カイト・カフェ

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「あのバカに指示されて平気か?」〜教師の出世考1

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  先日、所用があって東京に行った際、時間が余ったので娘夫婦を呼び出し、夕食をご馳走しました。孫のハーヴも一緒です。
 そのハーヴが下痢気味で、トイレに行きたいと言い出して娘と席を外したとき、その時間を待っていたのか単に間が持たなかったのか、婿のエージュが「お義父さんは、若いころから自分が副校長や校長になるといったこと、考えましたか?」と訊ねます。
 もう30歳を過ぎましたからエージュも覚悟を迫られているのかもしれません。
 そこで私はこんなふうに答えたのです。

【校長になってあげてもいいかな?】

 若いうちから将来は校長になろうなんていう教員はまずいない。いればロクなもんじゃない。私も教育が好きだったし誇りも感じていたから、一生ヒラ教員で構わないと思っていたのだけど、ある日、どんなきっかけだったか忘れたけど、そのころものすごく尊敬していた40歳前後の先生に、
「先生、校長になりたいと思ったことありますか?」
と訊ねたことがあるんだ。もちろん“そんなこと考えたことがない”という答えを期待してのことだけどね。ところがその先生は、こんなふうに言ったのだ。
「そりゃあなりたいですよ。だって自分の教育理念を十分に実現しようとしたら、校長になるしかないじゃないですか」
 私はちょっと立ち止まるような気持ちになって、“そういうことなら私も校長になってあげてもいいかな”とそんなふうに思ったのだ。それが管理職を意識した最初のできごとだった。

 その先生は後に多くの業績を残して副校長から校長になり、退職後は出身地の教育長まで上り詰めたけど、おっしゃった通り、高い教育理念があってそれを実現しようとする活動を続けておられた。
 私にはそんな高い理念なんかない。しかし管理職になったら先生たちを守る存在になろう、自由にのびのびと教育活動ができるよう、後ろを固め、余計なことは言わないようにしよう、そんなふうには考えていた。

【あのバカに指示されて平気か?】

 ただし本気で管理職になる気はなかったし、なれなくてもいいとも思っていた。
 知っての通り私の県の教員は圧倒的に地元の教育大出身者が多いし管理職も卒業生で占められている。ところが私なんかは都会の私立大学出身だし30歳で初めてその世界に入ったし、外様も外様、というかほとんど外道みたいなものだから保守本流とは程遠い。別な言い方をすれば出世しなくてもたくさんのエクスキューズ(説明・言い訳)があるわけで、管理職になれなくても平気でいられる、多分大丈夫だ、とそんなふうに考えていたのだ。

 しかし地元の教育大を出て卒業と同時に友だちと一緒に教員になった人たちはそうはいかない。若いうちはいいけど40代も中盤以降になって、あいつも副校長になったこいつは校長になったという状況で、果たして落ち着いていられるものだろうか。

 もちろん出世していく人たちが全員優れた教育者、自分から見てもホトホト感心するような教師ばかりならいいけど、必ずしもそうじゃない。「あのバカが校長か?」ということも起こり得る。さらにそれが4歳も5歳も年下の、ほんとうに腹の立つような後輩だったらそれでも平気でいられるか。
 自分が50歳を過ぎたころそのバカの風下にいて、そのバカの指示を受ける――管理職にならないと決心するためには、そういう覚悟も必要だろう。
 できそうかい?

 人間を舐めちゃいけないよ。私たちは驚くほど弱いのだ。そんな状況で現場に対する情熱を持ち続け、一生、最前線で子どもたちのために尽くすと思い続けることはそう簡単じゃない。もちろんできる人はいるけれどそんなに多くない。特に男は順位付けに弱く、すぐに競争に巻き込まれてしまうからね。

 繰り返すけど、私のようにたくさんのエクスキューズをもっている人間ならいいのだよ。けれどそうでない場合は無碍に出世の道を閉ざすことはないと思う。降りるのはいつでもできるのだから。

(この稿、続く)