カイト・カフェ

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「管理職も面白いけど、早すぎる昇任はなあ・・・」〜教師の出世考2

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  婿のエージュに訊かれて「校長になるってどう?」という問いに答えています。
 昨日の分では、「学校で本気でやりたいことがあれば校長になるしかない」という話と「自分が50歳代くらいになった時、無能な校長・副校長の下でも素直なままいられるかどうか」という話をしました。今日はその続きです。

 

【飽きちゃわない?】

 ところで今、学校ではどんな感じなの?
 新しい学校に移って、初めての学年主任と初めての研究主任じゃやはり大変だよね。でも若いうちの苦労は買ってでもしろっていうのはほんとうで、若いうちにこそ力はつくし、ある程度失敗が許されるのも今だけだ。特にキミは今年赴任したばかりで何も知らない状態だから、この一年間くらいは「すみません、よく分かっていないので」でやり過ごせる。そうして力がついてくる。
 私も30歳前後で学年主任や研究主任、生徒指導をやった人をたくさん知っているけど、みんな優秀だったな。もともと優秀だったうえに経験値が積み重なるからさらに優秀になる。
 だがそこにも問題がないわけじゃない。

 ここからは個人の資質の問題なのかもしれないけど、一生懸命まじめに仕事をしてたくさんの経験値を積んで、10年も頑張るとなんとなく教師としてのコツが掴めてくる、児童生徒に関するたいていのことは何とかなると、タカをくくって過ごすことができるようになる。特に保護者対応なんて自分が親たちの年齢を越えると格段に楽になるのだ。信じられないくらいやりやすくなる。

 もちろん不登校の子を一発で学校に戻せる魔法の言葉を獲得するなんてことはないけど、できないならできないなりに“ああこれが限界だ”と諦めもつくようになる。総じて伸びしろが見えてくるんだ。

 そうなるとあと10年やっても20年やっても大して変わりがないという気がしてきて、なんとなく希望がない感じになってしまう。ひとことで言えば飽きちゃうわけだ。

 もちろんいつまでたっても伸びしろの大きな教師はたくさんいるし、自分の伸びしろとは関係なく、一人でも多くの児童生徒を伸ばしたい、助けたいという気持ちで最後まで頑張れる人もかなりいる。しかし私はそうじゃなかった。
 同じ学校に3年もいるともうこの学校でできることはないと、そんな気がしてくるのだ。

 だから学校はほぼ3年ごとに替わったし、最初の10年間を中学校で、次の10年を小学校で、そして最後の10年間を管理職で終わらせたのは結局飽きやすかったからなのかもしれない。いろいろやることが私には向いていたのだ。
 もっともさらに能力があれば、そうはならなかったのかもしれないけれどね。
 エージュ君はどうかな? まだこのさき30年近くもあるよね。今のままで生き生きとその長い年月を同じ仕事に向いていけるかな。

 

【教務主任や主幹、教頭、副校長はけっこう面白いよ】

 教員というのは大学で教科教育法や生徒指導、学級運営などを勉強してからなるものだけど、管理職になるための勉強――学校運営だの都道府県教委・市町村教委とのつき合い方だのなんて勉強してこなかったよね。教育法規だって教育基本法やら学校教育法やらは熱心にさせられたけど、学校保健安全法だの学校給食法だのなんて細かな点までやってこなかった。
  だからそういうことも知っているべき管理職のハードルはちょっと高いし、内容的にはプチ転職みたいな面があるからその意味でも大変だ。しかしあれはあれで結構やりがいのある面白い仕事なのだ。

 基本的には裏方仕事で陰から先生たちを支えるのが役目だけど、そのことが引いては子どものためになる。
 例えばね、県や市から来るどうでもいいような調査や報告書類、普通なら事情をよく知っている係の先生に回して書いてもらうのだけど、優秀な教頭や副校長ならそうはしない。自分で書いちゃうのだ。

 そうすれば忙しい先生たちの手を煩わせることもないし、締め切りをせっつく必要もない。大人である先生方に「早く書類を出してください」などと言うのは面倒くさいし人間関係にもよろしくない。管理職が頑張って書類をひとつ渡さないだけで、先生方は継続的な教育活動ができる、そういうものじゃないかい?
 もちろん自分で書くためには、そのくらい細かく学校のことを知っておかなくちゃいけないけどね。

 他にも教室の環境整備だとか調度の修理だとか、忙しい先生たちに任せたらいつできるか分からないことも、教頭や副校長がやってしまえば早く簡単に済む。お金の絡むことだったらなお早い。

 しかし管理職の何よりの喜びはもっと直接的に先生たちを助けてあげられることだ。研究授業の方向性が見えなくなったとか、生徒指導で行き詰ったとか、あるいは人生相談だとか――。
 特に保護者ともめてしまった場合など、担任ひとりに任せるのは酷だ。教師はほんとうに忙しいから保護者対応ですら後手に回るときがある。それでいいことなんか何もない。
 管理職はその点、忙しいとはいえかなり自由が利く。授業を持たないから昼間の時間に保護者と会いに行ってもいい。必要なら何時間でも相手が納得いくまで話し続けることができる—―。そんなことは授業のある先生には絶対にできないだろう?

 私は教員になった最初の日の夜に、いつか先生たちを助ける人になろうと決心したから(*1)、教務主任や副校長はずいぶんとやりがいのあるいい仕事だった。うまくいけば自己効力感だって半端じゃない。
 学級担任だと30人そこそこの児童生徒とその保護者しか相手にできないが、管理職は先生たちを通じてその何倍にも影響を与えられる。そういうことを喜びとしてもいい。
*1kite-cafe.hatenablog.com

 

【若すぎる昇任は考えもの】

 さて、「校長になるってどう?」というキミの問いに対して、私は「基本的には悪いことじゃない、望んだってなれるものじゃないから最初から降りることもない、やってみるとかなり面白い仕事だよ」という立場で話してきた。

 でも、ふと思い出したんだけど東京都の昇任人事ってかなり早い年齢から動くんだったよね。今、キミがトイレに行っている隙にちょっと調べたら、副校長の最速昇任年齢が39歳、校長が43歳だった。40歳前にクラスを手放すのは気持ちの上でシンドイな。何しろ子どもを育てたくて教師になったのだから。

 さらに言えば43歳で校長になったら、その後どうなるのだろう? もちろんナントカ主事であちこちに移動することもあるだろうけど基本は校長職だよね。
 今まで言いそびれてきたけど、正直言って管理職の中で校長職だけはあまり面白くないんだ。

 あるベテラン校長が「校長の仕事は挨拶をして責任を取ることだ」と言ってたけど、ほんとうに「挨拶」は多い。生徒総会の閉会式にまで「校長先生のお話」があったりするからね。しかしそれ以外にこれと言って絶対に必要な仕事はない。

 校内で起こる様々な問題のほとんどは副校長までで解決してしまうから(そうでなくてはいけない)、校長のところまで持ち込まれるものは大部分がこじれ切った「校長先生にも解決できない問題」だ。やれることがない。できるのは問題が解決できなかったことの責任を取ることだけだ。

 その他、いじめだとか体罰だとか教員不祥事だとか、そして最近は校長自身のセクハラだとかパワハラだとか、責任を取らなければならない場面は飛躍的に増えた。
 私はいつも心に辞表をしまっていたが、それとて定年退職まで4〜5年という時だったからできたので、50歳前後の校長では簡単に「責任を取って辞めます」ともいえないだろう。生活があるからね。
 結局、恥を忍んで校長職を続けるしかないのだが、それは大変だろうね。私は御免だ。

 さて、条件はそろった。その上でどうするかはキミの決めることだ。