カイト・カフェ

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「家庭訪問の意義」~最近はなくす方向だというが・・・

 家庭訪問を廃止して欲しい、少なくとも持ち上げのクラスではやらなくてもいいのではないか―どこの学校に行ってもそんな要求が保護者から出されます。また、教員にとっても忙しい4月・5月、先生の側からも同じ願いが出されることもあります。しかし私はそれに与しません。
 昨年の5月17日の夕刊フジに次のような記事がありました。

 玄関先で立ち話、家には一切入らず…家庭訪問に“異変
 大型連休も明け、全国の小学校は家庭訪問のシーズンを迎えている。ところが最近は、学校側から「玄関先でお願いします」と事前に念押しされ、家に先生を一切上げない“訪問”が慣例化しているという。家庭内での児童虐待事件が続発するなか、本当に立ち話だけでいいのだろうか。(中略)文部科学省は家庭訪問について「法的な定めはなく、指針も出していない」。東京都教育庁も「最終的には学校長の判断。必ず行う必要はなく、教諭の『地域訪問』を行う学校もある」(義務教育特別支援教育指導課)という。

 「地域訪問」とは、先生が児童の家を目視で確認するだけという味気ないもの。23区内のある学校長は「『玄関先』や『地域訪問』が定着したのはここ10年。実は保護者の希望からなんです」と打ち明ける。
 「『家の中を見られたくない』とか『共働きで忙しく、応じられない』という意見が多かった。家の中を見せていただくことは、学級運営や児童への指導にも役立つのだが…。一方で、教諭の仕事量は年々増えているため、家庭訪問を夏休みに行う学校もあるのです」

 私も同じ経験をしたことがあります。以前勤めていた学校で校長先生のひとことで「家庭訪問は担任の代わったクラスだけ、しかも玄関先で行い一切中には入らない」と決まったことがありました。しかし非常に不評で翌年には元に戻してしまったのです。

 何がいけなかったというと、「その日」を待っている保護者が、実はたくさんいたのです。特に「日ごろ学校にもの申さない」保護者たちが、この機に話しておこうと待ち構えていたのです。

 学校に対する不満といったものばかりではありません。日ごろ気になっている子どものこと、子どもの友だちのこと、地域のこと・・・たとえ15分でも20分でも腰を据えて話したいと考えている保護者が少なくなかったのです。

 実際、家庭訪問通して「毎年母親が対応してくれるのにその日に限って父親が出てきたのでおかしいなと思ったら『実は離婚をしまして・・・』ということだった」「病気で寝ている父親も合わせて出てきた、それで家庭が大変なことを知った」といった話はよくあることです。こういったことは家庭訪問をしなければ分からなかった、あるいはあとに引き伸ばされたことです。たった一人の子の、きわめて難しい状況を知るだけでも、数十軒の家を回る意味があろうというものです。

 しかし私自身は、そういった「異変を知る」という意味ではなく、一年の教育サイクルとして家庭訪問を大事にしてきましたし好きでもありました。

 一学期の早い時期に家庭訪問をして現状を分析して一年間の作戦計画を立てる。12月の懇談会で中間決算をし、遣り残したことを3学期に行うよう確認しあう。そして最後の通知票で決算報告をする。
 そうしたサイクルの中で、私の場合、家庭訪問は重要な位置づけでした。