ボールは何をしたのか

 先週金曜日の読売新聞に次のような記事が出ていました。

 校庭からボール、蹴った少年に2審も賠償命令

 愛媛県今治市で2004年、オートバイに乗った80歳代の男性が、小学校から飛び出たサッカーボールを避けようとして転倒し、この時のけがが原因で死亡したとして、大阪府内の遺族らが、ボールを蹴った当時小学5年だった元少年(20)の両親に計約5000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が7日、大阪高裁であった。

 岩田好二裁判長は、1審・大阪地裁判決に続いて元少年の過失を認定し、両親に計約1180万円の賠償を命じた。

 岩田裁判長は「校庭からボールが飛び出すのは珍しくなく、注意しながら走行すべきだった」と男性の過失を新たに認定し、賠償額を約320万円減額した。

 判決によると、04年2月、元少年が校庭で蹴ったボールが道路にまで転がり出て、男性がオートバイごと転倒。足の骨折などで入院し、その後、生活状況の変化で体調が悪化し、翌年7月、肺炎で死亡した。        (2012年6月8日 読売新聞)

 親とすれば子どもが「学校で遊んでくる」と言えばそれだけでむしろ安心するだろうに、その結果が1180万円の損害賠償となるとたまらない、もはや子どもを一人で遊ばせることなどできない、子を持つこと自体がリスクだと、そんなふうに思わせる記事です。

 もちろん何の過失もない家族が事故で殺されて、その補償を相手に求めることは法的に問題ありません。さらに判決を読むと5000万円という請求額には妥当性があり、1180万円という賠償額にも問題はありません。しかしそれでも釈然としないのはなぜでしょう。

 それはたとえ身内とはいえ、80代の老人の死の責任を小学校5年生の子どもに負わせようとする感覚が我々に馴染まないからです。また普通の家庭に5000万円を払わせようという感覚も理解できません。さらに裁判所がそれを追認するかたちで1180万円の損害賠償を命じたというのも(法律的はともかく)心情として理解できないのです。

 ひとことで言うと“いつから日本はそんな国になっちゃったの?”というのが“釈然としない”主な理由です。

 実はここには、記事にならなかった山ほどの事実があります。

 その日、事件の起こった学校では休日を利用して少年野球チームの練習が行われていました。“少年”はそのチームのメンバーですが、その学校の児童ではありません。野球チームの練習のため、じゃまなサッカーゴールが撤去され、校門の正面という危険な場所に移されていました。そのゴールに向けて、“少年”は野球の練習の合間にフリーキックの練習をしていたのです。学校を相手に裁判をしにくかった理由のひとつがここにあります。

 この事件の特異性はまだあります。実は“少年”はこの種の事故のための保険に加入しており、事故当初から保険会社が事件処理に入っていたのです。その分、被害者家族としては損害賠償請求をしやすかったのです。

 その保険会社との間で感情的なもつれがあり、それで裁判にまで突き進んでしまいました。怒りの矛先が保険会社ではなく、かつ加害者側の対応が適切であったら、こんな大げさな話にならなかったのかもしれません。おそらく、保険に入っていなかったら加害者家族を相手に5000万円の損害賠償というのはやりにくかったはずです。日本にはまだまだそこまで権利を主張しきる風土は育っていません。

 だたしもちろん、判決は「保険加入していたので」といった限定的なものではありません。こうした判決が出た以上、保険の有無にかかわらず、子どもの普通の活動で高額の賠償金が請求される道筋がついたことは確かです。

 そうならないために、私たちがしておかなければならないことも山ほどあります。