カイト・カフェ

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「ジブリ」2~ぼくの知っているカオナシ

 わけあって久しぶりにDVDで「千と千尋の神隠し」を見ました。
 ジブリの映画はほとんどの場合、中に環境問題や差別に関する強いメッセージが入っていて、それさえなければもっと楽しめるのにといつも思うのですが・・・。しかしそれにしてもよくできた話ではあります。

 私は「千と千尋〜」では二つのキャラクター―後半で千尋と旅に出る、“坊”と“カオナシ”が気に入っています。
「オンモに出ると悪い病気になっちゃうよ」とか言われ、室内で膨大なおもちゃに囲まれて育つ“坊”。わがままで身勝手で、身体はぶくぶくに成長しながら一人で歩くこともできない。それは私たちが知っている子どもの一つのタイプです。

 もう一つキャラクター・・・。
 友だちがいない、気に入った人がいてもどう声をかけたらいいのかわからない。ちょっと優しくするとすがりつく、物で人を釣る。思い通りにならないと暴れる―そんな“カオナシ”は、これも私たちのよく知るところです。

“坊”は銭婆の魔法によって小さなネズミにさせられ、“カオナシ”は千に与えられた薬でおとなしくさせられた後、千とともに銭婆の家までの旅に出ます。
 ネズミになった“坊”は、これも魔法で小さな羽虫にさせられた“湯バード”に終始吊るされて旅をするのですが、銭婆の村に近づくと自分で歩く男気を見せます。
 銭婆の家ではやたら元気よく走り回って遊んだ後、銭婆の糸車を回す仕事をさせられ、その横でカオナシは糸紡ぎを学びます。続いて銭婆と“坊”と“カオナシ”の三人は千尋の髪を結う紐を編みます(おそらくその紐のおかげで千尋は最後の謎を解くことになるのですが)。

カオナシ”は銭婆に「お前はここにお残り。手伝ってもらうことがある」、そう言われてその場に留まり、“坊”は油屋に戻って立派に成長した姿を湯婆婆に見せます。

カオナシ”のような子には技術を身に着けさせた上で場を与え、“坊”のような子には極限まで肥大した欲望をダウンサイジングしてから外気に触れさせ、遊ばせ、運動をさせ、教育のしなおしをしてから元に戻す・・・そういうことかなとも思います。確かにそれが一つの方法ではあります。

 もっとも、映画では荒ぶる“カオナシ”をクールダウンさせたのも、肥大しつくした“坊”の欲望を小さくしたのも、魔法の力です。
 私たちはそれとは違った方法で同じことを果たさなければならないのです。

 もちろん、多くの先生たちが今日までに果たしてきたことですから、私たちにもできないはずはないのですが・・・。