カイト・カフェ

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「カオナシ アラフィフ」~川崎無差別殺傷事件から何を学ぶか 3

 一週間経っても中学校の卒業写真しか出てこない男
 一緒に暮らしていたはずの伯父ですら顔が分からず
 指紋照合でようやく身元確認ができた51歳
 この男 どんな人生を送ってきたのだろう
 同じ顔つきの100万人を 私たちはどうしたら救うことができるのだろうか
というお話。

f:id:kite-cafe:20190604052926j:plain(ジャン・フランソワ・ミレー『死と樵夫』)

 【容疑者のイメージが違う】

 川崎市の無差別殺人の容疑者について、テレビのコメンテーターたちは「用意周到に練られた計画殺人」「まったくためらい傷を作らない自殺への強い意志」「2001年の池田小事件や2008年の秋葉原事件について研究を重ねた形跡がある」「人生の最後を大量の死者で飾ろうとする拡大自殺」「身分証明書をリュックサックに入れていたのは自分を誇示するため」等々言っていますが、周到に殺人計画を立て、果敢に遂行して目的を果たすような人間なら、大量殺人などと言った愚かなことはせずに今頃は中小企業の課長くらいにはなっているはずです。

 もちろん事前に包丁を用意していますから“その場で急に思いついたことではない”という意味では“計画的”には違いありませんが、大量殺人をもくろむならもっと効果的な方法はいくらでもありました。誤解を恐れずに言えば、死者2名では大量殺人の名にもとります。

 ためらい傷をつくらなかったことについても、「自殺への強い意志」は仮説のひとつにすぎず、例えばいったんことを起こしたら絶対に立ち止まらない、行きつくところまで一気に突き進んでしまう極端な性格、あるいは人格といったものだっていくらでも想定できます。

 川崎の事件はそうした極端な性格の人間が、恐怖に駆られて行った激情犯罪だと私は思うのです。

 自分の“生”を保証してくれた伯父夫婦が間もなくいなくなる、その結果まったく未知の局面に立ち向かわざるを得ないのだが、自分は「引きこもり」と名指しされる、あまりにも無知で無力で孤立無援な存在だ。
 何もできない――そういった恐怖がパニックを引き起こし、一気に人々のもとに向かわせた、そう考えるのが私には自然です。
 パニックでですから、自死にもためらいがありません。

 

カオナシ アラフィフ】

 中学卒業後に1枚の写真も残らない男、長年ともに暮らしてきた伯父にまで顔を忘れられた51歳、思い通りにならないと恐怖からパニックに陥り、刃物を振り回して最後は自分まで殺してしまう―――そう並べていくと私の心にはある人物、というかキャラクターが浮かんできます。「千と千尋の神隠し」に出てきた「カオナシ」です。

 カオナシについてはこのブログでも再三書いていますが、2005年の10月にはこんな説明をしています。

  1. 人間関係がわからない(声をかけるまでそばでボーッと立っている、不用意に声をかけると枠を越えていきなりなつく)。
  2. 表現力がまるで乏しい(「あっ・・・・」)。
  3. モノや金で人を釣ろうとする。
  4. 思い通りにならないと暴れる。
  5. パニックが収まると、また借りてきたネコのように戻る(「あっ・・・・」)。

 私たちのよく見知った類型のひとつです。
 ちょっと押せば不登校にも非行にも走りそうな危険なタイプです。
 どこからこういう子が育ってくるのか、私はしょっちゅう考えていました。

kite-cafe.hatenablog.com

  また2013年2月には、「千と千尋~」の重要な二つのキャラクター、「坊」と「カオナシ」を並べて、
 “坊”は銭婆の魔法によって小さなネズミにさせられ、“カオナシ”は千に与えられた薬でおとなしくさせられた後、千とともに銭婆の家までの旅に出ます。
(中略)
 “カオナシ”は銭婆に「お前はここにお残り。手伝ってもらうことがある」、そう言われてその場に留まり、“坊”は油屋に戻って立派に成長した姿を湯婆婆に見せます。

 “カオナシ”のような子には技術を身に着けさせた上で場を与え、“坊”のような子には極限まで肥大した欲望をダウンサイジングしてから外気に触れさせ、遊ばせ、運動をさせ、教育のしなおしをしてから元に戻す・・・そういうことかなとも思います。確かにそれが一つの方法ではあります。

kite-cafe.hatenablog.comとも書きました。

カオナシ”のような子には技術を身に着けさせた上で場を与え
 その考えは今も変わりありませんが、50代ともなると育て直しはほとんど不可能です。
 最初に立ち戻って、基本的なところから考え直すしかありません。

 川崎事件の容疑者は人殺しをしたうえで自殺する必要が本当にあったのか、叔父や叔母の亡き後、これまでの生活を維持することは不可能だったのか、というところからです。

 

【川崎の容疑者は死ぬ必要があったのか】

 注目されるのは容疑者のあまりにもつつましい生活ぶりです。コンピュータもなければ携帯すらもない。家宅捜索で警察が押収していった物品は段ボールでわずか一個。
 テレビの識者は「戻ることのない家ですから、あらかじめ身辺整理をしてから現場に向かったと思われる」などと説明していましたが、コンピューターも携帯も使わない男に処分すべきどんな財産があったというのでしょう。

 犯行現場に残されていたというリュックサックに入っていた10万円と包丁4本。家に残されたゲーム機とマンガ本、それが全財産だったと考えても不思議ありません。そしてその程度の慎ましい生活を続けるだけなら、伯父や伯母がいなくても何とかなったのではないかと思い始めたのです。

                   (この稿、続く)