「保護者を味方につける、保護者の支援を受ける」~家庭訪問をやめてはいけない3

  基本的に保護者は教師の味方をしてくれようとしている
 しかしそれがもたなくなるときもある
 教師と児童生徒は本質的に対立する関係だからだ
 保護者を強力な味方 学校の支援者として引き付けておかないと
 教育は大変な仕事になってしまう
 クレーマーをひとりでも生んでしまったら
 働き方改革どころではない だから家庭訪問をなくしてはならない
という話。

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【保護者が教師を守れなくなる時】

 セクハラにしろパワハラにしろ、犯罪レベルの事象でない限り、たった一回の言動で訴えられることはまずありません。逆に言うと訴えられた時点で、自分は気がつかなくても相手には傷ついた山ほどの経験があったのかもしれないと疑うのが賢明な態度です。
 もちろんそうでない場合もありますが、まず自問して調べて、その結果完全無罪ならそこから逆襲しても遅くはありません。まずいのは最初に突っぱねて、あとから反省することです。
 その原則は教師と保護者の関係についても同じでしょう。

 何らかの理由で保護者が教師本人に、あるいは学年主任・校長に訴えてくるとしたら、それはよほどのことであって、訴えた直接の事象以外に山ほどの事由が隠れていると考えなくてはなりません。
 ごくまれに、子どもが担任の悪口を言うと喜んで一緒に教師の欠点や不備をあげつらう保護者もいますが、普通はそうでなく、「きっと先生はそういうつもりで言ったんじゃないと思うよ」とか「先生の真意はこうじゃない?」とか言って陰で学校側を支えてくれているものです。

 それが破綻するのは、子の訴えが多すぎてそのたびに教師を庇っていたのでは親子関係が崩壊しかねない場合、あるいは保護者自身に強い疑念が浮かぶ場合です。子どもの味方をしないともたないんじゃないか、子どもが言っていることの方が正しいのではないか、ということです。
 ただし経験から言って、教師が真に悪い場合は100に1度もありません。

  

【教師と子どもは本質的に対立する】

 よく、
「先生は、頭の良い勉強のできる子ばかり可愛がる」
という言い方をされたりしますが、一面これは無理のない話です。

 教師の仕事の大半は子どもの前にハードルを置くこと――数学なんて見るのも嫌な子に問題を解かせ、歌なんか絶対に歌いたくない子にも歌わせるといったものです。
 俗に「頭が良い」「優秀」と言われる子たちはそうした課題を軽々と越えてしまいますから教師との間に緊張感は生まれにくく、対立も生まれません。だから怒られることもなく、可愛がられているように見えるのです。

 しかしあまり優秀ではない子、頭が良いと言うほどでもない子は違います。大したことはないから言ってその前から一切のハードルを取り除いてしまうわけにはいきません。その子にふさわしいハードルを設定して跳ばせようとします。するとそこに軋轢が生まれ、面白くないことも生じます。
 そうしたところから、担任に対する児童生徒の不満が家庭に持ち込まれるようになるのです。

 子どもは学校で逆上がりができるようになっても、
「お母さん! 今日学校で、先生のおかげで逆上がりができるようになった!」などと報告したりはしません。手柄は自分のものです。そんなふうに教師が仕向けたからです。しかし子どもは、
「今日学校で、掃除中にちょっとしゃべっただけなのに先生にものすごく怒られた」
 そんな話は持ち帰ります。

「ものすごく」怒られたどうかは確かではありませんし、おしゃべりが「ちょっと」だったかどうかも分かりません。ほんとうに「ものすごく怒られた」のならそれなり理由があったはずですが、そこまできちんと報告する子は稀です。
 子どもは自分に都合の良い話しかしないというのではなく、徹底的に主観的だからです。彼らが常に客観的に物事が見えるようになったらすでに子どもではありません。

 教師は単純に「愛され、素直になってもらう」という訳にはいかず、たいていは「嫌われ役」を負わされています。だからどうしても誤解されやすい面があるのです。
 だったらどうしたら誤解を防げるでしょう。

 その手立ては二つ。
 ひとつは保護者と教師の間に、「子どもの訴えを早い段階から確認できる風通しの良い関係」を築いておくこと、もうひとつは保護者の心の中に担任に対する強い信頼感をつくっておくことです。

 

【保護者を味方につける、保護者の支援を受ける】

 家庭訪問のない学校で、教師はどうやって保護者との個人的関係をつくって行くのでしょう? 私は家庭訪問に頼ることの多い教師でしたので、家庭訪問が亡くなることに強い不安と空恐ろしさを感じます。
 とりあえず保護者の顔をどう覚えたらいいのか。街なかで会っても挨拶もできないじゃないですか。

 一度会えば決して忘れないというような教師ならいいのです。
 初めての参観日の学級懇談で、一通り自己紹介してもらったらそれで全員覚えた、そんな教師もいるでしょう。しかし私はそうではありません。
 少し話しただけでその人となりを判断できるという教師だっているかもしれません。けれどそれも私ではないのです。

 家庭訪問では挨拶のあと、
「○○くんは家ではどういう子ですか?」
と尋ねました。その答えを聞く前に、学校ではこんな子ですと、その子の学校での様子、特に良いところを具体的にお話します。

 4月当初の子どもですのでいい話がたくさんできます。なにしろひとつ学年が上がって張り切っている時期の姿ですから話題に事欠きません。小学生にしろ中学生にしろ、1年生なんかほんとうに張り切っていいところばかりを見せようとしています。

 もちろん派手さのない子、おとなしい子、印象の薄い子もいます。クラスの三分の一はそんな子でしょう。ボーッとしていたのでは特徴の掴みずらい子ですがそこは家庭訪問、そんな子は1日に換算するとせいぜい3~4人ですから丸々半日、その子たちだけを観察して話すに足る事実を押さえればいいのです。必ずいいところが見つかります。4月ですから。

 その子のいいところを十分に話した上で、保護者の語る子どもの姿や親の願いを統合し、「この一年間、この子にはこんなふうにやっていきましょう」というお話をします。
 子どもの目標を定め、保護者と担任で進むべき指導の方針を決めます。そしてその部分だけはメモしておきます。

 なぜかというと秋の個人懇談ではその方針に則して中間報告をし、3学期の通知票では事業報告をしなくてはならないからです。逆に言うと個人懇談で話すことや3学期の通知票の内容、さらには指導要録に記録する内容はこの時に決めてしまうのです。

 家庭訪問の時間はたった15分か20分です。その中で真に意味ある時間は10分とないでしょう。しかしその10分間は、担任と保護者がその子のことだけを真剣に語り合う時間なのです。
 そんな濃密なことを、参観日の学級PTAで代用できますか?

 

 【家庭訪問をなくしてはならない】

 担任教師として、お子さんのことを真剣に見ています、考えています、本気で取り組みます、一生懸命やらせていただきます――そういったメッセージをきちんと送るのに、家庭訪問より優れた方法があるでしょうか?

 この部分を省略して十分な信頼関係のないまま学級経営を進めれば、保護者は指導の背後を守るどころか攻撃の先兵となって学校を訪うようになるかもしれません。保護者をひとりでもクレーマーにしてしまったら、教師の働き方改革どころではありません。

 いくら時短だ改革だと言っても、プロドライバーが始業点検を怠ったり、営業がアポイントメントや記録を怠ったりしたら大変なことになります。

 すでに担任だったころの緊張感を忘れた校長が保護者の要望に応えて家庭訪問を辞めると言ったら、全職員でその袖と裾を掴んで、
「殿! ご乱心!」
と叫んで止めなくてはなりません。四月当初に校長が怠ったことで、一般職が死ぬほど苦しい目にあうことは、まったく割に合わないからです。

                    (この稿、終了)

 

 

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