東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本 1900」を観てきた
どんな場合も本物を観ることは重要なことだ
分からなかったものが 鮮やかに理解できることがある
都美術館では「ベートーヴェン・フリーズ」が圧倒的だった
壁のあの高さ あの大きさの「ベートーヴェン・フリーズ」は
展覧会でないと観ることができないからだ
しかしやや食い足りない面もあった
というお話。(グスタフ・クリムト「ベートーヴェン・フリーズ」)
【東京都美術館の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」】
グスタフ・クリムトに関する二つの展覧会を、二週連続で二つとも観てきました。
東京都美術館の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」と国立新美術館の「日本・オーストリア外交樹立150周年記念ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」です。
東京都美術館の方はだいぶ前から知っていて前売り券も用意していたのですが、新美術館の方はタイトルの前半にしか覚えがなく、今回東京都美術館に行くにあたって休館日や開館時刻を調べているうちに突然気がついたのです。
もしかしたらタイトルの「クリムト、シーレ」の部分は私の調べた時期にはなかったのかもしれませんが、そうではなく、最初からあったものとすれば「150周年記念ウィーン・モダン」と読んだだけで後半を意識から飛ばしてしまったのかもしれません。もともと私は「○○美術館展」とか「○○時代アート展」とかいったものを好まないからです。
私が好きなのは個人の総合展のようなもので、作家がどういう変遷を成長をたどってきたかを見ることのできるもので――というか、そういう鑑賞の仕方をして初めて「ああ、だからこの芸術家の表現はこうなるのだ」と分かるような気がしているからです。
美術館や時代で括った展覧会だと個々の作家の作品は数点に留まることが多く、慧眼の鑑賞者ならともかく、私のようなポンコツには理解できません。
東京都美術館の「クリムト展」はその意味で納得できるもので、グスタフ・クリムトの成長と変化の跡はしっかりと見て取ることができました。
修行時代の自然主義的な作品から装飾画家として独り立ちを果たした時期、初めて金箔を用いた代表作「ユデットI」やいかにもクリムトらしい「女の三世代」「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」など、よく知られた作品が多く並びます。
中でも「ベートーヴェン・フリーズ」は複製とはいえ、本物が展示されているウィーンの「分離派会館」の室内を模した「コ」の字型の壁に掲げられて圧倒的な存在感をみせていました。
フリーズと言うのはギリシャ建築などで屋根のひさし下の帯状装飾のことを言うようで、クリムトはそれにベートーヴェンの「第九」とリヒャルト・ワーグナーの第九解釈を表現したといわれています。
最後の展示室には多くの風景画が掲げられています。
クリムトは風景画にも独特の味わいがあって私は好きなので、その点で今回の展覧会は満足のいくものでした。
しかしクリムトをクリムトたらしめている女性の肖像が、比率としてはずいぶん少なく、そちらの点では物足りないような気もします。
名作「接吻」を持って来いとは言いませんが、もう数点、クリムトらしい女性の肖像画があったらさらに良い展覧会になったのにと惜しむ気持ちもありました。
新美術館の方には「エミーリエ・フレーゲの肖像」が来ています。
さほど興味のなかった国立新美術館の美術展ですが、クリムトの来日は30年ぶりとか。次の機会に私は生きていそうにありません。そこでエミーリエ・フレーゲに会いに行くだけでも価値はある、そう考えなおして翌週(つまり今週)の月曜日、ひとりで出かけてみたのです。
他に用事もありましたし。
ところがやはり新美術館の企画展は凄い。私はすっかり堪能して帰ってきたのです。
(この稿、続く)
本文挿入(上から)「ユデットI」「エミーリエ・フレーゲの肖像」「女の三世代」