どういう人がどういう経路で副校長(教頭)、校長に出世していくか――一般の人どころかなりたての若い教員たちですら知らないのが普通です。
どうやら昇任認試験というのがあるらしいが募集要項が発表された様子もない、いつだれが受験に行ったのかも分からなければ、仮に自分が副校長になりたいという気になったとしても、誰に言っていけばいいかもわからない、試験内容も知らない、どう勉強すればよいのかもわからない――。
教員の採用や任用は都道府県によって異なるため一概には言えませんが、日本中の学校の状況はあうたい似たようなものでしょう。
【学校長になる方法】
きちんとした広告がなされて応募するように書類が回覧されるところもあれば、校長先生が口頭で伝え「希望者は書類を採りに来るように」と連絡するところもあるでしょう。あるいは一般職員の知らないところで、校長先生が“これは”と思う教諭に声をかけ、本人に意志があれば書類を書かせるという場合もあろうかと思います。
東京都のように慢性的に希望者の足りないところでは校長・副校長・主任教諭で取り囲んで説得、なんていう風景もあるのかもしれません(かつて受験を強要されて自殺した高校教諭がおられました)。
【校長・副校長になっていく人】
制度はさまざまでも、副校長・校長になっていく人たちに一定の傾向ないしは幅があるのは事実です。
言うまでもなく教員としての実力がなさすぎる人はなれません。管理職の重要な仕事のひとつは教員指導ですから、一般教員の困難や不安に何のアドバイスもできにないようでは困るのです。 同じ理由で職員間のコミュニケーションが苦手な人も難しいでしょう。
過去に処分歴のある人はもちろんアウト。田舎では外部に漏れるような事件を起こした人もダメです。校長・副校長は学校の顔なので地域の人や市町村の人々としょっちゅう顔を合わせます。そのたびに「あの校長は昔・・・」と思い出されるようでは簡単に進むものも進まなくなってしまうからです。
ただし教職に就く人々の大部分はまじめで優秀で誠実な人なので、最初から無理と思われる人は1割もいません。学級担任として何年も集団のマネジメントをしてきた人たちですから、ほとんどは管理職になってもらって構わない人たちです。
結局は校長(さらに言えば教育長、文科大臣や総理大臣)にならないと自分の教育理念は実現できないじゃないかという気持ちから管理職をめざす人がいます。はっきりそう口にして校長になり、最終的には市の教育長にまで上り詰めた人がいます。私の最も尊敬する先輩です。
しかしそういう言い方はしなくても、あるいはそういった意識もなく、教育が好きで好きで校長になっていった人たちもいます。いずれも立派な先生たちでした。
ただしおそらく、大半の管理職は若い時から目の前の仕事に一生懸命取り組み、それなりの成果を上げていくうちに管理職の道が開けてきた、そんな感じではないでしょうか。
【管理職になんてならなくてもいのだけれど】
最初から管理職を目指すなどという人はまずいません(本当はひとりだけ、そういう人もいましたが)。若い教員のほとんどは、教諭というやりがいのあるすばらしい仕事を捨てて、管理職なんぞになっていく同僚の気持ちが理解できないでいます。
そんな先生に対しては、私はこんな説明をしてきました。
「困ったことに、限界が見えて来ることがあるんだよ。
教師として一人前になり、たいていのことがうまく行くようになって、さらにそのうえで伸びしろのある優秀な先生ならいいけど、普通の、私のような教員だと限界が見えてしまう。
これ以上現場にいても子どもを伸ばしてあげられない、自分も生き生きとしていられない、そんな時期が来る。管理職になってもいいかなと思うのはそんな時だ。学校という枠の中で違ったことをやりたくなってくるんだね」
「もうひとつはもっとつまらないこと。かつての同僚、大学の同世代が次々と管理職になっていく、そのときに落ち着いていられるかってこと。
そりゃあ副校長・校長になっていく人たちがみんな自分より立派だったらいいよ。でもそう思えない場合だってあるでしょ。あるいは自分より年下で“あんな奴”と思っていた人が管理職になっていく、そのとき、私たちはその、“あんな奴”におとなしく仕えることができるかということ。
先生はまだ若いから分からないかもしれないけど、人間というのは案外弱いものだよ。
私のように“教員養成大学を出ていない”とか“30歳過ぎて教員になったから経験が浅い”とかさまざまなエクスキューズを持っていればいればいいけど、教育学部を出て新卒でこの世界に入り、同じような仲間がいっぱいいる先生は、少なくとも意図的に管理職への道を閉ざさない方がいいね。気持ちが揺れ動いた時に対応できるように」
【校長は誰でもいいとは言えない場合】
さて、ここまでは校長・副校長になるためには決定的な能力や資質は必要ない、普通の先生が普通の努力をしてくれば十分だというお話をしてきました。ただしこれには条件が付きます。
それは、
校長在任中、マスコミが押し寄せるような大事件に遭遇しない限りは――。
というものです。
在任中の学校で、いじめが疑われる児童生徒の自殺があったというような最悪の状況では、校長の資質は決定的な要素となります。
その点で、愛知県一宮市の男子中学生が「担任に人生全てを壊された」というメモを残して自殺した事件の当該学校長の、昨日までの対応は大いに疑問とされるところです。
(この稿、続く)