超一流大学出身者の話を聞いて思った。
彼らはよく勉強したから成績が良かったわけではない。
成績が良かったからよく勉強するようになったのだ。
地頭(じあたま)がよくなくちゃ、勉強なんて楽しいはずがない。
という話。(写真:フォトAC)
【「さんま御殿」:受験戦争を勝ち抜いた有名人の話】
2月6日の「踊る!さんま御殿」は、タイトルが「受験戦争を勝ち抜いた有名人SP」で、副題に「東大出身アイドル・慶応大出身お笑い芸人らが驚きの受験テクニックを紹介!」とありました。
私は超一流大学の在学生や卒業生ばかりを集めた番組と、金持ちばかりを集めた番組、そしていわゆる美魔女の集まる番組は、腹が立つので見ないことにしています。番組制作者たちは下層階級(とりあえず私)の嫉妬心を刺激して、何が楽しいのでしょう? というか、日本人の大部分は私と同じような“身分”であるはずなのに、何が楽しくて見る人は見るのでしょう。とりあえずレベルが高すぎて目標にすらならない人たちです。
――と思いつつ、「踊る!さんま御殿」自体は好きなので、「途中で嫌になったら消せばいや」くらいのつもりで見始めました。すると思わぬ収穫があったのです。
【饒舌で軽く、しかも深みのある話】
面白かったのは、さんまの、
「だいたい聞いとるとな、東大に行くような人は皆、10時間(毎日勉強する)とはいうな」
から始まる一連の会話です。
(ヒャダイン:京大)
楽しいんですよね。やればやるほど、ホント、ゲームみたいにレベルが上がっていくんですよ。
(さんま)
我々にはそれが理解できへんね。
(河野玄斗:東大医)
簡単なところから解いて行ってちょっとずつ難しい問題を解けるようになっていくって、ゲームと同じじゃないですか。
(さんま)
ゲームはゲームやろ。(笑い)
田中(爆笑問題)はどうやったん?
(田中:日大)
オレ、だから、麻雀だったら14時間くらいは、全然、集中、保てますよ。(笑い)
(さんま)
そうやねん。(だから)それを勉強にすればいいんやろ? オレたちの麻雀を勉強にすれば。
(一同)
そう、そう、そう。
(さんま)
どうすればええねん。勉強にすり替えるには。
(河野)
皆さんだって謎解きとか楽しむじゃないですか、(中略)それと数学は、例えばまったく一緒なのですよ。
趣味としてボクは数学をやってきたのですけど、寝転がりながら数学の教科書を読んで、《あ、これこうやって解くんだ》
というのを見つけたときに、アドレナリンが出るというか・・・(中略)
(雲丹うに:東大理)
高校までの勉強って、基本、答えがもう決まっているから、そこに行くまでの道筋って、基本、問題文にヒントが全部隠されているんですよ。
(河野)
伏線があるので、その伏線をいかに回収するかのゲームなんです。(中略)
(さんま)
そういうふうにして楽しいわけかあ。
(デーモン小暮閣下:早稲田)
それ、でも理系の考え方じゃない? 伏線があるって言っても科目によっては覚えていなければ答えられないもの、例えば歴史の単語は、知らない限りはいくら伏線を読んでも答えられないものね。
(河野)
そうですね。
(雲丹)
でもそれを言ったら逆に数学も同じで、公式を知らなかったら答えられないし、だから覚えるところが根底にあって、そのあとの考え方というのはまた別なんですよね。
(さんま)
待て、(デーモン閣下にウンチクを語るなんて)なんちゅうアイドルなんや。(笑い)
【勉強はゲームのように楽しい――か?】
この会話には、学習に関するさまざまな知見が二重三重に張り巡らされています。そのひとつは、受験勝者の彼らには勉強もゲームも変わりないということです。もちろん一般的な話ではありません。だからさんまは「我々にはそれが理解できへんね」と言い、爆笑問題の田中は「麻雀だったら14時間くらいは、全然、集中(が)保てますよ」と言います。いったい彼我で何が違うのでしょう。
答えはすでに受験勝者たちが語っています。
あちら側の人たちにとって勉強は、
「やればやるほど、ホント、ゲームみたいにレベルが上がっていく」
ものであり、
「簡単なところから解いて行ってちょっとずつ難しい問題を解けるようになっていく」
ものなのです。しかし私たちは――少なくとも私は、違うのです。
ある程度は「やればやるほどレベルが上がっていく」のですが、凡人は比較的早い段階で天井が見えて来ます。やっても成績が伸びなくなる、進度に追いつけなくなる、総じて「上がる」という実感が持ちにくくなるのです。
「ちょっとずつ難しい問題を解けるようになる」にしても、難問に立ち向かうようになると解く時間はむしろ長くなり、やがて時間をかけても解けなくなります。単語や用語は覚える量と忘れる量が拮抗し始め、これも早晩追い越されます。すると勉強全体が楽しくなくなってくるのです。
その状況は“勉強”を“スポーツ”に置き換えても同じです。
野球をやっても卓球をしも、普通の子が「やればやるだけレベルの上がる」時期はそれほど長くはありません。特別な才能のない子たちはいつか努力だけでは突き破れない壁に向き合うことになります。それが普通で、だから「普通の子」なのです。
しかし”麻雀”は知識や経験だけの世界ではありません。そこには「運」だの「流れ」だのといった不確定要素がいくらでもあるのです。バカな自分でも勝てるかもしれない――だから14時間も集中していられるのです。
ただしもちろん、麻雀を含めたゲーム全体に不適合なひともいます。私なんぞは基本的なコンピュータゲームですら上手くできず、銃をもった私のアバターはとりあえず武器庫の外に出ることができません。部屋の中をあちこち走り回っては壁にぶつかっているようでは、楽しいはずもないですよね。
【根底は記憶力】
「踊る!さんま御殿」の会話の中の、もうひとつの重要な部分は雲丹うに(ウニウニ)という芸名の女性アイドルの放った、
「覚えるところが根底にあって、そのあとの考え方というのはまた別」
という発言です。暗記するべきものを暗記しておくことは前提なのです。
逆に言えば必要な量の単語や用語や公式が暗記できない人間は、「やればやるほど、ゲームみたいにレベルが上がっていく」楽しみからも、「簡単なところから解いて行ってちょっとずつ難しい問題を解けるようになっていく」喜びからも遠ざけられているのです。
――ここで”努力”のことは持ち出さないでください。
堅牢できちんとした記憶の階段を昇っている彼らの近くで、私は記憶のぼた山を登っているのです。三歩あるく間に二歩分ずり下がってしまうような状況で、「努力が足りない」「死ぬ気で頑張れ」と言われても困ります。横目で見えるあの人たちが3段登る間に、私は9段分も登り、6段分もすべり落ちたのです。3倍もがんばったことを褒めてほしいものです。
真剣に打ち込んで努力すれば、だれでも大谷翔平になれる――そんなふうに思う人はいないでしょう。藤井聡太も明石家さんまも琴の若も、努力してなれるような存在ではないのです。同じように東大や京大など超一流と呼ばれる大学は、努力だけで合格できるようなものではありません。根底に、暗記を苦にしない地頭(じあたま)の良さがなければ、とうてい手の届くものではないのです。
【幸せになれるわけではない】
さて、ここまで長々と記述して、結論はしかし、横合いからいきなりやってきます。それでも私は少しも悲しくない、不幸ではない、困ってもいないからです。
勉強もスポーツもほんとうに上の上を目指そうとすれば遺伝的な強さが不可欠でしかも決定的です。しかしアスリートになれば、あるいは超一流大学に合格すれば幸せになれるというものではなく、幸せのほとんどは遺伝とは関わりない、まったく別な要素によって決まっていくからです。