カイト・カフェ

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「壁は必要だったのか」〜大阪北部地震(仮称)の教訓

 大阪で大きな地震があって3名の方が亡くなりました(18日の時点)。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
 中でも小学校のプール脇で亡くなった9歳の女の子はかわいそうなことをしました。あと1~2分遅いか早いだけで命を失うことはなかったと考えると運命の冷淡さを思わずにいられません。さらに10分早く行動できていたら、あるいは地震が10分遅れて起こっていたら、女児は学校の管理下にあって怖い思いもせずに済んだのかもしれないのです。

 東日本大震災ではあれほど広範囲、あれほど甚大な災害でありながら、学校管理下で子どもが亡くなった例は74名を失った石巻市立大川小学校だけです。それだけに大川小学校の事件は重大だともいえるのですが、基本的には学校の防災機能はほとんどの学校で働いたといえます。

 今回の事故は登校前であって学校の管理下にはなかったといえますが、一方、崩れたの学校の管理するプールの塀ですから別の意味で重大な問題を発生します。

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(写真はGoogleMapからお借りしました)

【塀に問題はなかったのか】

 実際に事故が起きて児童一人が亡くなっているわけですから問題がなかったはずはないのですが、問われるのはその程度です。重大な瑕疵があったかどうか、やむを得ない範囲なのか――。

 ニュース映像をつぶさに見ると、まず気がつくのは落ちた塀がばらばらになっていないことです。中に鉄筋がきちんと入っていてコンクリートでしっかりと固定されていたからです。単独の構造物としては問題ありません。

 ところが崩れ落ちた塀の底とプールの土台を見ると、落ちた塀の下の部分からは20cmほどの鉄筋が何本も突き出てるおり、プール側の土台からも30cmほどの鉄筋がいくつも突き出されて折れ曲がっています。つまり一本の鉄筋が下から上まで貫いていてそれがちぎれたというのではなく、二つの構造物がそこで接ぎ合わされていたいたのです。
 上は頑丈、下も頑丈、しかしその接合部は互いに差し込んで(おそらく)針金で巻いているにすぎない。

 今回の地震は横揺れの激しいものでしたから、その状態で左右に振ればひとたまりもありません。負荷は接合部に集中的にかかり、いわば上の構造物が土台から“剥がれる”ようにしてはずれ、そのまま重量を支えきれなくなってゆっくり倒れていく――。最後につぎ足した鉄筋の接合部が抜けて壁は落下し、双方にむき出しの鉄筋が残る、そんな感じだったのかもしれません。

 子どもの上に落ちた壁は、事故直後、その場を通りかかったトラック運転手によってジャッキで持ち上げられようとしましたが、どうしても持ち上がらなかったそうです。それくらい重かった――。
 2m近いの高さに、支えもつけずに重い壁を乗せたのですからそれだけでも設計ミスです。プールの他の三辺(学校の敷地内)はすべて金網のフェンスなのですから、同じようにフェンスにすればよかったのです。なぜそれでいけなかったのでしょう?

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(継ぎ目を見ると、仕事も雑)

【なぜ塀はつくられたのか】

 プールの道路側にあれほど大きな構造物が乗せられたのは、「小学生と言えど、水着姿を衆目に曝してはならない」という現代の、新しい価値観ないしは配慮が働いたからです。
 事故の起きた小学校のプール水面は道路から2m近く高い位置にありますから、見ようとしてもなかなか見えるものではありません。しかし道路と川を挟んだ反対側の家々の、2階3階からは丸見えです。それを嫌ったのです。

 もちろん金属や樹脂のパネルでもよかったのですが、耐久性を考えるとコンクリートブロックの方が安上がりということもあったのでしょう。あるいはパネルだとあからさまにお向かいの住人を疑っているみたいで気が引けたのかもしれません。ブロックづくりにしてそこにペンキで可愛い絵でも描けば、景観としても小学校らしくて角も立たない、そういった考えも働いたのかもしれません。しかしそれが仇となりました。

 それは昭和時代にはない考えかたでした。
 しかし宮崎勤事件(平成元年逮捕)あたりから、世の中には小学生以下の子ども裸に異常な興味を示す人間のいることが広く知られるようになり、幼女誘拐殺人といった陰惨な事件が続くと親は震え上がって学校や教育委員会に訴え、プールは次第に外部の目から閉ざされた世界になって行ったのです。

 水難の心配もありますから、校長室や職員室から見通せる場合はそちらの面を金網にして、遠くからでも見えるようにします。プールに異状はないか、両手を大きく振って必死に何かを訴えている先生はいないか、そういったことに常に気を配るのは、水泳シーズンの管理職の重要な仕事です。しかしそうした環境のない限り、4面すべてを目隠しにして外から見えないようにするのは現代の常識です。

 しかし正直言って、私はいつも不安でした。危機に際して、目はたくさんある方が有利なのです。
 変質者に覗かれたり写真を撮られたりする危険よりも、水難に際して緊急対応が1分遅れること方がより危険なのです。事故が起こった時、ご近所さんが気づいて消防署にすぐさま連絡してくれたり職員室に走ってくれる方がよほどありがたい、そんなふうに思っていました。
 しかし当時も、そんな心配を口にできるような雰囲気はどこにもありませんでした。

【安全対策の二律背反】

 安全対策は時に二律背反することがあります。
 変質者から子どもを守ることが水難の危機を増すこともあります。
 もちろん今回の事故の直接的な原因は設計ミスあるいは手抜き工事ですが、外から絶対に見えないような頑丈な壁をつくれば、その壁自体が危険物になります。

 不審者対策の集団登校が、交通事故の集団被害につながったりいじめの温床になったりといったことも少なくありません。
 見知らぬ人に気をつけろと言い続けることで、子どもが地域の人々を警戒し、本来は助けてくれるはずの人からも乖離していく危うさがあります。
 道を訊ねられても走って逃げるしか能のない子どもに、コミュニケーション能力をつけろといっても困難でしょう。

 しかしいずれのしろ子どもの命にかかわることです。安全対策を考える際は“その対策”が別の危機の原因とならぬよう慎重でありたいものです。