飲み会の席で一部の先生方にはお話しましたが、私は1983年の4月1日の夜のことを生涯忘れまいと決心し、今も大切にしています。それは私が初めて教員となった晩のことです。
当時のことですから、歓迎会の2次会は3次会、4次会流れ、午前2時過ぎてもまだ続いていました。翌日の勤務もあるというのに、その頃はそんなものです。その長い飲み会の時間を、先生たちはずっと一貫して生徒や教育の話をしているのです。これには驚かされました。世間が狭いといえばそれまでですが、そうした真摯で真面目な姿は、私には新鮮なものだったのです。
実はそれまでバイト時代を入れると十年近く、私は民間の小さな会社で働いていました。零細とも言えないほど小さな会社で、業務はフランチャイズの学習塾を作る仕事でした。私はそこの教材作り担当であると同時に、各教室で講師が休んだ場合の代理講師の仕事をしていました。
「200万円の資金と部屋を1室お貸し下さい。それで月々80万円の収入」が謳い文句です。
しかしそれは最大にうまく行った場合であって、普通は赤字からスタート。延々と赤字の教室もざらでした。こんなところに学習塾など開いてもうまく行くはずがない場所に、営業は200万円欲しさに平気で教室を作ってしまいますから、そのあとの面倒を見る私たちはたまったものではありません。結局詐欺の片棒を担いでいるのと同じです。
仕事が腐ってくると人間も腐ります。会社の金を使い込む専務、保護者から金を借りていつまでも返さない学院長、アルバイトの主婦と出奔する社員、もうさんざんなものでした。
そうした会社勤めをやめたあと、新たに入った学校という世界はそれと正反対のものです。時にウソを教えてしまうことはあっても、最初からウソをついたり、人を騙したりしようとしている人は、この世界に一人もいません。私はそれが無性に幸せでした。
そしてその晩、「私はこの人たちとずっと一緒にやっていこう、そして年を取ったらこの人たちを守る教師になろう」と強く決心したのです。その気持ちは今も変わりません。