カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私の平成10大ニュース」~いよいよ平成が終わる

 テレビを見ていると10連休をどう過ごすかという話ばかりだけど
 やはりここは行く「平成」を惜しみ 来る「令和」を想うってことじゃないか?
 私の後半生は平成とともにあった 平成は私とともにあった
 だから平成について語ろう
という話。

f:id:kite-cafe:20190426064631j:plain(30年前の私と妻)

【私の平成】

 今月就職した息子のアキュラに、最後の仕送りをしました。つい1週間ほど前のことです。初の給料日(今日か?)までタイムラグがあって家賃が払えないのと、年度当初であれこれ物入りなのでと、親としても奮発したわけです。奮発したといっても例月と同額を送っただけですが・・・。

 平成の最後の月に最後の仕送りをして、私の手元から旅立たせるというのも何かの縁です。

 私は「昭和史の学徒」(昭和史を中心に学んできた)という強い自覚があって昭和のうちに前半生にけりをつけたいと思い、昭和63年9月の末に今の妻と入籍しました。
 昭和天皇が危ういということで焦ってしたことなので結婚式自体は翌年に持ち越し、同居を始めたのも妻の転勤が成った翌年の4月のことでした。つまり、

 平成元年の最初の月に式を挙げ、平成元年度の最初の月(4月)に一緒に暮らし始めた。そして平成最後の月に下の子どもを独立させた。

 私の家庭生活は、平成とともに始まり、平成とともに一区切りをつけたことになるのです。あとは余生です。

 このブログも、今日で平成最後の記事となります。
 そこで私の心に残った平成を振り返ってみたいと思います。
 

【私の平成10大ニュース】
1.【女子高校生コンクリート詰め殺人事件】平成元年3月30日

 少年らのグループが埼玉県三郷市の女子高校生をだまして暴行し、東京 足立区にある16歳の少年の自宅に40日間にわたって監禁したあげく、殴る蹴るの暴行を繰り返して死亡させ、遺体をドラム缶に入れコンクリート詰めにして遺棄していた事件。未成年者の、凶悪で残虐な事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

 改元後の新時代の少年犯罪を予告するような陰惨な出来事でしたが、その際一部で「主犯の男に『高次微細脳障害』」があった」と報道され耳目を引きました。
「高次微細脳障害」はその当時「道徳性のLD」といった説明がなされ、「選択的に道徳性が身につかない、身につきにくい障害」という概念に愕然とさせられたものです。道徳は環境や教育によって、誰でも身に着けることができると考えていたからです。

「高次微細脳障害」はその後ADHD注意欠陥多動性障害)と名を変え(概念が吸収され)今日に至っていますが、今となればADHDを「道徳性のLD」と説明するのは不適切でしょう。
 しかしこの事件は私にとって「発達障害」と初めて接した機会であり、子どもの非行を考えるうえで常に頭の隅に置き続けた事件だったのです。
《参考》kite-cafe.hatenablog.com佐瀬 稔著 「うちの子がなぜ!」~女子高生コンクリート詰め殺人事件~(草思社 1990)

2.【ベルリンの壁の崩壊】平成元年8月31日

 東西冷戦が一夜にして終わった日。
 平成元年5月に天安門事件があって今日の中国の礎ができます。決して良い意味ではありません。
 そして8月31日に突然ベルリンの壁が崩され、秋には東欧革命と呼ばれる東ヨーロッパの一連の民主化運動があり、年末のマルタ会談で東西冷戦が終結。翌平成2年(1990)ソビエト連邦が崩壊します。ここまで一気呵成と言った感じでした。

 それまでの国際政治の見方は東西冷戦が前提でしたから、「これで世界が平和になる」と喜んだものです。まさか米ソ対立という大きな枠の中で中小の対立が抑えられているなどと考えもしませんでした。
 ソ連が崩壊すると世界中で一斉に紛争が噴き出たという感じでした。
《参考》kite-cafe.hatenablog.com

3.【神戸高塚高校 校門圧死事件】平成2年7月6日

 学校における暴力的な指導が否定され、校則が機械的に削減されました。しかし体罰・校則に変わる指導法の提示が遅れたため、生徒指導は一気に困難になり、深く考えさせられることになります。
 これについてはつい最近も記事にしました。
《参考》kite-cafe.hatenablog.comkite-cafe.hatenablog.com

4.【バブル崩壊】平成3年3月

 バブル経済は私たち公務員にはあまり面白くない出来事でした。世間が浮かれている時期にも、地道な仕事を続けていたのですから。
 職員の親睦と研修を兼ねて自腹で3万円もかけて国内を一泊旅行しているとき、民間に勤めていた友人は1万円で一週間のハワイ旅行に行っていたりしました。
 毎晩のように高い飲み屋で祝杯を上げ、経費で落としていた・・・後に「やっぱり公務員だよな」「楽をして税金で生きている」と言われるようになってから恨み節のように思い出すのはこの時期のことです。
 バブルが崩壊して公務員の人気が高まると、超がつくような優秀な人材が教員を目指すようになり、その点とても痛快でした。現在の30代~40代の教員、本当に優秀です。

5.【PKO協力法制定】平成4年6月19日

 国際連合平和維持活動(PKO)に合法的に参加するための法整備ができたということです。
 私自身はPKOにも自衛隊の海外派遣にも反対する者ではありません。しかし戦争に対する痛烈な反省から自衛隊を決して海外に出すことのなかった昭和が終わって、わずか4年で海外派遣できるようになったということに、少なからぬ怯えも感じました。この先どうなっていくのかという恐れです。
 不良がかかった生徒に「自衛隊にでも入って根性を叩き直してもらえばいいんだ」といった言い方ができなくなったのもこの時からです。
 

6.【大阪 池田小学校事件】平成13年6月8日

 日中、刃物を持った暴漢に侵入され、8人もの子供が殺され15名もの児童・教師が重軽傷を負った事件。
 以後、学校開放の流れは停滞し、校地は中途半端に閉鎖される形になりました。
 塀に囲まれた都会の学校はまだしも、塀自体のほとんどない田舎の学校では1階のドアや窓を閉めておくといった極端な安全策が取られ、暴漢が突然襲ってくる「対不審者侵入訓練」が年中行事のように行われるようになりました。
 しかし同様の事件は20年近くも起こっていません。学校でも同じことはおそらく起こらない、起こったら防ぎきれないと感じています。
 しかし訓練はやめることができない――学校にはそういうことがたくさんあります。
《参考》kite-cafe.hatenablog.comkite-cafe.hatenablog.com 

7.【ゆとり教育始まる】平成14年

「円周率は3」といった悪意あるフェイク・ニュース(今で言う)が流布され、「先生が楽をするための“ゆとり”か!」などとメチャクチャ叩かれて迷惑な話でした。
 実際には「絶対評価」などという今は誰も覚えていないような特殊な評価法の研究のために死ぬほどの苦労をさせられ、「総合的な学習の時間」と言った何をするのか分からない授業を構成するために膨大な時間を使い、しかも自由に休んでいた夏休みも休めなくなった――教師の多忙化の引き金になったような事件だったのですが、誰もそういった観点から事実を見ませんでした。

 その「ゆとり教育」も平成23年に見直し。
 ただし完全に旧に復せばよかったものを、「総合的な学習の時間」はそのまま担任の授業として残し、夏休みも自由に休めない形で残したのです。
 10年の歳月をかけていったい何をしたかったのか、今も疑問に思っています。
《参考》kite-cafe.hatenablog.com

8.【奈良 小1女児誘拐殺人事件】平成16年11月17日

 翌年の「広島小1女児殺害事件」(平成17年11月22日)、「栃木小1女児殺害事件」(平成17年12月1日)と三つの誘拐殺人事件が延長線上に考えられて、全国の保護者を恐怖に落し入れました。
 全国の小学校区で「見守り隊」が結成され、集団登下校が始められた学校もありました。こうした「良いこと」は、しかしやめられない――。
 集団登下校がいじめの場になったりその列に自動車が飛び込んだりと、事件の余波も大きいものでした。保護者が子どもに携帯電話を持たせたがるようになったのもこのころからですが、その携帯のためにネットいじめの餌食になる子どもも少なくありません。
 また、人々は忘れてしまっていますが、奈良の事件の被害児童はGPS付きの携帯を持っていたのです。それを使って犯人は、被害児童の遺体写真を母親の携帯に送信したりしました。私が今も子どもにスマホ・ケータイを持たせたくないのはこうした理由からです。

9.【東日本大震災東北地方太平洋沖地震)】平成23年3月11日

石巻市立大川小学校では先生の指示に従ったために74人もの児童が亡くなり、釜石市の小中学校では児童生徒が教師の指示を待たずに逃げたために全員助かった」といった俗説が流布して、学校はつらい思いをしました。実際には釜石の子どもたちも第一次避難場所からさらに奥へと移動するなど、教師の的確な判断によって命を拾ったのです。

 その他、避難所の開設や運営、ボランティアのあり方など、学んだことが山ほどあったのですがここでは二つのことを上げておきます。
 
 ひとつは、この不幸な出来事の中にも大きな光明があって、それは日本人が自分たちの実力に気づいて正当に評価するようになったということです。暴動も起こらず略奪もなく、粛々と避難所を運営し助け合う、そういうことのできる日本人は稀有な民族だということです。

 もうひとつは、私自身が教育の在り方を考え直したということです。
 それまでは「教育」を児童生徒個人の自己実現の道具、夢を実現するための実力をつける仕事だと考えていたのですが、これからは人を助けるための道具、いつか他人の役に立つために力を蓄える仕事――そういう側面を強調しようと思うようになったことです。
 教員としての年月はわずかしか残っていませんでしたが、それは私の人生でも最も重要な決心でした。
《参考》kite-cafe.hatenablog.com

10.【クリミア併合】平成26年3月16日

 ロシアによるクリミア併合、中国による南シナ海埋め立て(平成26年~)、米大統領ドナルド・トランプ当選(平成28年11月9日)。この三つをセットにして私の「平成10大事件」の締めくくりとします。
 
 まさか21世紀に大国による領土拡張、自国第一主義が台頭するとは思ってもみないことでした。「地政学」といった言葉は私のような政治学徒が密かに胸にしまっている「死語」だと思っていたのです。

 いまから思えばクリミア併合はわずか5年前のことです。
 その瞬間まで、やがてロシアは広大な土地を持つだけの平凡な国になり、中国もいずれは良識ある民主主義大国となり、合衆国はオバマに代表されるような差別を乗り越えた、すべての人にチャンスのある民主主義国家のお手本であり続けるだろうと思っていたのです。
 アラブの春の混乱もやがて落ち着き、イラン合意で示された平和モデルに従って世界は次第に安定に向かう。北朝鮮は現状のまま生き残ることはできないから金一族の追放・亡命などによってゆっくりとした半島の統一が始まる――。

 それが全くの夢物語だったとは!

 いつ死んでもいいと思っていた私が、長く生きて子や孫や教え子たちの行く末を確認したいと思うようになったの、これらの事件のためです。

【令和の未来がここにある】

 しかしこうして平成の31年間を並べてみると、令和がどんな時代になるか、たくさんのヒントがあるような気がしてきます。


 令和が良き日々でありますよう!