに残念です。
【懲りない、繰り返す】
立てるようになったイーツを、ジジの私は残念がっていますが本人はどうかというと、これがニッコニコ。立ち上がるのがうれしくてしょうがない様子で、自由になった両手でニギニギしたり拍手したりしています。そしてピョンピョン飛び跳ねるような動作を始めてバランスを崩し、ペタリと尻もちをつくと目を真ん丸にして驚いていたりします。けれどすぐに気を取り直して再び立ち上がり、同じことを繰り返します。尻もちをついたことで懲りたりめげたりして、立つのをやめてしまうということはありません。
“懲りない”というのはけっこうな赤ん坊の特徴で、息子のアキュラも寝返りの時期、くるっと反転してうつぶせになり、その姿勢が嫌なので必ず泣くということを繰り返しやっていました。階段を上るのが大好きで、けれど降りることはできないので一番上の段で泣いて大人の手を借りる――それもアキュラのお得意でした。
「嫌ならやめればいいのに」と言いながら助けに行くのですが、もちろん親として、ジジとして、子や孫が懲りて立つのをやめたり階段上りを二度としなくなっても困ります。また実際にそういうことはまずありません。
この「懲りない」「反復行動を繰り返す」という二つの特徴を失ったら子どもの成長は望めないわけで、「ああ人間ってうまくできているものだな」とホトホト感心させられるのも、そういう姿を見せられた時です。
【人は二度とハイハイに戻らない】
よくできたものです。
赤ん坊に限らず、子どもの成長の階段は上りだけで、しかも奥行きのやたら長い踏板を歩いた先には、とんでもなく高い次の段があったりします。しかも上がるときは簡単に上がってしまう。
自転車は一度走れるようになれば、二度と「自転車に乗れない自分」には戻りません。水泳もスキーもスケートも、一度できるようになることが大切で、よほど間に時間をおかない限り最初からやり直しということはありません。
自分自身が子どものときは理解できませんでしたが、「昨日より今日の自分のほうがいい(優れている、できることが増えた、体も強くなった・・・)から、明日はもっといいだろう」と信じることができるのは、この時代だけです。たいていの子は当たり前すぎて意識さえしないのですが、歳を取ると分かるようになります。そういう時期もまた、そんなに長くはありません。
【階段を下りる】
では歳を取るというのは悲しく切ないことかというと、それが案外そうでもないのです。
肉体的社会的に行動が制限され始めると、素の自分なら選ばなかった道を歩まざるを得なくなって、しかもそれが新鮮で、案外よかったりもするのです。
例えば畑仕事。
職を持っているころは忙しくて深く勉強することができなかった農業も、ちょっと深入りしてみるとなかなか面白かったりします。
あるいは音楽。
アマゾンのプライム・ミュージックはお金を払って特別会員になればほとんど無限に近い曲を再生できますが、一般会員だと限りがあります。その有限な世界を散歩する気分で歩いていたら、今、ドップリ浸かっているのがジャズです。ずっと過去を振り返っても、自分がジャズを聴いた時代はなかったように思います。これもきっと今だからいいのでしょう。
そして何より、美味しく食べられるものが増えたこと。それが一番の収穫です。若い時期はそもそも食事を楽しむということがありませんでしたし、好きなものばかりを食べていましたから食の多様性が広がりません。
それが外食を控えるようになり、家庭料理ばかりを食べるようになると、自然とひとつひとつに目が行き、味わうようになるのです。そうなると昔はおいしいと思わなかったものまでいちいちおいしくなったりします。
うどんがうまい、モチがうまい、パンがうまい、魚がうまい――これらは昔、あまりおいしいとおもっていただくことのなかったものです。
暇ですから、その気になるといろいろなことが分かってきます。それも老いの楽しみです。