カイト・カフェ

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「みんなが人の心を読み誤っている」~人生の答え合わせ⑥

 人生の答え合わせをしていて痛烈に思うことは、
 心を素直にして、
 もっともっと話し合わなければならなかったということだ。
 みんながみんな、人の心を読み誤っている
という話。(写真:フォトAC)

【クラスを見る大人の視点】

 昨日は、
「子どもたちはクラス内のできごとについて驚くほどたくさんの情報を持っていて多くは共有されているが、それが大人社会に漏れてくることはほとんどない。また、子どもの《驚くほど広い情報網》に引っかかってこない話――誰かが慎重に隠した情報ーーは、それを大人が知る手がかりはほとんどない」
というお話をしました。子どもには子どもの世界があるのです。
 ところが今回、かつての教え子たちが訪問してくれて話す中で、担任教師しか知らない、大人の目にでしか見えないクラスの実相、というのも存在することを強く思いました。
 考えてみれば当たり前の話で、学業成績を始めとして、教師しか掴んでいない情報はいくらでもあります。

【子どもには見えていないクラスの実相】

 いちばん驚いたのは三十数年前を語る教え子のひとりが、
「あの頃の私たちの周りには、不登校もなかったしね」
と言ったときです。それはない。
 私が初めて担任教師として不登校の子に出会ったのは、まさにそのクラスだったからです。正確に言えば2年間担任してきた生徒のひとりが、3年生になって突然、学校に来られなくなったのです。しかもその顛末は本人が卒業文集に書き残してあって、その文集は今、4人で話をする私の家のテーブルの上に、わざわざ置いてあるのです。

「M君が学校に来にくくなっていたことは覚えているよね」
 恐る恐る聞くと、
「エーッ、そうなの?」
という話になります。
 朝なかなか起きることのできなくなったM君を、小柄なお母さんが何とか車に押し込んで校門まで運び、大きな荷物を担ぐように息子を肩に乗せ、昇降口まで運ぶ。それを私が引き継ぐ――そうした日々が何日も続いていたのです。不思議なことに一度昇降口を通過すると身体は自然と動くようで、そのまま何となく一日は過ごせます。ところが翌朝は再び身体が鉛のように重くなって起きられず、母親に担がれてようやく登校することになる――。
 卒業文集に書かれていることと同じですが、そんな話をしている間も、女の子のひとりはM君の文章を読み続けています。そして終わると、
「申し訳ないけど、私、Mくんの文、読んでなかったわ」
と呟きます。そこには3年生になってからまったく体がいうことをきかず、活動も成績もじりじりと下がって回復できなくなっていく自分に対する激しい苛立ちなどが書かれています。

【すれ違う視線】

 M君のページの最初の方には、学校に来られなくなったこととは違う1年前の印象的なできごとが書かれています。2年生のころ、給食の時間に隣りの子から「ミニトマトを食べてくれ」と言われて「好きだからいいよ」ともらったら、別の子からも、席の離れたさらに別の子からも次々とミニトマトが寄せられ、「やめてくれ!」と叫んでも聞いてもらえず、ついには二十数個にもなってそれを一人で全部食べた、それ以来トマトがすっかり嫌いになった――とM君はクラス全体から受けたいじめについて書き残すことを躊躇わなかったのです。

 その事件自体、私は作文になるまで知らなかったのですが、三十数年経って改めて文集を読む女の子にとっても意外だったようです。
「でもさ、私、このミニトマト事件はよく覚えているんだけど、こんな感じじゃなくて、本人も一緒になってみんなで盛り上がっていただけだと思うんだけど・・・なんか、M君がみんなの中心にいたって感じで・・・」
 私はその言葉を信じます。昔から“素直”が服を着て歩いているような子で、ひとをいじめたりからかったりできるような子ではありません。Mくんの「やめてくれ!」も実際にはどういう言い方をしたのか分からないのですが、仲間内のひとつながりの「おふざけ」のように聞いたのでしょう。
 
 さらに言えば「いじめ」は当時にあってもそんなに大っぴらにできることではありませんし、M君をクラスの中心にクラスが動くというのはとても考えにくいことですから、その意味でも楽しい思い出になってもよさそうなできことだと、彼女は感じたのかもしれません。
 しかしそれでもM君にとっては嫌な思い出だった――。

【みんなが人の心を読み誤っている】

 M君は自己肯定感の極度に低い難しい生徒でした。勉強ができて美術や音楽にもかなりの手ごたえを感じていたはずですが、彼の人生観・社会観でもっとも大きな価値をもっていたのは学業でも芸術でもなく《運動》でした。彼にとってはこれ以上ないほど縁遠い能力です。ご両親がともに国体(今年から国スポ)選手で弟も万能といったスポーツ一家にあって、彼ひとりだけがダメなのです。
 私が聞いたM君の一番印象的な言葉は、
「学校は勉強ができたって絵がうまくたってダメなんだ。体育や部活で活躍できなければ、だれも誉めてくれない」
 うっかり頷いてしまいそうな話ですが間違っています。歪んだ認知で、しかも相当に頑固です。私は2年も一緒にいながら、彼の心の歪みに気づきませんでした。「いい子はどうでもいい子」だったからです。

 ミニトマト事件のことも、クラスの子どもたちは誰もM君のことをそんな神経質な子だと思っていませんから安心してイジッていたわけで、だったらM君もそれに乗って遊んでいればよかっただけなのです。意地悪な同級生もいて、M君が不登校気味になって教師たちの目が向かい始めると、素早く察知してそこからM君に何くれと意地の悪い言動を投げかけるようになったりもしました。この子も頑固で、どう指導しても隙をつくように意地の悪い言動を投げつけることを辞めませんでしたが、彼女にもそうせずに入られない状況があったのです。M君も意地の悪いたった一人を見るのではなく、友だちとして支えにもなってくれるクラスの大多数の方を見ていればよかったのです――。

【可能性があるのは私一人】

 もっとも、生徒一人ひとりの問題を誰よりも知っていて何らかの対処ができたのは、クラスの中では学級担任である私が一段高いところにいたはずです。だからもっともっと時間をかけ、丁寧に見てやる必要がありました。しかしそう言いながらも、あれ以上どこにそんな時間を生み出すことができたのか――。それが一番の心残りです。
(この稿、終了)