カイト・カフェ

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「学校相手に、より少ない支出で、より高い価値を得ようとする保護者たちがいる」~賢い教育消費者たち①

 家庭訪問のシーズンです。
 最近では部屋に上がらず、玄関先だけで済ませる学校も少なくないと聞きます。けれど家を覚えるだけだったら放課後の会議を減らし、数日かけて回ればいいだけのことです。それなら仕事に出ている保護者の方々も、わざわざ時間休を取って帰宅する必要もないでしょう。そんなふうに考えるのは私だけではないでしょう。もっとも親の顔を覚えるというのも家庭訪問のもうひとつの役割ですから、まったくなくすということ訳にも行かないのかもしれません。

 家庭訪問を玄関先で済ませてくれという話を初めて聞いたのは、もう20年も前のことになります。そのときはまるっきり虚を突かれた感じでほんとうにびっくりしたのですが、今となればある種の保護者の先駆的な人々であったことが分かります。
 私たちはしばしば“それは当然”と考えてまったく思考停止に陥っている場合がありますが、そんなところにも思いのいたる知恵者はいくらでもいるのです。

 PTAは任意団体だからムリに入る必要はないだろう、というのも新鮮な発想でした。しかしそこからさらに一歩進んで、学校は入学式などの際それを保護者に明らかにすべきだ、というのにはほんとうに驚きました。任意団体と知る人は少ないから知らせるべきだというのがその理由ですが、要するにひとりで抜けているのはいやなのです。

 結局、通りませんでしたが「憲法に『義務教育はこれを無償とする』と書いてある以上、給食費を払う必要は認めない」と言って不払いを続けた人がいます。これなどは「ムリかもしれないが一応試してみよう」といった感じで行ったものでしょうが、学校教育を相手に“試してみよう”という根性が気に入りません。

 しかしこうした人々の態度は間違ったモノとは言えません。
 一部の政治家は「学校はサービス業だ」といった言い方をしますが、その場合サービスの受益者は当然『消費者』ということになります。消費者は「より少ない支出でより高いサービスを受ける」のが仕事です。したがってPTA活動や給食にエネルギーや資金を出し惜しみ、家庭訪問のために年休を取ったり部屋の掃除をしたりといった余分な支出をすることは愚かな行為ということになります。賢い消費者はそんなことはしません。

 教師というのは子どもに関することなら何でも知っておきたがりますから、うっかり家庭訪問で家に上げたりするとさまざまな情報を持ち帰ってしまいます。子どもや家庭の情報はできるだけ渡さず、その上で最良の教育を引き出すのが優秀な消費者としての保護者の腕の見せ所でしょう。そうした意識の高い人々によって、家庭訪問は現在のような形なってしまいました。

 ただし、ほとんどの保護者は自分を教育サービスの消費者だとは思っていません。玄関先だけの家庭訪問に不満を持っている人も少なくないのです。
 彼等の一部は家庭訪問のような機会でもないと、担任の先生とじっくり話ができないと思い込んでいます。大事な話があっても参観日の後の時間で先生を独り占めにするのは気が進まないのです。普通日に学校へ訪ねていくなど、さらに考えられません。
 また別の人々は、一年に一回くらい「ウチの子の担任の先生」をもてなしたいと本気で思っていたりします。ウチの子だけをかわいがってほしいと思っているわけではありません。感謝の気持ちを何かの形にしないと気がすまないのです。
 そんなひとはいくらでもいるのに、世の中は少数の合理主義者のために動かされることがあります。