中にはとんでもない要求だってある。それは絶望からの叫びだからだ。
もう親にできることはない。
ここに至って必要なのは、第三の男と応援小人である。
という話。
(写真:フォトAC)
【親もたまったものではない】
先週9日(水)のクローズアップ現代プラス(以下「クロ現+」)「“こもりびと”の声をあなたに~親と子をつなぐ~」に登場する当事者たちは、自分の非は語らず親のことばかりを非難しているように見えます。
「中学時代、学校を休みたいと親に伝えたところ、父親はその理由も聞かず、車に乗せ、学校に連れて行きました」
「面接に行って何回も落ちても、『お前が悪いんだ』『何でこんなこともできないんだ』ということも言われました」
「なんで私を生んだんだとも思いましたし、それでも一人の娘として、認めてほしかった」
「(一番絶望的な気持ちになったのは靴を買うという)親との約束を守ってもらえなかったときですよね」
クロ現+ではないのですが類似の非難で記憶に長く留めているのは、30歳代で家庭内暴力のあるひきこもり男性の言葉です。
みんなお前たちが悪いんだ! お前たちのせいだ!
お前たちのおかげで、オレはこんなふうになっちまっている。
友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない。こんなんでどうやって世の中に出ていけるというんだ。
お前たちはなぜあの時――オレが学校へ行きたくないと言ったとき、首に縄をつけてでも学校へ連れて行かなかったのだ、学校へ行くことがどんなに大事かって教えなかったのだ。
まさかお前たち自身が分からなかったというわけじゃないだろう。
本当に愛情があったなら、子どもを学校に行かせるなんて絶対にできたはずだ。オレに泣いてすがってでも行かせようとしたはずだ。
それをしなかったということは、結局オレのことなんてどうでもよかったってことだ。自分たちが可愛いくて、それでオレを放ったらかしにした。
それでも親か!? それでも人間か!?
いったいどういうつもりでオレを産んだんだ? どういうつもりでこんな人間に育てたんだ!?
9日のクロ現+は、ひきこもりの子をどう理解するかという立場からの構成でしたから子を非難するような発言は出て来ませんでした。しかし親からしたらたまったものではないでしょう。
一方に、
「学校を休みたいと親に伝えたところ、父親はその理由も聞かず車に乗せ、学校に連れて行きました」
と言う女性がいて、他方に、
「なぜオレが学校へ行きたくないと言ったとき、首に縄をつけてでも連れて行かなかったのだ」
と叫ぶ子がいるのです。いかに答えのない問題とはいえ、これでは動きようがありません。しかも取り返しのつかない時期になってこんなふうに言われるのです。
【一人では担いきれない絶望】
ただし親を非難するこの人たちも、自分が理不尽な要求を突き付けていることに自覚がないわけではありません。もう大人ですから十分に分かっているのです。
それにも関わらずこんな言い方しかできないのは、彼らの背負っているものはあまりにも重く、分かっていても誰かに一端を背負ってもらわなくては押しつぶされてしまうからです。
彼らはまさに、
友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない。こんなんでどうやって世の中に出ていけるというんだ
という状況にいるのです。“未来”がまったくない。
重荷の一部を背負ってもらうとしたらそれはもう親を除いては他にいません。学校の先生や友だちのせいにしてもいつまでもつき合ってくれるわけではないからです。
ただし親のせいにしてもどこかに突破口が見えてくるわけではありませんし、親が妙案をもっているわけでもありません。
どうしたらよいのでしょうか。
【第三の男】
「完全に煮詰まっている以上、ひきこもりが長期化した家の親に、できることはない」
――まずはそう覚悟をすることが大事かと私は思います。何とかなる可能性はゼロでありませんが、昨年(2019年)の元農水省事務次官による長男殺害事件のような極端な選択になる可能性も少なくないからです。
親にできることがなく子が八方塞がりだとすると、あとは他人を入れるだけです。9日の「クロ現+」で5番目にインタビューを受けた母親は行政やNPOをくまなく訪ねても支援の窓口がなかったと嘆きますが、それでも諦めずに探すしかないでしょう。一度はダメだったとしても状況が変われば受け入れてもらえるかもしれません。
悪名高い「引き出し屋」は論外ですが、きちんとした民間の自立支援施設もあるはずです。本人が行く気になったらすぐに対応できるよう、自分の目で見て確認しておくことも必要でしょう。
問題は本人が“普通に生きていく道筋”をまったく思い描けないでいるということです。NHKドラマ「こもりびと」では、主人公が密かに行政書士や精神保健福祉士といった資格を取ろうとしていましたが、資格を取ったところで実際の活動となると人づきあいのハードルの高さに変わりはありません。
それよりも「友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない」状況でも生きていける道筋があれば、そちらを先に探すべきでしょう。
ファイナンシャルプランナーの診断の結果、親に多少の蓄えがあり持ち家さえあれば年収(月収ではない)40万円でも死ぬまで生活していけるという話は、それだけで私たちに勇気を与えます。
kite-cafe.hatenablog.com
あるいは「クロ現+」で靴を買ってもらえなかった男性が保健所の支援を得て親子関係を組み直し、アパートで一人暮らしを始めるとともにNPOなどで働き始めたといった話も参考になるでしょう。
NHKドラマ「こもりびと」でも、膠着した親子の関係に主人公の姪(父親にとっては孫)が割り込むところから事態は動き始めました。
いずれにしろ小さな一歩、小さなステップを踏み出す力を、第三の人に与えてもらうのが可能性のある唯一の道のようです。
もちろんだからと言って親が手を引いていいというものではありませんし、その後も長く見守っていく必要があります。
いつまで?
【応援小人の話】
先週12月8日、私はこのブログで次のように書きました。
子育ても生徒指導も大切なのはいざというときの対応ではありません。どうでもいいときにどれだけ愛情を降りかけ、心を耕しておくかです。やり方がわからなければとりあえず言葉をかけておきましょう。
「お前が可愛い」「お前が大事」「世界で一番大切なのがお前」――。
「お前はすごい」「大したものだ」「ほんとうに感心する」――。
kite-cafe.hatenablog.com ところが同じころ、私の娘のシーナは自身のSNSにこんな書き込みをしていました。
結局、どんなときも
「大丈夫だよー、それでいいよー、十分よくやってるよ~、そんなあなたが大好きだよ~」
って言ってくれる自分が、自分の中にいるか?っていう、それだけなんだけど
親はいつまで見守ればいいのか。
それは親ではなく、子どもの心の中にそんな自分を応援する「応援小人」が働き始めるまでです。